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二人は地獄で幸せなキスをして終了……
「……きて……」
「……ぉ、て……」
ある日の朝。質素なパイプベッドで眠るエイトの耳元で誰かが囁く。
「……んぐぅ」
しかし睡魔には勝てず、囁き声を無視して再び眠りに就こうとした……
「起きて、エイト」
「ぎゃあああっ!」
が、エイトは黒い触手に締め上げられて強制的に起こされた。
「はっ! な、何だ!? 何が……」
「ふふふ、おはよう。朝ご飯が出来たわよ」
「ああ……キャロラインか。頼むからこの起こし方は止めてくれねえかな?」
「こうでもしないと貴方は起きないでしょ?」
触手でぐるぐる巻にしたエイトにおはようのキスを交わし、キャロラインは幸せそうに言う。
「あー……毎朝寿命が縮むわ」
食卓でキャロラインと朝食を取りながらエイトはボヤく。
「嫌ならちゃんと起きてちょうだい。はい、あーん」
「努力はするよ……って、やめろやめろ。こっ恥ずかしい」
「遠慮しないで」
「むごぁ!?」
「美味しい?」
「……もがもが、美味しいれす」
触手による強制あーんでオムレツを口内に叩き込まれる。エイトは冷や汗を垂らしながら味のしない卵を飲み込んで愛想笑いした。
「しかしまぁ……器用に操るなあ、それ」
「私にとって新しい手足のようなものよ。一度、貴方と別れた日にはもう慣れたわ」
キャロラインは背中から生える触手を撫でてクスッと微笑む。
「お嬢にはまだ話してないけど、やっぱり正直に話すべきか?」
「ドリーの事だからもうわかっていると思うわ。でも、あの子が聞いてこない限りは黙っておきましょう」
「いいのか?」
「ふふ、あの子には随分と酷い目に遭わされたから……」
キャロラインはふと過去の出来事を回想する。
「いきなり魔法を撃ち込まれたのは流石に傷ついたわね……私なりに頑張って抵抗してみたんだけど……」
「……」
「ママもシェリーもルークも助けられずに逃げ出したの。結局、80年前に戻ってもあの子達と追いかけっこ……よく我慢できたと自分でも驚いているわ」
「……お疲れさんとしか言えねえよ」
「ふふふ、ありがとう」
コトンと机に古ぼけた懐中時計を置く。
それは彼女が過去に戻る前に渡された跳躍時計だ。
「せめて時計が使えていればね」
「戻った途端に動かなくなったんだったか? その時計」
「そう、不思議よね。近くに同じ時計があったからかしら、私もよくわからないけどこの時計はもう使えなくなったわ。今ではただのお守りよ」
キャロラインの跳躍時計は終点に到着すると同時に機能を停止した。
活性化状態の跳躍時計が既に存在していたせいか、それとも一つの時代に二つの跳躍時計が存在できないのか……それはこの時計の製作者にしかわからない。
「……で、お前の家にあった時計は執事さんに盗まれたんだって?」
「私もびっくりしたわ。まさかあの人が時計を盗んだなんて……」
実は80年前、マッケンジー邸には六人の人間がいた。マッケンジー家の五人と、彼らに雇われていたキャスター・レイバックという名の執事だ。
「素敵な執事さんだったのにね。屋敷を逃げた後に一度、会いに行ったんだけど……私だと気付いて貰えなかったわ。姿を見られた瞬間に管理局に通報されてまた追いかけっこよ」
「その時にそいつが時計を持ってると気づければなぁ……」
「ふふ、本当ね……あの頃の私はまだ甘々で世間知らずのお嬢様だったから」
キャスターはマッケンジー家がデアヴォロソ・ケイルスの襲撃を受けた際に真っ先に身を潜めた。
そしてケイルスが討伐され、80年後から帰還したキャロラインとドロシーが交戦している時に偶然、跳躍時計を見つけて回収。
そのまま誰にも言わずに時計を隠し持っていた。
高く売れると思ったのか、その頃から異界の道具を集める趣味があったのか……それを知る術も無い。
「よく見つけられたよな、本当に……」
「悲しいけど、時間は沢山あったから。この身体は歳を取れないみたいだしね。ふふっ、それでもギリギリだったけれど……」
「……お疲れさん」
「ありがとう」
エイトはキャロラインの皿に自分のベーコンを分け、そっと彼女の手に触れた。
「……何ていうか、何だ。とりあえず……」
「気を使わなくていいわ。貴方が人を励ますのが下手なのは知ってるから」
「……ソウデスカ」
「私が選んだのよ。いずれ魔人になる未来の私の為に、他の私を見捨てることも。ドリーや皆に真実を隠し続けることも。生き残る為に人の道を外れてしまったことも……」
キャロラインはエイトの手に自分の手を重ね、この80年間の思いが込もった複雑な笑みを浮かべる。
「私が選んでそうしたの」
「……」
「もう一度、貴方に会いたかったから」
そのキャロラインの顔を見て、エイトは思わず口を紡いだ。
「……本当に、強い女だな。お前は」
「どこかのお馬鹿さんのせいでね。あんなに尽くされたら忘れられなくなるわよ」
「俺でもどうしてあそこまでやったのかわかんねえけどな」
「一緒に居られたのは、たった数時間だったのにね。それだけで80年も耐えられるなんて……」
キャロラインはエイトの頬を指でつっつき、
「80年間我慢させた分、最低でも貴方にはあと80年生きて貰わないとね?」
クスクスと誂うような笑顔でそう言った。
「無茶言うな、バカヤロー」
「冗談よ、半分はね。ほら、朝食が冷めちゃうわよ」
「……俺は猫舌だからわざと冷ましてるんだよ」
「そう……じゃあもう少し冷ます?」
「冗談だよ!」
「うふふふっ」
「ははっ……」
二人は笑いながらナイフとフォークを手に食事をする。
「そう言えばドリーにもようやく彼氏が出来たみたいね」
「ああ、あのスコットとか言う化け物か……」
「ふふ、お似合いの二人だと思うわ。ずっとドリーを見てきたけど、あれくらいの男じゃないと釣り合わないでしょうね」
「……ひょっとしてお前、俺が死にかけてたのも」
「ええ、貴方の事もずっと見てたわ。その脚はドリーのせいでそうなったのね」
「……助けろよ」
「ふふっ、嫌よ。あの時の貴方は悪い人だったから」
どちらも生き延びる為に人の道を外れ、その手を汚してきた者同士。
そんな彼らの居場所はもはやリンボ・シティでも限られた場所しか無いだろう。
「ん、待てよ。つまりお前……俺がこの街で何をしてきたか」
「全部、見ていたわ」
「……それでも、俺を選ぶのか?」
「勿論、私が決めたことだもの。それに……」
それでも、エイトはそれなりに。キャロラインは大いに満足していた。
「貴方も自分で決めたんでしょう? 生きる為に何でもするって」
「……」
「それに文句を言う資格も権利も私にはないわ。あの子達の恨み言は死んだ後に幾らでも聞いてあげましょう」
「……はっはっ、そうだな。死んだ後に……地獄でな」
「ふふふふ」
「はははっ」
例えそれが地獄の果てであろうと、こうして共に時を過ごす以上に幸せな時間など無いのだから。
Chapter.15「八十年後のあなたへ」end....