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「……ッ」
エイトは魔人の姿を目に焼き付けた後にキャロラインを抱き上げ、触手が指し示した方向に走り出す。
「何だよ、何なんだよあいつは! 何がしたいんだよ……!!」
今は触手の魔人が何故自分達を助けたのかを細かく考えている余裕はない。
キャロラインが死ぬ前に、マッケンジー邸に到着しなければ全てが無駄になってしまう。
「……私ね」
「ああ!?」
「私……本当は、嬉しかったみたい。貴方に助けられたのが」
「……!」
「ふふふっ……何よ、ひどい顔……」
キャロラインは目尻を濡らして走るエイトの頬に触れ、消え入るような声で言った。
「……」
「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
魔人は二人を追おうともせずに見つめていたが、そんな触手の魔人に叫びながら誰かが向かってくる。
「見ぃぃぃいいいいいつけたぁああああああ────!!!!」
ようやく獲物を見つけたアルマは地面を蹴って跳躍し、触手の魔人に向けて万感の思いを込めた飛び膝蹴りを放つ。
「!?」
アルマの全体重を乗せた膝蹴りをモロに受けた魔人は大きく吹き飛んだ。
「よぉ、久し振りだなぁ!」
「……!!!」
「逃げ切ったと思ったか!? ざーんねぇぇぇえん!!」
魔人の身体に膝を乗せたまま地面に叩きつけ、仮面のような不気味な顔を覗き込みながらアルマは獰猛な笑みを浮かべる。
「あたしから! 逃げられると! 思うなよぉぉぉーっ!!」
叩きつけた触手の魔人のマウントを取り、アルマは笑いながら黒刀を振りかざす。魔人は黒い触手でアルマの顔面を打つが、彼女は全く怯まずに黒刀を魔人の肩に突き刺す。
「ーッ!!」
「はーっはっは! もう逃げられねえなぁ! お前が死ぬまで! 絶対に逃がさねえぞー!!」
地面に縫い付けて逃げられないようにしてから、アルマは魔人の顔面に殴りかかった。
「くそっ、何処に……ってあぁ!?」
「どうしたんです……ッてうわぁ!?」
其処にジェイムスとロイド、そして別方向から彼らと別れ、更に片手間に倒された不憫な二人と手分けしてエイト達を追跡していた魔法使い達が通りかかる。
「うおっ、例の男の姿を確認……ッ何だ!?」
「ファッ!?」
「早く追え……ってなぁにこれぇ!!?」
「あたしのっ! ドリーちゃんをっ! 虐めた罰だぁっはっはぁーっ!!」
狂気の笑いをあげて異形を殴り続けるアルマを今は無視し、魔法使い達はエイトを追いかけようとする。
「……ュギィッ!」
しかし魔人は執拗に攻撃されながらも触手を伸ばして彼らを妨害し、自分の上に跨るアルマの首に触手を巻きつけて締め上げた。
「かっ……はははは……ッ!!」
触手の魔人はアルマの首を締め上げたまま持ち上げ、そのまま地面に数度叩きつける。
アルマを叩きつける傍ら、残る触手を伸ばして魔法使い達を攻撃。そして触手の攻撃に怯むジェイムスに向けてアルマを投げ飛ばす。
「ああああっ!」
「うおおおっ! 何だ、大丈夫か!?」
ジェイムスは飛んでくるアルマを咄嗟に受け止める。
「あっ、はははっ! うるせぇ! 離せ、アイツを殺す!!」
「……」
「おやおや、また服が汚れて……痛々しいお姿になられましたなアル様」
「あ、執事さん!? どうして此処に……」
「はーなーせー! はーなーっせー! こーろーすーっ!!」
老執事も遅れて到着し、衣服が破れて眩しい肌が露出しているアルマに声をかける。
「はなせっ、はなせよーっ! アイツを殺すんだぁーっ!!」
だがアルマは極度の興奮状態にあり、周囲の言葉が全く聞こえていないようだ。
「はぁぁぁっ! なぁぁぁぁっ! せぇええええええーっ!!」
「わかった! わかったから暴れ」
「ゔぁぁぁぁぁあっっ!!」
「おぶぁっ!!」
親切に自分を受け止めてくれたジェイムスの腕の中で手足を振り回しながら駄々っ子の様に暴れ、しまいには彼の頬を殴打する。
「先輩ーっ!!」
突然の無慈悲な右フックを顔面に受けたジェイムスは白目を向いてアルマを地面に落とすが、彼女は地面に四つん這いの姿勢で着地して目前の魔人を睨みつける。
「ふーっ!!」
ジェイムスはそのまま後ろに倒れこみ、ロイドに受け止められた。
「今のアル様には関わらないのが吉ですぞ」
「どういうことなの!?」
「くそっ、警察の人! 聞こえますか!? 二人を発見! 繰り返します、二人を発見しました! 彼らはマッケンジー邸の方向に向かって走っていきます、至急確保してください!!」
畳み掛ける衝撃に動転する若手魔法使い達を尻目に、アルマは魔人に向かって勢いよく駆け出した。
「逃がすかぁぁぁーっ! お前はっ! ここでっ! あたしにブチ殺されるんだよぉぉーっ!!」
可憐な見た目からは想像できないような、狂気の笑みを浮かべながら。
「……ヒュウッ」
相対する触手の魔人も突き刺さった黒刀を抜いて触手を周囲に伸ばし、突撃してくるアルマを出迎えた……
◇◇◇◇
午後1時45分、異常管理局セフィロト総本部 賢者室にて。
「……はい、わかりました」
「居場所は掴めたの?」
「はい、キャロライン・マッケンジーと彼女を連れて逃げる男は現在、マッケンジー邸に向かって逃亡しているようです。既に現場の職員が警察に連絡を入れ、彼らが屋敷に急行しています……」
「そう……」
「大賢者様?」
執務机の上で手を組み、大賢者は思い詰めた表情を浮かべて沈黙していた。
「もう時間がありません、彼女は確保次第……」
「そうね、それしかないものね。場合によっては一緒に逃げている男性も」
「恐らく……警官たちもそのつもりでしょう」
「せめて、時計が見つかっていればね……サチコ、紅茶をお願い」
「はい……」
サチコが背を向け、紅茶の用意をしている間に大賢者は曇天の空を見上げた。
「……」
頬を一筋の涙が伝うが、大賢者は静かに拭う。
「ヤモッ」
机の上で彼女を見上げていたヤリヤモちゃんはそれに気づき、パタパタと手を振って声をかける。
「ヤモッ、ヤモッ」
「……ふふ、どうかしたの?」
「ヤモー」
「何でも無いわ、大丈夫。気にしないで」
心配して手に寄り添ってくるヤリヤモちゃんを優しく撫で、小さく笑いながら独り言を呟いた。
「……本当に、今日は酷い日だわ。そうでしょう? ドロシー」