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「なんだ、これが綺麗事に聞こえるのか? おめでたいな」
そんな運転手にアレックス警部は言った。
「綺麗事だろうが! そんなアッサリと人間変われるもんかよ!!」
「外の世界じゃ無理だろうがな。この街なら簡単だ」
「何でそう言い切れるんだよ!?」
「毎日が命懸けだからだよ。死にかけたら誰でもアッサリ新しい自分に目覚められるぞ? お前も実感できただろう。どんなに『自分は変われない』と意地を張ろうともな、一度でも常識の外側を見ればあっという間に大変身だ」
「いや、あれは……」
「外の世界と違って、この街はそういうチャンスがいつでも舞い込むんだよ。何せ、冗談抜きで何でも起きちまうんだからな」
アレックス警部は皮肉げに笑った。
この街で生まれ育った警部だからこそ言える言葉。何でも起きるこの街で暮らす為には、嫌でも自分の中から固定概念や常識を綺麗さっぱり追い出さなければならない。
『ああなるかもしれない』、『こうなったらどうしよう』、『何か嫌な予感がする』etcetc……
そう考えてしまえば、この街では大体その通りになってしまうからである。
つまり深く考えて思い悩む暇があれば、即死上等、トラブル上等、何が起きても 仕方ないね と割り切ってこの瞬間に意識を向ける事こそが何よりも重要なのだ。
「……どうかしてるよ、アンタ」
「まだまだお前はこの街の何たるかを知らないらしいな」
「何がだよ……この街がやべえ所だって何度も聞かされたよ」
「そうみたいですね、警部。きっと手からビームだす不審者や大怪獣とかバカでかい剣を生み出す空飛ぶ女の子とかも見たこと無いんでしょうね。羨ましいなー、本当に」
「え、何それ怖い」
「魔法使いについてもよく知らないだろ? 箒に乗ってわはーってファンシーに空飛んでるイメージとか持ってるだろ。違うからね」
突然警官二人の様子が豹変し、運転手は訳も分からず彼らに圧倒される。
実際にこの男は運び屋としてまだ日が浅く、リンボ・シティに来たのもつい最近だ。今回のように直接、街の中をトラックで走るのは今日が初めてである。
恐らくは運び屋としての必須知識である【この街の地理】と【最低限度の注意点】しか教えられなかったのだろう。
「な、何だよポリスメン。魔法使いってアレだろ? 魔法を使う……」
「そう、魔法を使う。じゃあ魔法を使って何をするかを考えたことはあるか?」
「え、そりゃー」
────キュドンッ!!!
突然、遠方が眩く発光したかと思うと、彼等が乗るパトカーの 前後面 を掠るように青いレーザー光線が通り過ぎる。
車体を囲う羊達の大半が近くの乗用車の一部ごと一瞬で蒸発し、先程の光線に続いて突き抜けてくる青白い光弾が生き残った羊を的確に撃ち抜いていった。
「……ファ?」
「来ましたね、警部」
「今日はやけに早いな……」
「え、何! 今の何!!?」
「魔法だよ」
目の前で何が起きたのか理解できない運転手は大きく取り乱す。
その間にも青白い光弾は流星群のように殺到し、羊達の体を容赦なく穿っていく。悲鳴一つ上げる間もなく羊は即死し、気がつけば体の小さな一頭を残して羊の群れは全滅していた。
〈め、めぺぇ~、めぺぇえ~〉
生き残った一頭は恐怖のあまり身動きが取れないようだった。力なく地面にへたり込み、小さく震えながら毛玉のように丸まって防御姿勢を取る。
「……魔法で仕留めると増えないのか」
「え、魔法? あれが!? 何か思ってたのと違う!!」
「増やさずに殺す方法があったのかもしれないですね……あの人なら知ってそうだし」
「確かに、アイツなら知ってるだろうな」
「アイツって誰!?」
「あっちを見ろよ、アイツだよ……あのくっそムカつく顔で空を飛んでくるチビ」
運転手が警部が指差す方向を見ると、バイクに乗って空を飛ぶ 金髪の美少女 が見えた。
両手に持った回転式拳銃に似た武器をコートにしまい、少女を乗せた空飛ぶバイクは運転席のすぐ隣にふわりと着陸する。
