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ようやく暑さが引いてきましたね。温かい紅茶が美味しくなります。
「ははは、そうだな……すまん。助かったよ」
「頼みますよ、本当に……」
「さっきので思ったんだけどさ」
「はい?」
「お前、やっぱりこの街に向いてるよ」
銃撃で多くの同族が倒され、更にパトカーによる突撃を受けて怖気づいたのか生き残った羊はその場から逃げ出していく。
だが残った死体からは既に新たな子羊が発生し始めており、警部達はその光景をうんざりしたような顔で見守るしかできなかった。
「……うわぁ」
「夢に出そうな光景だな……」
「どうします?」
万策が尽きたアレックス警部は静かに携帯電話を取り出し、重い溜息を吐きながら何処かに連絡を取る。
「確かに、俺たちの助けが必要な人は必ずいる」
「……はい」
「そして、そんな俺たちにも助けは必要だ。ちゃんと覚えておくんだぞ?」
何かを諦めたかのようなアレックス警部の笑顔を見て、若き警官は無意識の内に涙を流した……
そして時は戻り、時刻は午前11時。依然として警部達はパトカーの中で身動きが取れずにいた。
周囲を徘徊する羊達に車を破壊する力はないが、こちらも今は車外に出る事が出来ない。
「警部、足の怪我は大丈夫ですか……」
「ああ、大した傷じゃない。止血も消毒も済んだから後はお医者さんに診てもらえば安心だ」
「……」
「まぁ、この足で走るのは無理だろうな……」
警部はパトカーで羊達を轢き殺しながら進む事も考えたがすぐにやめた。
潰した羊にタイヤを取られて横転すれば元も子もない。
あのふわっふわっな毛は轢いた瞬間に車のタイヤに絡みつき、あっという間にその機能を奪うだろう。
「……新型に乗り換えるべきだったか」
近年から配備されている簡易ジェットを搭載した新型パトカーなら何とかなったかも知れないが、残念ながらこのパトカーは使い古された旧型だった。
〈めぺぇ~、めぺぇえ~〉
リュークの無茶な運転でパトカーは 横向き の状態で停車してしまっている事もあり、近くで立ち往生する車や羊が邪魔で方向転換に必要なスペースが稼げない現状では車を動かすのも難しい。
「せめてクラクションを怖がって逃げるくらいの可愛げがあったらなぁ……」
「最初は逃げましたけど、すぐに戻ってくるようになりましたね……」
「あの時にお前は逃げても良かったんだぞ? 近くの建物には逃げ込めるチャンスはあっただろうに」
「警部を置いていけませんよ」
「はっはっ、お前は本当にいいヤツだな! 大物になるぞ!!」
アレックス警部は嬉しそうにリュークの肩を叩いて称賛した。
しかしリュークは尊敬する上司の称賛を受けても、気の抜けたような愛想笑いをするだけだった。
「ははは……」
「褒められるのは苦手か? すまんな」
「いえ、警部が謝ることじゃないです」
「いて、いてててて……」
ようやく運転手が目を覚ます。
「ファアアアアアッ!?」
頬を赤く腫らした男は気怠げに起き上がり、窓の外を見て腰を抜かした。
「ふわぁぁ! 臭いふわふわに囲まれてるぅうううう! え、何!? 俺どうなったの! 車、車!? ここ車の中なの!? 誰の、誰の? え、もう捕まったの!? このまま殺されちゃうの!? やだぁあああああああー! 助けてママアアアアアアアア────ンン!!」
「おう、起きたか」
「ああああああっ、あなたはポリスメン! 僕を助けてくれたの!?」
「助けるって言ったろ」
目覚めた途端、運転手の男は濃厚なマシンガントークを繰り出してアレックス警部を苛立たせる。
「なんて素敵なポリスメン! この恩は一生忘れないよ! アンタにならケツを差し出しても構わない、俺の感謝の気持ちを是非受け取って!!」
