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残念ながら、このエピソードに慈悲はありません
「なら、どう死のうが関係ねえよな」
梯子を登りながらエイトは淡々と喋る。
「……そうね」
「あの世に着いたら家族にちゃんと言えよ?」
「何て……言えばいいのよ」
「私は、頑張って生きました……ってな」
キャロラインは不器用なエイトを見ている内に、高鳴る鼓動の意味を何となく察した。
(……ふふ、冗談でしょ)
(だって、ありえないでしょ……)
だが、すぐに忘れる事にした。その意味は絶対に言葉に出したくないからだ。
「ぐっっ……そ! 重てえなぁ! うらああああ!!」
マンホールの蓋を開け、穴から地上の光が差し込む。
エイトは頭を出して周囲を見回す……そこには誰もいなかった。
「はっ、これは喜んでいいのかねぇ……?」
運が良いのか悪いのか、エイト達が表に出る時は決まって追っ手が通り過ぎた後だ。
「大丈夫だ、上がってこい!」
地上に出たエイトは地下のキャロラインに声をかけ、彼女は錆びたハシゴを嫌そうに登る。
「ほら、手を」
「あ、ありがと」
そして自分に差し伸べられたエイトの左手を取り、地上に出ようとした瞬間だった。
「……ッ」
「何だよ、今は誰もいねえってさっさと」
「エイト……ごめん、やっぱり地下に居たほうが良かったかも……」
キャロラインの瞳に映るのは、あの時に見た白い仮面のような顔。
「……」
そして不気味に蠢く黒い触手。
エイトの背後には、アルマ達の追跡を振り切った触手の魔人が立っていた。
「……勘弁してくれよ」
キャロラインの表情から色々と察したエイトはうんざりしたような顔をした後に手を離し、せめてキャロラインだけでも地下に逃がそうとするが、背後から黒い触手が伸びて彼女を捕らえた。
「……ッ」
もはやキャロラインは悲鳴をあげようともせず、ただ震えながら魔人を凝視する。
触手はそんな彼女をゆっくりと地上に引き上げる。エイトの背中には冷たい汗がとめどなく溢れ、その表情も凍りつく。
魔人は静かにキャロラインを地面に降ろし、凍りつく二人を静観した。
「キャロライン……逃げろ」
「駄目……走れない」
「頼むよ……ここまできたらわかるんだろ。俺がなんとか食い止めるから」
「動けないんだってば……」
「クソが……!」
『もう駄目だ』と二人は思った。
せめてキャロラインを自宅に送り届けてから白黒つけようと思っていたエイトもさすがに諦めた。彼は黒い獣がどんな姿であったのかわからないが、背後に居る化け物はそれの同類であろうと直感的に理解した。
(……こりゃ無理だな)
そしてこの化け物が、自分の手には負えない相手である事も。
「何よ、一体何なのよ……殺すなら、一思いにやってよ!!」
「逃げろよ、バカ女!」
「腰が抜けてんのよ、察してよ! もういいわ、好きにしなさい! 殺すなら殺して!!」
様々な感情が脳内を駆け巡ってオーバーヒートを起こしたキャロラインはその場にバターンと倒れこむ。
そして両手を広げて『もう好きにしてください』と言わんばかりのポーズを取り……
「殺すなら、殺せーっ! 私はもう逃げないんだから!!」
「……」
「パパ、ママ、ルーク、シェリル! 見てる!? 私、頑張ったわよ! 精一杯頑張りましたーっ!!」
「……こんな結末アリかよ」
エイトも思わず涙を浮かべて彼女から目を逸らす……愛する家族と天国にいる30人のキャロラインも今頃、涙を流して31人目の彼女を見守っている事だろう。
「……」
しかし触手の魔人は二人を襲わずに胸元に黒い触手を入れて何かを取り出す。魔人は呆然とするキャロラインに向けて触手を伸ばして金色に光る何かを渡した。
「……え?」
「……」
「嘘……どうして、どうしてこれが!?」
「……なんだよ!?」
「跳躍時計……、そうよ! これがその時計よ!!」
