25
大事に大事に取っていたちょっとイイ茶葉にカビが生えてました。
「……ッ」
一方、触手の魔人からは既に余裕は失われていた。
肩で息をする程に疲弊し、大きな亀裂が走る白い顔から黒い液体が血のように滴り落ちている。
「あっ!」
退き時と感じたのか、魔人は彼らに背を向けて薄暗い路地の中に姿を消した。
「畜生、待てコラァー! ドリーちゃんを虐めておいて生きて帰れると思うなよ、コラァァーッ!!」
アルマは黒刀を振り上げて逃走する魔人を追いかける。スコットもアルマと魔人を追おうとしたが、それよりもドロシーの事が気掛かりで直ぐに彼女の所に戻った。
「社長ッ!」
「……ありがとう、スコット君。僕はもう大丈夫よ」
ドロシーはまだキャロラインを追うつもりだ。
既に立っているだけで精一杯というのに、彼女は何かに突き動かされるように歩き出そうとする。
「駄目よ、ドリー。今日はもう休みなさい」
ルナはドロシーをもう何処にも行かせまいと強く引き止めた。
「行かせて、お義母様。僕がやらなきゃいけないの。ロザリー叔母様だって、本当は教え子たちにあの子を殺させたくないはずよ。僕が……」
「……社長が彼女を殺しても、何も解決しませんよ」
スコットはそんなドロシーを憐れむように言った。
「メイスさんから聞きました。毎年、11月15日に化け物が宿った女の子がこの街に来る……だから社長は毎年その子を殺すんだって。仲の良い友達なのに」
「……そうよ、友達だから僕が殺さないといけないの。僕以外の誰にあの子を任せられるっていうの? 僕は」
「そういうところが駄目なんですよ、社長!」
「はびゃっ!?」
ドロシーを叱りつけるように、スコットは彼女の頭を少々強めに叩く。
「な、何がよ! こうするしか無いんだから、仕方ないでしょ!? 今までの僕だってそうしてきたんだもの! 僕だって」
「うるさい! 社長に今までの社長みたいになれなんて誰が頼んだんですか!!」
スコットはドロシーの肩をガシッと掴み、その目をジッと見つめながら叫ぶ。
「そりゃ、社長にしかどうにも出来ないことの一つや二つはあるでしょうけどね! その前にまず俺達を頼りましょうよ! 何のための俺達ですか!!」
「……でも、でも……っ!」
「うるさい! 今日からは社長の代わりに俺が殺るって言ってるんですよ! いいから今日は黙って家に帰れ!!」
「……ま、待ってよ! キャロルは!」
「ルナさん! 社長をお願いします!!」
ドロシーをルナに任せてスコットは身を翻す。ボキボキと手を鳴らし、魔人の消えた路地を睨みつけてすうっと息を吸う。
「全部終わってから社長を呼びます。友達とろくに話せないまま別れるのは辛いでしょうけど……自分の手で殺すよりはずっとマシですよ」
「……」
「安心してください、俺は殺すと決めた相手は絶対に殺しますから。社長の友達だろうと……迷わず殺します。何度でも、何度でも、俺が代わりに殺してやります」
スコットの言葉を聞いて、ドロシーは店長の台詞を思い出した。
『……アンタは抱え込んでいるものが多すぎる。たまには降ろしちまってもいいじゃないか』
『じゃあ僕が抱えていた荷物は誰が背負ってくれるの?』
『さぁな……お人好しの誰かさんだ』
両脚の力が急に抜け、そのまま地面に膝をつく。
「あ……」
「それじゃ、また後で……まずはあの黒い化け物をブッ殺して」
ドロシーは魔人を追って駆け出そうとしたスコットに抱きつく。
「……社長?」
「……ッ」
「あの社長? 離して貰えますか? 早くアイツを殺して、彼女を追わないと……」
「……ッッ!」
スコットに抱きついたドロシーは彼を離そうとしない。
何も言わずにギュッとしがみつき、震えながら声にならない声を上げて啜り泣く。
「あの、えーと」
「アーサー君」
「何ですかな?」
ここで先程まで黙って二人を見守っていたマリアが口を開く。同じく静観していた老執事も彼女の言葉に嫌々ながら反応を示す。
