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「うわあああああああっ!」
警部の声を聞いた観衆が逃げ出す前に、下顎を大きく裂かせた毛玉の怪物が近くに居た男性に食らいつく。
「う、うわぁっ!」
男の悲鳴に気を取られている所を襲われ、また一人怪物の餌食となる。
〈めぷぁ〉
「ちょっ、ちょっと待って! 待っぎゃあああああああああああああああ!!」
「うわあああああああああー!!」
「何よ、この怪物……! ちょっ、来ないで! 来ないでええええええ!!」
《めぴゃあ》
「くそっ、何だこの化け物は!?」
警部は怪物に向けて発砲するが、倒した直後にその体から新しい怪物が産み出される。
「警部!」
「バカ、早くパトカーに逃げ込め!!」
「そう言われても……!」
リュークも銃を手に毛玉の怪物と交戦する。しかし勢いづいた怪物の進行は止められず、次々と犠牲者が増えていく。
《めぴゃぁっ》
あの怪物は餌を食べて腹が満たされた途端に繁殖する異常な能力を持ち、満腹になっていれば生命活動が停止しても子供を産み落とす事が判明した。
〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉《めぴゃっ》〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉《めぴゃっ》〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉〈めぺぇ〉
一匹だけだった筈の可愛らしい生き物は【餌】を得た途端にその数を増やし、群れなす殺人毛玉と化して逃げ惑う住民達に襲いかかる。
「もしもしポリスメーン! ちょっとお願い聞いてくれるー!?」
「ああ!?」
「助けて!!」
「言われなくても助けるよ!!」
迫りくる毛玉に向けて銃を連射しながら警部は妻と子供の顔をふと思い出したが、すぐに思考を切り替えた。
「こんな所でっ!」
まだ死ぬ訳にはいかない……アレックス警部はその決意を噛み締めてひたすら引き金を引いた。
◇◇◇◇
「……うーん、悩むわね」
メイスの店に飾られる魔法杖をドロシーは真剣な顔で物色する。付き添いで店に連行されたスコットは何とも言えない顔で彼女の後ろ姿を眺めていた。
「今日は何を買っていくのー?」
「悩んでいる所よー、メイスちゃんが仕入れる杖はどれも逸品だもの」
「ふふふー、ドロシーちゃんは褒めるのが上手だねぇ」
メイスはスコットの方を向いてニコッと笑う。
「……」
スコットは無言で目を逸らす。
先日に命を救われて以降、メイスはスコットを気に入っており何とかお近づきになれないかと思案していた。
「ところでメイスちゃん」
「なーに?」
「スコット君に手を出したら店を燃やすからね」
そんなメイスに笑顔で牽制しつつ、ドロシーは魔法杖が入った黒箱をレジカウンターにドンと置いた。
「い、いきなり何を言うのよ!? ワタシがドロシーちゃんの男を横取りするわけないじゃないー!」
「あははー、だよねー! メイスちゃんには旦那様が何人も居るもんねー、今更、スコット君に色目を使うわけないよねー!!」
「そ、そそそうだよー! もー、ドロシーちゃんたらー!!」
「うふふふふっ!」
目が笑っていないドロシーにビクつきながらメイスはレジに置かれた黒箱に目を通す。
「……おやぁ」
箱に書かれている銘柄を見たメイスはコロッと表情を変えて物思いに耽る。
「相変わらずこの杖が好きだね、ドロシーちゃんは。アンタが使う杖と言えば大体コレだよ」
「これが一番手に馴染むの。僕のお父様もよく使っていた名器よ」
「それならもう少し大事に使ってほしいねー、買ってもすぐ新しいのを買いに来るじゃないか」
「むぐっ……」
メイスの言葉にドロシーは目を泳がせながら、気まずそうに代金を支払った。
「はい、エンフィールドⅢ二本で3150L$キッチリ頂いたよー」
「大丈夫、今日の子は大事にするよ」
「ふふふー、よく持って5日かなー?」
「失礼ね、二週間は持つよ!」
ドロシーは箱を手にとってスコットと店を出る。歩き去る二人の姿を笑顔で見送った後、すぐ傍の写真立てに飾られた写真に目を向け……
「ふふん、横取りしやしないよ。たまに味見させてもらうくらいで十分ー」
メイスは妖しげに『けけけ』と笑った。
「……俺、あの店苦手なんですよ」
「そうなんだ」
「なので、次からは社長一人で」
「やだ、次もスコット君も連れて行くわ」
店を後にした二人は手を繋いで街を歩く。スコットは荷物持ちを任されていたが、すっかり慣れてしまったのか前ほど嫌そうにはしていない。
「……」
今日のドロシーの衣装は肌触りの良さそうな白地のダッフルコートで、羊毛のようなもこもこしたファーが袖口やフードに着いている。
いつもとは趣旨の異なる小動物的な可愛らしさのコスチュームにスコットは目のやり場に困っていた。
「どう? スコット君」
「何ですか?」
「似合ってる?」
「ふぁっ!?」
ドロシーは上目遣いでスコットを見つめる。スコットは咄嗟に上を向いて彼女と視線を逸らした。
「に、似合ってるんじゃないですかね……」
「ふふふー、ありがと」
「そ、それにしても社長はよく杖を壊しますよね。杖ってそんなに脆いんですか?」
「ううん、そんな事ないよ。上手に使えば何十年も持つね」
「そうなんですか!?」
「そうよ、基本的に杖は一生モノ。僕のテクニックに杖が追いつかないだけー」
うふふと意味深に人差し指を揺らすドロシーにスコットは思わず息を呑む。
「まぁ、あまり魔法を使わなければいいのよ。そうすれば今日の杖も長持ちするわ」
「……魔法使いの言葉とは思えませんね」
「魔法使いが魔法を使わずに済む世の中になれば万々歳だと思うよ。つまりそれはあらゆるトラブルや不自由から開放されたエクセレントな世界でー」
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ
ドロシーの携帯電話が鳴り響く。彼女はクスッ笑ってポケットから携帯を取り出す。
「もしもし、僕だよ」
『お楽しみの最中、失礼致します。実は……』
連絡を入れたのはアーサーだ。
今日は車を必要とする遠出ではないので行き先だけを伝えて屋敷で待機させている。だがそんな時に老執事が連絡を寄越すという事はつまり……
「そんな気がしていたわ」
『流石です、お嬢様』
「じゃあ、迎えに来てくれる?」
『はい、お嬢様』
キキキィィーッ
老執事に迎えに来るように伝えた次の瞬間、二人の目の前に黒塗りの高級車が停車する。
「只今、お迎えに上がりました」
運転席のドアを開け、長身の老執事が笑顔で参上した。