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「……報告は以上になります」
「……そう、見つからなかったのね」
サチコは大賢者に報告する。
内容は姿を消したキャロライン及び、彼女から生まれ落ちたデアヴォロソ・パイデスの潜伏先を突き止める為の大規模な捜索についてだ。
「過去の事例から判断しますと既にパイデスは誕生し、街の何処かに潜んでいると推測するのが妥当ですが……少し疑問が残りますね」
「それに警官からの報告も気になるわね。背中から黒い触手が生えたと……」
パイデスの目的は子孫を増やす事のみ。母体から生まれ落ちて成体となった彼らは繁殖する為に行動を開始する。
他生物に卵を産み付けてから4時間30分で新しい個体が生まれる以上、丸二日経過しても処理出来なかった時点で管理局の処理能力を上回ってしまう。
つまり、本来であればこの街は化け物で溢れかえっているはずなのだ。
だが大繁殖している筈のパイデスの姿が全く見当たらない。繁殖と進化のみを目的とする生物が、大人しく潜伏しているだけというのは考えられない事だった。
「例の黒い人型生物の死体の解析は今日だったかしら?」
「はい、既に第一研究室で解体準備が……」
ヴヴヴッ、ヴヴヴッ
突然、サチコの携帯端末に連絡が入る。
「はい、私です。ええ、今……え?」
サチコの目が大きく見開く。そんなサチコの顔を見て、大賢者は嫌な予感を察知した。
◇◇◇◇
場所は変わり、リンボ・シティ13番街区にある共同墓地にて
「よう、久しぶりだな。元気にしてるか?」
エイトは適当に拵えた花束を持ってマッケンジー家の墓を訪れていた。
誰かが一足先に訪れていたのか、墓前には白いライラックの花束が添えられている。
「悪いな、遅れちまって……そんな顔すんなよ、こっちも大変だったんだ」
エイトは墓の前でしゃがみ込み、天国のキャロラインと彼女の家族に花束を捧げた。
あの後、翌朝には全快してブレンダの診療所を後にした。
畜生眼鏡二号からは法外な治療費を請求される所であったが、どこかの誰かが既に支払ってくれていたらしく冷やかしだけで済んだ。
「ありがとな、傷が塞がったのはお前のお陰だろ?」
キャロラインは彼と口づけを交わしたとき、その体内に多数の小さな触手を送り込んでいた。触手は体内からエイトの傷を塞ぎ、体の一部となる事で彼の命を救ったのだ。
「さて……」
エイトは冷たい両脚に力を込めて立ち上がる。
目的はただ一つ、彼女の遺体を取り返す事だ。既に彼女の命は尽きているが、かといってその体を調査の為といって切り刻まれるのは我慢できない。
「ま、お前は望んでないかもしれないけど……別にいいよな。多分、見つける前にやられちまうだろうが……ここよりはずっと」
「何処に行くの?」
エイトの背後から聞こえた 女性の優しい声。
「……」
聞き覚えのある声を耳にした彼は硬直し、すぐに振り向く事が出来なかった。
「ふふふ、貴方の会いたい人はそこには居ないわ」
少し時を遡って午後1時頃、生物部第一研究室にて解剖される直前に触手の魔人が息を吹き返した。
「ええ、ですから秘書官……大至急応援を!!」
「い、いてて……」
「マチルダさん! 大丈夫ですか!?」
「……」
「くそっ! 何だアイツは……死んでなかったのか!?」
「……ごめんなさい、ちょっと お酒買ってきてくれない?」
「マチルダさん、しっかり! まだ仕事中ですって!!」
復活した魔人は職員達を触手で無力化しながら逃走、追撃を振り切って再び姿を晦ました。
「見つかったかぁー!?」
「見つかりませーん!」
「クソァァー!!」
連日街中を駆けずり回っていたジェイムス率いるキャロライン捜索隊は急遽【触手の魔人討伐隊】へと名前を変え、その対象を魔人へと変更して再び奔走する羽目になった。
『……繰り返します。脱走した触手の魔人を確保、無力化するまで皆様は決して家の外に出ないでください』
「うるせぇぇ、知るかボケェェェェェーッ!」
「何が魔人だコラァ! 俺がぶっ殺してやるよぉおー! 元第三世界チャンプ舐めんなぁぁー!!」
「出てこい、クソッタレェェー! 僕様自慢のギョーンガンを食らわせてやるよぉー!!」
更に度重なる緊急事態の連続に住民達の不安と緊張はついに明後日の方向に消し飛び、外出禁止令が発令されているというのに街中では殺気立った住民が我が物顔でのし歩く。
「あははーっ! 待ってよ、ジョニー!!」
「はっはー、捕まえてみろや!」
「くそったれー! チェーンガンをくらえー!!」
「うわーっ!!」
「こら、ガキ共ー! 外は危ねえぞ、家に戻れー!!」
「あははーっ!!」
二日ぶりに家の外に飛び出して遊ぶ子供達に、一致団結して魔人確保に乗り出す自警団、そして何処かから聞こえてくる爆発音。
静まり返っていた異常都市は、まるで息を吹き返したかのように賑やかな喧騒で住民を出迎える。
……ォォォォン
「久々に街が賑やかになったと思えば……原因はお前かぁ」
「大人しく待っていても良かったけど、お腹にメスを入れられそうになったから……ついね」
異常都市の賑やかな息吹はエイト達の所にまで聞こえてきた。
「……何だか、声と雰囲気が少し変わってねえか?」
「そうね。だってもう貴方よりずっと年上なんだもの……」
「……覚えてるか? あの時の」
「ええ、忘れてないわ。私は、この日のためにずっと貴方を待っていたんだから」
エイトが振り向くと黒いローブを纏う奇妙な婦人が立っていた。
「エイト、貴方が生まれる……ずっと前からね」
彼女は静かに顔を覆うフードを降ろす。
「……ははッ」
その素顔を見たエイトは思わず目に涙を浮かべながら笑ってしまう。
「ふふ、相変わらず酷い顔ね」
目の前に立つ婦人の素顔、それはあの日のキャロラインそのままだった。
毛先は黒く変色し、肌の色も薄くなっている。だがその紫色の瞳と、灰色の頭髪、何より別れる前にも見せた儚くも美しい笑顔は紛れもなく彼女のものだ。
「でも、私はその顔が好きよ。貴方と離れてからもずっと……忘れることなんてなかったんだから」
正体不明の黒い奇婦人、それは80年前に帰還したキャロラインであり、そして黒い魔人が触手のドレスを脱いだ姿だった。