「何を黙って突っ立っているの? 早く追いなさい」
「運動不足のおばさんに任せる訳にもいかないので仕方ありませんな。ではお嬢様、私も追いかけて参ります。私たちが来た道を戻りますと車が停めてありますので……それでは」
老執事は軽く頭を下げ、急ぎアルマの後を追う。
「しゃ、社長! あの、いい加減に!!」
「お嬢様の気が済むまでそのままでいなさい」
「……マリアさん」
「全く、お嬢様の気も知らないでよくそんな事が言えますわね……流石は悪魔さん」
マリアは呆れたような表情でスコットに言うが……
「ふふ、言うようになったじゃない。益々貴方の事が気に入ったわ」
続けて意味深な言葉を囁き、マリアは車の方へと向かった。
「……あの」
「~ッ」
「ごめんなさい、もう少しだけ我慢してあげて」
ドロシーはスコットの背中で泣いていた。
どうして泣いているのか、自分でもわからない。ただただ涙が止まらなかった。
自分ではキャロラインを救う事が出来ないという無力感。そしてマッケンジー家を救えなかったという過去から引き継いだ後悔がドロシーを蝕んでいた。
友人を失い、その素敵な家族も死なせてしまった。ならばせめて最後に残された彼女を救うのは自分で無ければならない。
この事件に関わる内に、何時しかそのような妄執に囚われてしまっていた彼女達にはその役目を 誰かに託す という選択肢など浮かばなかった。
そして今日のドロシーも、昨日の自分と同じ事を行おうとしてしまったのだ。
キャロラインを殺すことが彼女を救う事になると、自分に言い聞かせながら。
しかし本当は彼女を殺したいのではない。だが過去の自分はずっとそうしてきた。だから言えなかった。
キャロラインを庇い、救おうとする者達に……どうか『彼女を助けて』と
そして、『もうあの子を殺したくない』と
それに気付くと同時に、今までの行動が間違っていたのだと理解したドロシーは込み上げてくる感情を抑えきれずに泣きじゃくった。
「うあああ……っ! あああああああん……!!」
今の彼女は冷酷な魔女ではなく、取り返しの付かない事をしてしまったと嘆くか弱い少女だった。
「……ははっ、何ていうか……こう……」
「あああああんっ!!」
「意外だった? これが本当のドリーよ」
泣き続けるドロシーを抱き寄せ、優しくあやしながらルナは言った。
「貴方にだけは、見せたくなかったでしょうね」
「……」
「ドロシーッ!!」
アルマ達が魔人を追いかけて駆け込んだものとは別の路地からジェイムスが参上する。
「助けに来たぞ、ドロ……あれ?」
「どうしました!?」
彼に続くように意識を取り戻したロイド達も続々とやって来た。
あの後、ジェイムスは何とか気を取り直し、仲間と助太刀に来たようだが……
「ど、どうも……ジェイムスさん」
「うううっ! うううううっ……!!」
「あら、ジェイムス君。お久しぶりね」
「……えーと、その、これはですね。説明が難しいんですが」
「……悪い、邪魔したな」
ジェイムスはその一言を残し、ルナの胸の中で子供のように泣き続けるドロシーに背を向けた。
「「「……」」」
管理局の魔法使い達も無言でジェイムスと同じように背を向け、何も言わずに薄暗い路地に走り去っていった。
「……俺達は何も見なかった。良いな?」
「はい、何も見てません」
「ミテマセン」
「あのドロシー・バーキンスが泣く訳ないですからね。錯覚ですね、錯覚……」
この日、久しぶりにジェイムスは大した効果も望めないのに記憶処理を受けたという……
「ううっ、うああっ……!」
「……ルナさん、俺も追うべきですかね」
「いいえ、今日はこの子と一緒に居てあげて」
「……」
「お願い、スコット君」
「……はいはい、わかりましたよ……」
時刻は午後1時前……、キャロラインから新しい絶望が産声をあげるまで残り2時間。
ついにドロシーは戦線を離脱し、リンボ・シティとキャロラインの命運は彼女以外の者達に任された。
先月ぶりに声を出して泣きました。