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「うおっ、すんませんブルック先輩! 大丈b」
「うるせぇ、黙れ! くそおおおお、いってぇええええ!!」
我に戻ったエイトはブルックを心配して声をかけるが、却ってそれが彼の怒りを買った。
「もうお前なんて知らねぇ! 暫く口聞いてやらねぇ!!」
「えぇ……」
エイトの脚は特別製であり、並大抵の衝撃や攻撃ではビクともしない高級品だ。
そんなものに蹴られたり、足をぶつけたらどうなるかはご覧の通りである。
『おおおい! 開けろ! 開けるんだ!!』
「お代はいらねぇ、とっとと失せろ!!」
『店長、お代ちゃんと払うから! 中に入れて! 彼女を』
「失せろ! クソチビ女と一緒に消え失せやがれ!!」
店から締め出されたジェイムスはシャッターを叩いて再入店させるよう訴えかけるが店長は断固拒否した。
「……あぁ! もう、何なんだよ! この有様は!!」
店を包囲していた管理局の職員達は黒い触手に襲われて全員気絶してしまっている。
事件が解決しかけたと思っていたら実は悪化の一途を辿っていたという洒落にならない状況にジェイムスは頭を抱えるしかなかった。
「やっぱり こんな仕事やめてやる、絶対やめてやる、やめてやるからなぁああああー! くそったれぇえええ────っっ!!」
やり場のない気持ちを乗せてジェイムスは大声で叫んだ。叫ぶしかなかった……
「むぐぅ……ッ!!」
ジェイムスが絶叫していた頃、黒い触手に拘束されたドロシーは身動きが取れぬまま魔人に連れ回されていた。
まるで黒いミノムシのようにグルグル巻にされ、モゴモゴと必死に藻掻く彼女を抱えながら魔人は家々の屋根を飛び越える。
「……」
やがて開けた場所に出た魔人はドロシーの拘束を解き、ボロ人形のようにポイと放り投げた。
「むぎゃあっ!」
ドロシーは硬い地面をゴロゴロと転がり、泥だらけになって地面に伸びる。
「……」
魔人はうつ伏せのまま動かないドロシーの様子を窺う……
パァン、パァン!
突然ドロシーの右腕が地面から跳ね上がり、手にした杖で魔法を放つ。しかし魔人の触手はいとも容易く光の弾丸を弾き落とした。
「……何なのよ、お前は」
「……」
「今頃になって……あいつらの、敵討ち? 違うでしょ」
ドロシーは苦しげに顔を上げ、その仮面のような顔を睨みつけながら魔人に語りかける。
「お前は……アイツが死にかけていても、アイツらが巣ごと焼かれても助けに来なかったじゃない……」
「……」
「お前の目的は、一体……何?」
だが、魔人は何も答えない。
「……」
魔人の白い仮面のような頭部には亀裂が走り、その肉体も傷ついていた。流石の魔人もあの魔法の直撃を受けて無傷とはいかなかったようだがそれでも魔人にはまだ余裕があった。
対するドロシーは心身共にボロボロで、武器である魔法杖も予備の一本しか残っていない……
「……ねぇ、何か言ってくれない? こんなに情けない僕を笑いたければ笑ってよ……殺したいなら、殺しにかかってくれてもいいのよ??」
「……」
「その沈黙は、憐れみ? それとも蔑み? 何か、言ってよ……何か」
魔人はドロシーの問いかけに冷たい沈黙で応えた。
背中から伸びる触手が地面を叩き、まるでドロシーを挑発しているかのようだった。そんな触手の魔人の態度にドロシーは奮い立つ。
「何とか言いなさいよ……ッ、この化け物!!」
軋む体を無理やり動かしてドロシーは立ち上がる。泥だらけの顔を拭って杖を構え、触手の魔人と再び対峙した。
「……」
「喋りたくないならそれでいい。ただし……もう命乞いは聞いてやらないよ」
ドロシーにまだ戦闘の意思が残っている事を確認した魔人は、背中から伸びる触手を広げて戦闘態勢を取る。
伸びる触手は大きな黒い翼のような意匠を描き、その姿はまるで死を告げる黒い天使のようにも見えた。
この触手を何とか無力化しなければ、魔人にまともなダメージを与える事も出来ない。
80年前に戦った触手の獣ことデアヴォロソ・ケイルスは触手を四肢の代わりとしていた為に、移動と攻撃を同時に行う事ができない弱点があった。
攻撃に触手を割きすぎると、身体を支える役割を担う触手が減って足元が不安定になり、移動用に触手を割くと攻撃に転じる為の触手が減少する。
また、ケイルスの触手は魔法を弾き飛ばせるだけの強度と靭性をもっていなかった。
黒い触手の波状攻撃やそれに混じって伸びてくる赤い触手に注意して攻撃を凌ぎつつ、魔法で触手を破壊していく事で弱体化させ、最後に胴体を破壊してようやく倒すことが出来た。
しかし、触手の魔人は違う。
人のような手足でしっかりとその身体を支え、触手は魔法を弾く攻防一体の凶悪な武器と化している。更にデアヴォロソ種特有の生殖器の役割を担う赤い触手も備えている為、その危険性はケイルスの比ではない。
ドロシーはパイデスと直接交戦していないのでその優劣はつけ難いが、間違いなくそれと同等以上の脅威だろう。
(何なのよ、こいつは! どうして今になって現れるの! 何が狙いなの……!?)
