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「……」
「……」
メールを見終えた二人は沈黙していた。
「……ッ」
あまりに悲惨な真相にエイトは絶句し、キャロラインは放心状態でエイトに凭れ掛かる。その紫色の瞳から自然に涙が溢れ、生きる気力は完全に失われていた。
時間を跳躍する際に起点に跳躍時計を置き忘れる、もしくは着地点で時計を紛失した場合 使用者は元の時代に戻れなくなる。
そして使用者が別の時代で死亡した場合、来年の同日には起点となった時代から使用者が着地点に再び送られてくる。
その使用者が死亡した場合、来年にまた使用者が現れ、その使用者が死亡した場合は……それの繰り返しだ。
時計を使用して終点に到着しない限り、キャロラインはこの時代で死亡しても1年が経過するごとに何度でも着地点にやって来る。
そして誰かに殺されるという事を繰り返す。この事件に関わる者たちの精神が磨耗していくのも無理はない。
ドロシーと大賢者のようにキャロラインと直接親交を持つ者にとっては正しく悪夢にも等しい事案だ。
キャロラインを生かしたまま幼体を摘出する試みは全て失敗している。例え脳を摘出してから肉体ごと幼体を処理しても、脳だけとなったキャロラインは如何なる延命処置を施そうとも着地点に到着してから1年が経過した時点で死亡してしまう。
つまり使用者が時間跳躍で訪れた時代に滞在できるのは最大で1年間のみであり、それまでに終点に到着出来なければ必ず死亡する。
そうなった場合は最初に使用した所有者が存在した着地点が【A】となり、1年後に同じ場所に現れる所有者の着地点は1年ずれた【A´】となる。
着地点は1年ずつずれる事になるが後から来る使用者にはその自覚はなく、使用者は最初からその着地点【A´】に設定するよう【過去改変】が行われているのだろう。
事件の原因となったのは80年前に異界門から現れた異世界種だ。
しかし、事件が解決しない最大の要因はキャロラインに宿った幼体でも、ましてやそれを産み付けられたキャロラインでもない。
跳躍時計という心無き道具こそが全ての元凶なのだから。
「あははは……っ、あははははははっ」
キャロラインは泣きながら笑い出す。
エイトは何も言わずに彼女を抱きしめ、悔しさのあまり血が滲むほど唇を噛んだ。
「ねぇ……、どうしようエイト……私もう、何も考えられないよ」
「何も言うな」
「私ね、正直に言うと……助かるかもって思ってたのよ。虫のいい話だけど……」
「何も言うなって……」
「それが、何よ……幼体って……私、私の中に」
「もういいよ、家に帰ろう」
「最初から、死ぬしかなかったんじゃない! あははっ、死んでも来年にはまた私が来ちゃうんだけどね、あはは、あはははっ!!」
キャロラインの精神の均衡は完全に崩れていた。
「あははははははっ!!」
エイトに背中を預けて泣きながら狂ったように笑い続ける。
だがキャロラインは暫く笑った後で急に振り返り、エイトの顔を笑顔で覗き込んだ。
「ねぇ、エイト? 貴方、あの時に言ったこと覚えてる??」
「……どの時だよ」
「覚えてないの? 本当に、その場で思いついたことしか言わないのね」
キャロラインは向きを変えてエイトに抱きつき、上目遣いで彼を見上げる。
「な、何だよ……ッ」
柔らかな肢体を押し当てられ、エイトは思わず息を呑むがキャロラインの悲しい笑顔を見て絶句してしまう。
「私がさ、死にたくなったら……私の命と人生、貰ってくれるって」
「……ッ!」
「私ね、今……すごく────」
反射的にエイトはキャロラインの額に頭突きを食らわせた。
「いっっったい! な、何をするの!?」
「うるせぇ! ここまで来て何言い出すんだお前、ほんとふざけんなよ!?」
