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「うおおっ!?」
「……エクセレントよ、アーサー」
「光栄の極みでございます、では参りましょうか」
二人を乗せて車は勢いよく走り出す。
「……ふぅ、せっかくのデートが台無しね」
ドロシーは溜息混じりに先程購入したばかりの魔法杖を黒箱から取り出し、軽く動作を確認した後に新品の術包杖を装填した。
「今日はどうしたの?」
「警部さんからです。12番街区の大通りで何やら面倒事に巻き込まれたようで……」
「あの子もよく面倒事に巻き込まれるわね。綺麗な奥さんも居て、可愛い子供もいるんだからもう少し命を大事にしてほしいよ」
「え、警部さんは結婚してるんですか? それに子供まで……」
意外そうに言うスコットにドロシーは優しく微笑みかける。
「ふふふっ」
「……な、何ですか?」
「ねぇ、スコット君」
「は、はい……」
「スコット君は子供が好き?」
ドロシーの口から発せられた言葉にスコットの思考は停止する。
「……えっ」
「僕は好きだよ。子供っていいよねー、可愛いし、輝いてるし、見ていて幸せな気分になれるの」
「そ、そうですか……」
「特に僕は赤ちゃんが好きよ」
身の危険察したスコットはドロシーから逃げるように視線を逸らし、高速で瞬きさせて老執事にアイコンタクトで助けを求める。
「……」
ルームミラーでスコットのヘルプコールを確認した老執事は無言でミラーを収納し、何食わぬ顔で車を走らせた。
「スコットくーん?」
「……ま、まぁ……可愛いですからね。赤ちゃんが嫌いな人は居ないんじゃないですかね……」
「ふふふ、だよねー」
ドロシーはスコットに寄り掛かり、物欲しそうな目で彼を見上げる。
彼女は敢えてボカしているが本能的に何を言いたいのか察してしまったスコットは滝のような汗をかいて目を泳がせる。
「あ、赤ちゃんならそろそろタクロウさんの所に生まれそうですし……今度、あの人に聞いてみれば」
「警部さんには少し遅れるとお伝えしましょうか」
「執事さん!?」
老執事が満面の笑みで発した台詞がスコットを更に追い詰める。
「そうね、少し遅れるって」
「何言ってるんですか、社長! 警部さんがピンチなんですよ!? もし手遅れになったら……」
スコットの視界の隅を白い何かが通り過ぎた。
「あれ……今、何か」
「ねぇ、スコット君」
「いや、さっき窓の外に」
「むー……」
ドロシーは突然、着ているコートを脱ぎ出す。
「ファッ!? ちょ、社長!!?」
「窓の外より、僕を見て欲しいんだけど」
薄手の白いドレスワンピース姿を晒し、動揺するスコットにドロシーはピッタリと身体をくっつける。
「どうしたんですか、社長! 熱でもあるんですか!?」
「確かに、身体はちょっと熱いね。ふふふふっ」
「しゃ、社長……」
「ねぇ、スコット君」
冷や汗塗れのスコットの顔を両手で掴み、ドロシーは強請るように囁いた。
「そろそろ、僕たちもカップルらしい事をしてみない?」
ドロシーは車内でスコットを押し倒す。哀れなマルチーズは愛に燃える金獅子に体の主導権を握られ、為す術もなくマウントを取られてしまった。
「社長、ストーップ! ストーップ! 何してるんですか! やめてください!!」
「やめないよー、お義母様も先生も勢いが大事って教えてくれたから」
「執事さん、助けてください! 社長がおかしくなりました!!」
「車はどの辺りに停めましょうか」
「執事さぁぁーん!!」
「冗談です」
アーサーはアクセルを踏み込み、車のスピードを上げた。いきなりの加速にドロシーは体勢を崩してスコットに倒れ込む。
「ふやぁっ!」
「はわあああっ!!!」
息のかかる距離までドロシーの顔が近づき、スコットは顔を真赤にして絶叫した。
「……ふふ、こうして見るとスコット君は可愛い顔してるね」
「あわわわっ……!」
「まずはキスから始める? それとも」
「しゃ、社長! 本当にいい加減にしてくださいよ! 俺たちはまだ……ッ!!」
スコットは動揺して何かを言いかけるが、すぐに口を塞いだ。
「……まだ?」
「……」
「どうしたの?」
その言葉を言い出しそうになった自分への嫌悪感で彼の頭は一杯になった。
「まだ……早いと思います」
「……そうかな?」
「……」
「……そう」
ドロシーはゆっくりと起き上がり、脱いだコートに再び袖を通す。
「アーサー」
「はい、お嬢様」
「急ぎなさい」
「かしこまりました」
老執事はアクセルを踏んで更にスピードを上げる。
スコットも気まずそうに起き上がり、凍りついた車内の空気に胸を痛めながら窓の外に目をやる。
「……あの、社長」
「なぁに、スコッツ君?」
「俺は……その」
「いいよ、気にしないで。僕は気にしてないから」
老執事は何も言わずに車を走らせる。彼にはわかっていた……スコットが何を言おうとしたのかを。だが敢えて深く詮索しようとは思わなかった。
(まぁ、今回はお嬢様が急ぎすぎたという事にしておきましょうか)
ドロシーの恋路を全面的に応援してはいるが、本当に脈が無いのなら諦めさせるのも彼女の為だと考えているのだ。
「……」
「気にしてないよ?」
「そ、そうですか……」
スコットの目の前をまた白い何かが通りかかった。白くてふわふわした毛に覆われた、羊のような生き物……
「……羊?」
キキィ────ッ!!
突然、車が急停車する。
「ふやっ!?」
「ふぐぅっ!!」
ドロシーは体勢を崩してスコットの頬に頭をぶつける。そこそこ強烈な一撃だったようで、スコットの鼻から血が滴り落ちきた。
「……大丈夫? スコッツ君」
「はい、大丈夫です……気にしないでください」
「どうしたの、アーサー?」
「羊です」
老執事の目に映るのは、ふわふわな毛に覆われた羊っぽいファンシーな生き物が群れをなしてこちらに迫ってくるシュールな光景だった。
『ギャーッ!』
『うわああああっ!』
『アバーッ!!』
よくよく見るとその羊っぽい生き物は通行人に襲いかかっており、走行中は気づかなかったが車の外から襲われる人達の悲鳴がうっすらと聞こえてきていた。
「……何ですか、アレは」
「……可愛い」
「えっ?」
「ごめん、あんまり可愛いかったから」
時刻は午前11時。アレックス警部が例のふわふわした羊っぽい新動物と接触してから、30分ほど経過した頃であった。