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跳躍時計。それは異界の叡智によって生み出された時を操る力を持った異界の道具。
形状は純金製のハンターケース型懐中時計で、外見だけでは流通している高級時計と区別がつかない。
しかしその時計は使用者を別の時代に送り出す能力を持ち、現在、過去を問わずあらゆる時代を行き来する事が可能になる。跳躍時計が時間を操る仕組みは当時の技術では解明できず、時計そのものが紛失した現在では調べる事すら不可能。
使用する際はまず蓋を開き、【現在】の年代と日付、時刻を竜頭を操作して設定する。ステムは三段階まで伸ばす事ができ、三段階目の伸ばしきった状態で【年代】を、二段階目で【日付】を、そして少し伸ばした状態の一段階目で【時刻】を操作する。
その状態でステムを戻す事で【起点】となる時代の設定が完了する。
次に過去、未来を問わず【着地点】となる時代の設定を行う。最初の起点を設定した際と同様の操作をする事で着地点の設定も完了し、跳躍時計は【活性状態】に移行する。
この活性状態となった時計のペンダント部に触れると、使用者は起点となった場所から着地点として設定した時代の同位置に跳躍する。
活性状態でペンダント部に触れないまま蓋を閉じると一時的に非活性状態になり、蓋を開けると活性状態に戻る。
活性状態となった跳躍時計は、ペンダント部に触れなければ普通の時計としても使用できる。その場合、起点となるのはペンダント部に触れた時刻に変更され、それに応じて着地点の時刻も変動する。
時間跳躍を完了した後、着地点から離れる事で時計は休眠状態となる。この状態の跳躍時計は蓋を開ける以外のいかなる干渉も受け付けず、完全に時計としての機能を停止する。
元の時代に戻る場合は着地点にいる状態で、時計のペンダント部に触れる。すると時計は再び活性状態となって使用者は起点へと再び跳躍、使用者が着地点から起点へと帰還した時にそこが【終点】となって一連のプロセスは終了する。
元の時代に帰還した使用者は時間跳躍をしている間の記憶と状態を維持、そして身につけている物をそのまま起点に持ち帰る事が可能である為、使い方次第で深刻な過去改変が行われてしまう危険性も孕んでいる。
その特異な能力から跳躍時計はAクラス特級異界器具に分類され、異界器具の中でも特に強力なカテゴリーに属する。
本来ならば個人が所有できるような代物ではないが、当時の大賢者専属秘書官であったクレイン・マッケンジーは大賢者の意向の元で時計を一度だけ使用する事を認可され、使用した後は管理局に即時提出する事を条件に一時的な所有者になる事を許可された。
それだけクレインは組織にとっても、大賢者にとっても信頼の置ける人物だったのだ。
今回の場合、起点となったのは【80年前のマッケンジー家】で、クレイン氏は【未来の我が家】を着地点として設定したと推測される。目的はキャロラインの病状が悪化し、手の施しようがなかった時に彼女を未来に送り届ける為と判断して間違いない。事件当日に彼は跳躍時計を娘に渡し、その使い方を教えていた所だったと推測される。
跳躍時計の特性上、キャロラインが着地点から過去に帰還しても生存できる可能性は皆無に等しい。
事件の原因であるデアヴォロソ・ケイルスが母体となったキャロラインを襲う事はないが、屋敷に潜んでいる触手の魔人が彼女を襲わないという保証は何一つない。
それに当時の医療技術では、彼女を生かしたまま体内の幼体を摘出するのは不可能である。
そしてこの時代でも、もはや彼女を救う方法はない。
何よりも悲惨なのはこの時代で彼女が死亡しても何も解決しないという事だ。キャロラインがそうなってしまうまで、誰も知り得なかったのだ。
跳躍時計が持つ、真の危険性に────
『もしもーし、聞こえるー?』
リョーコの声が耳に入り、エイトはハッとする。極僅かな間であったが彼の思考は停止していたらしい。
「あ、うん……代金はいくらになる?」
『要らないわよ。こんなの商品になるような大した情報でもないし』
「いや、大した情報だよ? 何言ってんの、お前??」
『じゃあ、代金請求するわね』
「エイト……どうだったの?」
「……悪い、じゃあ少しそのまま待っててくれるか?」
『あん?』
エイトは電話を抑え、キャロラインの顔を見る。彼の表情を見て彼女は察した。
「……やっぱり、見つからないのね。そう簡単に見つかるわけないとは思ってたけど」
「とりあえず……行くだけ行ってみるか? 俺はお前の家なんて知らねえけど」
「私と最初に会った場所は覚えてる?」
「うん」
「あの場所まで行けばわかるわ。そこまで連れて行ってくれる?」
「……こっから向かうなら地下道を通るしかねえな。いいよな? ものすげえ汚いけど」
「……それくらい我慢してあげるわ」
キャロラインの了承を得てエイトは嫌そうに笑うと、足元にあったマンホールの蓋をどける。
「!?」
キャロラインはエイトの予想外の行動に思わずたじろぐ。
恐らく彼女は地下道という言葉の意味も殆ど理解していない。アンダーパス通りという名前の汚い道だとでも思っていたのだろう。
「えっ、何?」
「おら、この中入れ」
「……冗談よね? もしかしてそれが入口??」
「そうだよ? だって地下道っつったじゃん」
「~ッッッ!!!!」
「じゃあこのまま来た道戻るか? まず100%間違いなく捕まって志半ばに死ぬぜ??」
「わかった! わかったから!!」
キャロラインは深く息を吸い込み、マンホールの中に入っていく。
病弱な彼女が衛生上の問題が山積みの地下道を通るのは正直自殺行為に等しいが、そもそも過去に戻る術が無い以上、彼女に待ち受けているのは確実な死だ。
警察だろうが魔法使いだろうが、捕まってしまえば殺されるし、エイトやキャロラインは知らないが午後3時になれば内側から怪物に突き破られて彼女は死亡し、エイトも真っ先に卵を産み付けられる。そして、時計を見つけて過去に戻っても彼女の運命は変わらない。
現代で死ぬか、過去で死ぬかの違いでしかないのだ。
「……」
キャロラインが地下に姿を消したのを見届けると、エイトは電話の向こうで待つリョウコに小さい声で話しかけた。
「……すまん、もう一ついいか?」
『早く言えや! どんだけ待たせんのよ!!』
理由も知らされずに待ちぼうけを食らった情報屋はカンカンに怒っていた。
「お前さぁ、もう少し……いいやもう」
『はよう!』
「……キャロライン・マッケンジー。その名前を知っているか?」
『はい?』
その名前でリョウコは沈黙する。エイトが何を考えているのかはわからないが、彼が今誰と一緒に居るのかは容易に察する事ができてしまった。
『……アンタ、まさか』
「そいつの情報を売ってくれ。文字にして圧縮メールで俺の携帯に送ってくれればいい」
『……3000L$ね。今月中に振り込まないと……アンタの情報全部、管理局に流してやるわ』
「ありがとよ、リョーコちゃん」
『ちゃん付けで呼ぶな! 気持ち悪い!!』
リョーコは乱暴に通話を切る。
「……相変わらずキツイ性格してんなぁ」
エイトは溜息を吐いた後、キャロラインの待つ地下道に降りていく。
穴の中からは、何やら彼女の怒声が聞こえてきたがマンホールの穴が蓋で塞がれるとその声も聞こえなくなった。