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かつて誰かが言いました。祈るだけでは駄目だと。
「何でだよ……!」
エイトは思わず立ち上がろうとするが小夜子に抑えられる。
「落ち着いてください、今はまだ安静にして……!」
「何で、何で殺した! その化け物は……!!」
「あらあら、いきなりどうしたの?」
「ソイツが……!!」
「……ソイツが?」
思わずその正体を叫びそうになったがエイトには言えなかった。
言ったところで彼女はもう戻らない。
(言えねぇ……)
(言えねぇよ……!!)
何も言えずに顔を覆い隠し、エイトは絶望のあまり慟哭する。
「ふぅん……」
その反応を見てブレンダは察した。
どの道、回収された触手の魔人はいずれ管理局によって解析される。エイトが話さずとも彼女達はその正体を知る事になるだろう。
「俺は……何も……!」
「……そう」
「アイツに何も……、してやれなかった……!!」
「小夜子、もういいわ。仕事明けでしょう? 寝てなさい」
「先生……でも」
「その男は、もう放っておいていいわ」
ブレンダに言われて小夜子はエイトを放し、泣き崩れる彼を複雑な表情で見つめながら部屋を出ていった。
「ねぇ、ここからは私が聞きたいんだけど」
ブレンダは再び煙草を取り出し、無造作に口に咥えて問いかける。
「……何を、だよ……!」
「アンタが最後に見たあの子の顔は笑っていたかしら?」
その言葉を聞いたエイトの脳裏にキャロラインの顔が浮かぶ。
泣いた顔、怒った顔、そして絶望した顔。思い返せばそのどれもが美しいものであったが、最後に見せたあの笑顔はどの顔よりも美しかった。
「だったら……何なんだよ」
「羨ましいわね」
「……お前っ!」
「私が見た顔は、どれも泣き顔だったわ」
ブレンダは立ち上がって怠そうに歩き出す。
「別れ際に女が笑うのは、幸せだったってことよ」
ドアの前で立ち止まり、振り返らずにそんな台詞を口にした。
「……!?」
「アンタは何もできなかったとか言ってたけど、実は他の誰にも出来ないことをしたのよ?」
「何なんだよ!」
「アンタはあの子を幸せにしたの。絶対に救われない女をね、立派じゃないの」
その言葉を残してブレンダも部屋を出た。
一人残されたエイトは彼女に返す言葉が見つからず、呆然とドアを見つめていた。
「……ははっ、畜生」
力なくベッドに倒れ込み、エイトは乾いた笑い声を上げた。
悲しい筈なのに、何故か笑いが止まらなかった。
「はっはっはっ、ひでぇよ。あんまりだよ……神様」
不意に口にした 神様 という言葉。だが、自分に神に祈る資格など無い事にすぐに気がついた。
「ははっ、畜生……そうだよな。俺が……アンタに文句を言う資格なんてねぇや……はっは……はは、ははははっ……」
そして過去の自分がしてきた事のツケが、今になって回ってきたのだと思うと更に笑いが止まらなくなった。
『聞いていい?』
『……なんだよ』
『どうして、ここまで私を助けてくれるの?』
『知らねえ、考える前に身体が勝手に動く。それだけだ』
『……今も、そうなの?』
脳裏を過るのは彼女と交わした会話。その全てがエイトの心に突き刺さる。
『それでも、覚えていてくれる?』
『……覚えていたらどうするんだよ。お前が、97歳まで長生きして会いに来るっていうのか……?』
『答えてよ、エイト』
彼と再会した時、そして過去の自分を抱えて走り去る彼を見送った時、白い仮面の下で彼女はどんな顔をしていたのだろうか。
「なぁ、キャロライン……俺さ」
エイトは震える声で言った。あの時に言えなかった言葉は、驚く程にすんなりと口に出せた。
「きっと、お前のことが────……」
殺風景な部屋の天井は、エイトの告白に身も凍るような沈黙で答えた。
◇◇◇◇
『……ですので、くれぐれも不要不急の外出はお控えください。特に13番街区付近にお住まいの方々は細心の注意を払い、決して路地裏には近づかないよう……』
「うーん、大変ねー」
翌日、13番街区にあるスコットの部屋で緊急ニュースを見ながらドロシーは優雅に紅茶を啜る。
「つまり、この街には例の化け物の子とそいつが産んだ子がそこら中に居るってことですかね?」
「あの子を殺し損ねちゃったからね、そういう事になるわねー」
「困ったわね」
「その割には呑気だね、君達!?」
カラーン、カラーン、カラーン
キャロラインの無力化に失敗して街は混乱の渦に包まれていた。
先日から定期的に緊急事態を報せる鐘が鳴り響き、13番街区周辺の皆を怯えさせる。
「あ、また鐘が鳴りましたね」
「そろそろ13番街区がポイされちゃうかな?」
だが、スコット達は至って平常どおりであった。
「……で、実際のところどうなんですか?」
「本当に駄目だったならとっくにこの街は終了してるわ。そうならないのは僕が知らないところで奇跡が起きたってことね」
「……」
「詳しい話は後でエイト君にでも聞きましょう」
テーブルにティーカップを置いてドロシーは小さく笑う。
「……何だか今日の社長は機嫌が良いですね。一昨日のアレが嘘みたいですよ」
「ふふん、わかる? 実は久し振りにすごく良い夢を見たからね」
「どんな夢ですか?」
「殺した友達が僕に会いに来る夢よ」
笑顔でブラックな夢の話をするドロシーにスコットとニックは今日もドン引きした。
「きれいな黒いドレスを着てね、夢で僕に挨拶しにきたのよ。『私、お嫁さんになるのよ ドリー』って」
「……それ以上、聞きたくないですね」
「……同感だ」
「その子の名前はキャロラインっていうんだけどね」
「聞きたくねえっての!」
「いままであの子が出てくる夢はどれも怖い夢だったのよ」
ドロシーはそう言ってスコットの肩にもたれ掛かる。
「初めてなの、幸せそうなあの子を夢で見るのは」
「……だから機嫌が良いんですか?」
スコットの言葉を聞いてドロシーは『うふふ』と笑う。
「実はね、僕の夢はよく当たるのよ」
「でも、彼女を救う方法なんてないんですよね? ということはやっぱり何処かで死んだって事じゃ……」
「そうね、確かに僕達にはあの子を救う方法は見つけられなかったけれど……」
ドロシーは目だけを動かして窓の外を見る。そして透き通った冬空を見ながら少し物思いに耽った後、
「もしも神様が助けてくれたなら どうにでもなるんじゃないかな?」
彼女らしからぬふにゃっとした笑顔でそんな世迷い言を呟いた。