「だって……だってもう助からないんだもの! 今何時よ!?」
「13時30分! あとまだ90分あるじゃねえか!!」
「90分しかないじゃない!!」
「言ったよな! せめて出来ることを精一杯してから諦めたいってよ、お前店を出てから何かしたか!?」
「……でもっ、でも もう駄目じゃない。もう諦めたいよ。あんなの見たら……何も考えたくないよ!!」
「自分で見たんだろうが!!」
「あんな酷いこと書かれてるなんて思わなかったんだもの!!」
キャロラインは泣き叫んだ。
「こんな事になってるなんて、こんな最悪な気分になるなんて……! こんなの、こんなのっ……!!」
既にキャロラインは口を抑えるのをやめ、号泣しながらエイトの胸を叩く。
自分の置かれている状況が彼処まで悲惨だとは思いもしなかった……これではまだ人攫いに何処かに売り飛ばされる方がまだマシだとすら思える程に。
「うるせえ! どうしてこうなったとか、やってからじゃねえとわからねえんだよ! 後から後悔するなら最初から何もするな!!」
痺れを切らしたエイトは、自分を叩くキャロラインの手を掴んで叫ぶ。
「だって……!」
「生きるってことはな! つまりそういうことなんだよ! 何がどうなるかなんて何もしないままわかるか、やってみてから初めてわかるんだよ! それが自分で選ぶってことだろうが!!」
「……ッ!!」
キャロラインとエイトが出会ってからはまだ3時間も経過していない。
(さっきから何を言ってんだ? 俺らしくもねぇ)
(コイツとは今日会ったばかりじゃねえか。何で俺はこんなに……)
しかしその僅かな時間の内に、同情や憐憫といった言葉では済ませられない何かが二人の間に芽生えていた。
「だったら自分の選択に責任持て! それが出来ねえなら最初から何もしようとすんな……今お前がここに居るのも生きていたいって思ったからだろうが!!」
「私は、私は!」
「じゃあお前が死にたいのはこのゲロ臭い地下か! それとも家か!? どっちか選べ!!」
「……」
「選んだ場所で俺が殺してやる! お前の命はもう俺のもんだ。俺がどうしようと勝手だがせめて選ばせてやる……そんで身体からバケモンが生まれる前にぶっ殺す!!」
混乱するキャロラインの肩を強く掴み、エイトは彼女の顔を見つめながら言った。
「言えよ、キャロライン。言わねえと俺が勝手に決めるぞ」
そんなエイトの目にも涙が浮かんでおり、キャロラインは思わずたじろいでしまう。
「……家がいいわよ。そんなの、決まってるじゃない……こんな所で死にたくない」
「だったら行くぞ、少し歩いた先にあるハシゴを登れば第三図書館に続く大通りに出る……お前に会った場所だ」
エイトはそれ以上何も言わずにキャロラインを放して歩き出した。
「……」
キャロラインは自分の肩に触れ、少し先を歩く彼の背中を見つめる。
胸の鼓動は今まで経験した事がないほど激しく脈打ち、キャロラインは先を行くエイトの背を追いながら語りかけた。
「聞いていい?」
「……なんだよ」
「どうして、ここまで私を助けてくれるの?」
「知らねえ、考える前に身体が勝手に動く。それだけだ」
「……今も、そうなの?」
その問いかけに、エイトは答えない。キャロラインは密かに答えが返ってくるのを期待したが、彼は何も言わなかった。
「……」
「……そう」
10m程真っ直ぐ歩いた先にある角を曲がると錆びたハシゴがあった。これを登って出口を塞ぐマンホールをどけるとキャロラインと出会った大通りに出られる。
もはや警察や魔法使いが待ち構えている等と心配する余裕もない、此処で隠れていてもどの道死ぬのだから。
「……どうせ、いつかは死ぬんだからな」
ならば、せめて地上の空気を吸って全てを諦めてから死のう……エイトはそう思ってハシゴに手をかけた。