「はいはい、いらないから。とりあえず大人しくしてろ」
「あれ、何で動かないの? 車出そうよ、さっさとここから離れようよ。何で止まってんの? 馬鹿なの??」
「あんな大きさの毛玉潰したら即タイヤ取られて横転するぞ? 少しは考えろ、俺の車は空を飛べないんだよ」
「じゃあどうするの! このまま男三人でパトカーの中でじっとしてろって言うの!? やだよ、絶対に何か起きちゃうよ!!」
八方塞がりの状況に混乱しているのか、それとも元からそういう気性なのかは定かではないが彼の一言一挙一投足が警官二人の神経を逆撫でしていった。
「あの、いい加減に落ち着いて!」
「落ち着けないよぉ! 俺はアンタと違って普通の人間なの! 凄いパワーや超能力とか丈夫な体とかを持ってる異人とは違うんだよぉ!!」
運転手の言葉にリュークは沈黙する。運転手は彼を人間ではなく異人として認識していたのだ。
「おい、こいつは人類種だぞ。異人種じゃない」
「え! その髪と目の色で!? いやいやいや何の冗談……」
「……はっはっ、やっぱそう見える?」
リュークは目を押さえながら乾いた笑いを上げる。
「そうだよねぇ……この色だもんね。そりゃ、普通の人間には見えないさ」
「おい」
「昔からいじめられたもんさ……俺だけじゃない、家族みんながいじめられた。両親の髪は綺麗な茶色、なのに俺だけこの色さ。はっはっはっ」
「……」
「魔女の子だとか、異人と浮気したとか、実は異人が化けているんだとか、何かに着けて言われたもんさ……いい子にしてなきゃ、友達も出来なかったよ。いい子にしてても中々出来なかったけどさぁ……はっはっはっ!」
今まで抑えていた感情がついに爆発したのか、普段の彼からは想像も出来ない顔で心情をぶち撒ける。
「おい」
「いやね、ホント。実はこの街に来たのもさ、外の世界じゃ────」
アレックス警部はリュークの胸ぐらを掴んで乱暴に引き寄せる。
「今のお前がなりたい自分は何だ?」
「え……」
「人間か? 異人か? 警官か??」
「け、警部……」
「俺はお前の親父じゃないから、一度しか言わん。当然、お前の過去に何があったとかを詳しく聞くつもりもない。いいか、よく聞けよリューク」
「……」
「この街に来た以上は、過去を忘れて今を見ろ。昨日を捨てて、今なりたい自分に全力で成り変われ。この街では何でも起きる、これまで通りに生きているだけじゃ お前はすぐに死ぬぞ」
「……ッ」
「過去に囚われたままがお望みなら、好きにしろ。もしそうでないなら……意地を見せろ。お前を悪く言った奴らじゃなく、自分自身にな」
リュークを放し、警部は運転席に深くもたれ掛かる。暫く沈黙した後、気まずそうに窓の外を見ながらボソボソと話し出した。
「まぁ、説教は苦手でな……今ので察してくれ」
「……ありがとうございます、警部」
「実のところ俺もなりたい自分になれているわけじゃない」
「……」
「それでも努力はしているさ。お前も、努力ぐらいはしてみろ……少なくとも気は楽になるさ」
「はは……」
リュークは小さく笑う。
納得出来た訳ではないが、その言葉を自分にかけてくれたアレックス警部の不器用な優しさに心打たれた。
そして自分の感情を本気で受け止めてくれる相手の存在を再確認できた事で、今まで密かに抱えていた悩みやトラウマが一気に軽くなったように感じられた。
「なりたい自分はよくわかりませんけど、憧れの人ならいますよ」
「なら、そいつの真似をしたらいいさ」
「ははは、頑張ってみますよ」
「はっ、ポリスメンさん。そんな綺麗事だけで生きていけるもんかよ」
後ろで黙って聞いていた運転手が不満そうにボヤく。
彼の表情は冷めきっており、警部の言葉を一から十まで納得出来ないという内心を顔全体で表現していた。