警部は重い溜息を吐き、静かにサイドガラスを下ろす……
「おはよう警部、今日も元気そうね」
空から現れた金髪少女、ドロシー・バーキンスは愛らしい笑顔でアレックス警部に挨拶した。
「ビックリさせちゃった?」
乗ってきたバイクを茶色のキャリーバッグに変形させ、ドロシーはニコニコ笑顔で話しかける。
「街中であんな魔法ぶっ放しやがって……人に当たったらどうする気だ」
「大丈夫、そこはちゃんと気をつけて使ったから。車までは保証しないけど」
「出来ればもう街中で使わないで欲しいかな……って」
アレックス警部はドロシーの後方を見て唖然とする。道路には大量の羊が無残な姿で転がっており、足元で丸まっている一頭を除いて羊達は全滅していた。
「……あれはお前がやったのか?」
「ここに来るまでに何があったかはご想像に任せるわ。僕だってあまり思い出したくないことの一つや二つはあるのよ……」
アレックス警部の問いかけにドロシーは言葉を濁す。
流石の魔女も、見た目は可愛らしいこの生物に向けて魔法を放つのは中々心苦しいものがあったようだ。
しかし目の前で人が襲われているのに 可愛いから許そう 等というイディオットが安易に辿り着きそうな結論を出す訳にはいかなかった。
「どんなに可愛らしくても、人の味を覚えたクリシーポスは害獣だから」
可愛くても悪い子にはお仕置き。ドロシーが決して曲げない彼女なりの信念の一つだ。
「クリポー……なんだって?」
「この羊っぽい新動物の名前よ。本来なら養殖区域で管理されている筈なんだけどねー」
「ああ、後ろに乗せてる頭の悪い奴が運んでやがったんだ」
「いやいや、あの時にポリスメンさんがコンテナ開けなきゃ良かったじゃん! 俺は絶対に開けんなって言ったからからね! 絶対に開けんなって言ったからからね!? だのに開けやがったからこうなったんだよ! 責任転嫁も甚だしいよ、それでも法の番人かよ!!?」
自分の事を棚に上げて警部達を非難する運転手。確かに例の動物を運んでいたのは彼だが、それを外に解き放ったのはアレックス警部だ。
そもそもの発端は信号無視してトラックに突っ込んで自滅した馬鹿二人なのだが、結果的に被害を拡大させてしまったのは皮肉な事に法の番人たる警部である。
「……そうだな、俺たちの責任だな」
「いえ、責任があるのは俺です。あの時、俺が逃したから……」
「そうだよ! お前らが悪い! 全部お前らが悪いからな!!」
「まぁ、どうせそんなことだろうと思ってたけどね」
しかしドロシーは大凡の事情を察していたかのような素振りを見せる。
「だから言ったでしょ? 警部。仕事熱心も程々にしろってね……次はその足だけで済む保証はないよ」
「……ああ、そうだな」
「それでも一番悪いのは運び屋のキミだけどね」
「え、俺? 何で!?」
「何で? キミがそれを言うの??」
「あ……いや、その……」
「新動物を外に運び出そうとするのはね、相当な重罪行為なのよ。今回は運良くこの街で逃げ出したから何とかなったけど、もし此処が外の世界だったらどうなっていたかしら?」
「お、俺は頼まれたものを運んだだけで……」
「それが一番困るのよ、わからない?」
運転手の顔を見つめながらドロシーは静かな声で言う。
外見こそ非の打ち所がない可憐な美少女だが、その雰囲気と威圧感は人間のものではなかった。
「あ、う……」
運転手は黙り込み、ドロシーの視線から逃げるように顔を俯かせた。
「……この馬鹿の処遇は君たちに任せるわ。後の始末は管理局にお願いしてね」
「待て待て、お前の足元にいる奴はどうするんだ」
「足元?」
ドロシーの足元で体を丸めてぷるぷると震えている小さなクリシーポス。今頃になって最後の一頭の存在に気付いた彼女は目を丸めた。
「……」
ドロシーは最後の一頭をまじまじと見つめる。
他の個体と比べても大きさは50cm程度と特に小型で、愛らしさが一層際立つ姿をしていた。
「やだ、可愛い」
彼女は思わず頬を染め、ぷるぷると震える毛玉を優しく撫でた。