魔人は近縁種と思われるケイルスがドロシーに討伐された直後にその姿を現し、当時の彼女と交戦した後に姿を消した。
恐らくはこの魔人もケイルスと共に門から現れ、二体は同時に屋敷に侵入したと考えるべきだろう。
ならば何故、魔人はケイルスの加勢に現れなかったのか?
姿が大幅に異なる事から、この二体は敵対関係にあったとも考えられるが……やはり不可解な点は多い。
何より、最初の遭遇から80年後の11月15日に突如として出現した理由も意図も全く見当がつかない。
(残る杖はこの一本……、せめてもう一本あれば)
ドロシーが思案を巡らせている時、先に攻勢に出たのは魔人の方だった。
一斉に触手を前方に突き出し、魔人はドロシーを攻撃する。先手を取られた彼女は咄嗟に防御障壁で攻撃を防ぐも殺到する触手の勢いに圧され、じわじわと後方に押し出されていく。
(駄目……、押し負ける!)
連戦による疲労や蓄積したダメージで、既に意識を保つのが精一杯のドロシーは成すすべもなく追い詰められていた。
「ふふふっ……本当に、もう……!!」
情けなさのあまり自嘲の笑みが浮かぶ……そしてキャロラインが自分から近づいてきた時、何故その場で彼女を殺さなかったのか、どうして殺すつもりだった彼女を触手から庇ってしまったのかと自問自答を繰り返した。
(僕は、覚悟してきたんじゃないの? 13人目の彼女が死んだ時にもう迷いは捨てたんじゃないの? 今までの僕はずっと殺し続けてきたのに、どうして僕には出来ないの……!?)
どんなに冷徹な自分を装っても、今のドロシーはキャロラインへの情を捨てられなかった。
彼女はドロシー・バーキンスであるが、かつての彼女達のように冷酷にはなりきれない。彼女は以前までのドロシーではないのだから。
例え記憶を受け継いでも、かつてのドロシーと同じにはなれない。一度は引き金を引く覚悟を決めても 大切な友人に向けて、何度も引き金を引けるほど彼女は強くないのだ。
「……僕は……っ」
「何で負けそうになってんですか、社長────ッ!!」
何処かから聞こえたスコットの声。
「えっ……」
ドロシーはその声に気を取られて思わず力を緩める。
────バギョンッ!!
彼女の視界を埋め尽くそうとした黒い触手は一瞬で霧散し、バラバラと音を立てながら飛び散る。周囲は上空から降ってきた何かが起こした土煙に包まれ、魔人の視界が遮られる。
「……!?」
「おい、お前……」
土煙から伸びた大きな青い腕が触手の魔人をガッシリと捕らえた。
「社長にっ! 何してくれてんだよ、コラァァーッ!!」
スコットは憤怒の形相を浮かべ、捕らえた魔人を力の限りぶん投げる。
────ドガガガガガガァンッ!
常軌を逸したパワーでぶん投げられた魔人は凄まじい勢いで近くの小屋の壁を突き破り、それでも勢いを殺しきれずに何軒もの家を派手に突き破っていった。
「……はえっ?」
ドロシーはぺたんと膝をつき、目を見開いて呆然とする。視界を覆っていた土煙が晴れ、中からスコットが現れても大きな目をぱちくりとするだけだ。
「大丈夫ですか、社長!?」
「あわ……」
突然目の前にスコットが現れた事に混乱し、立ち上がれないまま『あうあう』と言葉にならない声を出す。
「あ、あれ、スコッツ君……? どうして? どうして此処に? どうして??」
ようやく口から出た言葉も疑問符だらけの彼女らしからぬものだった。スコットはそんなドロシーに呆れながら大声で言う。
「はい!? そんなの『社長が心配だから探しに来た』に決まってんでしょうが! 言わせんな恥ずかしい!!」
スコットが真剣な表情で言い放った台詞が、ドロシーの凍りついた心を融かした。