魔人が彼女に渡したのは、所在が解らなくなっていた筈の跳躍時計であった。
どんな数奇なめぐり逢いを経てこの時計が魔人の手に渡り、そして今31人目のキャロラインの手元に戻ったのか……恐らくこの世の誰にも理解できないだろう。
「マジか!?」
「これがあれば過去に帰れるわ!」
「ま、待て待て! 何でコイツがその時計を!?」
「知らないわよ! でも、この怪物は私達を襲わないし……きっと味方なのよ!!」
しかし、時計が彼女の手に渡った事でこの事件の終わりが見えてきた。
まだまだ謎は残されているが、今はただこの異形に感謝し、全力でマッケンジー邸まで駆け抜けるだけだ。
「あ、あの……ありがッ」
────パキンッ
……そう思った瞬間だった。
黄色い光の弾丸がキャロラインを背後から貫く。突然、胸元に風穴が開き 自分の身に何が起きたのか理解できない彼女はただ困惑するしかなかった。
「……え?」
キャロラインから後方に20m程離れた場所には、杖を構える二人の魔法使いの姿があった。
魔法使い達は何も言わずに悲痛な表情を浮かべて立っている。彼らは既に覚悟を決めていたのだ。彼女の為に、彼女を殺す事を。
「……嘘、でしょ……」
その少女に課せられた運命とは、やはり残酷なものだった。
ワンピースは傷口から溢れる血に染まり、キャロラインは無意識にエイトの顔を見ながら倒れた。
「あぁあぁあああああああああ!!!」
エイトは絶叫して横たわるキャロラインに駆け寄る。
「おいっ、おい……嘘だろ、おい! 嘘だろ!?」
自分の前方には魔法使いが、後方には魔人がいるという絶体絶命の状況にも関わらず無我夢中でキャロラインに声をかけた。
「おい、死ぬなよ? ここで死ぬな、頼む、頼むから!!」
「エイト……」
「ああ……、生きてるな。お前の家に帰るぞ……」
「ふふふ……やっぱり、私は……死んじゃうのね」
キャロラインは力なく笑いながら呟いた。胸から止めど無く溢れる血はその傷が致命傷である事を暗に告げていた。
「お前の家は何処にある!?」
それでもエイトは彼女に声をかけ続ける。
「おい、キャロライン! お前の家は何処だよ! 連れてってやる……連れてってやるから!!」
「……」
「まだ死ぬな! 俺が殺すから……、俺が殺すまで死ぬな!!」
エイトは血まみれの彼女を抱き抱え、必死に声をかける。
その悲痛な叫びに胸を焼かれ、二人の魔法使いは思わず目を瞑った。一人が携帯端末を起動し、遣る瀬無い想いを抱えながら管理局本部に連絡を取る。
「対象を処理しました……これから遺体を確保します」
「おい、待て……二人の後ろに誰か……ッ!!」
キャロラインの追跡に必死だった魔法使い達は、二人の背後に立つ黒い異形の存在に気づくのが遅れてしまった。
そしてエイトの背後から、ゆっくりと魔人の黒い触手が伸び……
「聞こえてるか!? 死ぬなって言ってんだよ! 俺は、俺は……ッ!!」
「おい、早く逃げろ! 後ろに!!」
「!?」
魔法使いの言葉で我に返り、振り向いたエイトの目前に黒い触手の群れが迫る。
避けきれないと悟ったエイトは諦観に満ちた笑顔を浮かべ、キャロラインを強く抱きしめながら静かに呟く。
「ああ、畜生……ついてねぇ」
だが触手はエイトを攻撃せず、彼を避けるようにして魔法使い達に向かって突き抜けた。
「何っ!?」
「……くそっ、来るぞ!!」
迫り来る黒い触手を迎撃しようと魔法を放つが、一斉に襲いかかる触手を捌ききれずに全身を打ちのめされる。
バシン、バシバシバシバシバシィッ!
二人は悲鳴を上げる前に意識を刈り取られ、そのまま膝から崩れ落ちた。エイトは不意に視線を前に向けるが、そこには二人の魔法使いが倒れているだけだった。
「な、何……!?」
状況が理解できずに困惑するエイトの眼前に伸びる触手は、彼を襲わずにある方向を指し示した。
「お前……!?」
「……」
その触手の先にあるのはキャロラインの生家。全ての始まりであるマッケンジー邸であった。