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「……」
職員専用通路に備えられているモニターは店の外の光景を映し、もう逃げ場がないという非情な現実をエイト達に突き付ける。
「そんな……ッ!」
「……無理そうか? エイト」
「ちょっと……無理そうです」
流石のエイトにも諦めの感情が色濃く浮かび上がる。
彼の義足は異人すら容易く無力化できるが、魔法使いや異能力者に真っ向勝負を挑める程のものではない。
例え蹴りかかろうとしても、その脚が相手に届く前に返り討ちにされてしまうだろう。
エイトが魔法使い相手に上手く立ち回れたのも、相手が油断していたに加えて蹴りを繰り出せる間合いに偶然入り込めたからに過ぎない。
「ボス、二人を渡してくれないかしら?」
「……」
「僕はこの店が好きだし君のことも……店員さんのことも本当に気に入っているの。でも今日はわかるわね?」
「わからねえよ、この歳になっても俺はNaughty Dogだからな!」
店長は大きなカウンターテーブルに手をかけ、力ずくでひっくり返す。
床にしっかりと固定されている筈のテーブルは店長の常軌を逸した怪力で固定ネジごと引き抜かれて勢いよく倒される。
「!」
ドロシーとジェイムスは危うく席の下敷きになる所だったが素早く後ろに飛びずさり、ドロシーが前方にいる店長に、ジェイムスは後方にいる常連客と店員に杖を向ける。
「……残念よ、ボス」
「俺もだ、ドロシー・ファッキン魔女・バーキンスちゃんよ」
「お前たち、動くなよ。今日の俺には民間人相手に手加減する余裕はないんだ」
「なぁによぉ! アンタたち! 此処はただの飲食店よ!? 何も悪いことしてないじゃないのさ! いい加減にしないとアタシもブチギレるわよ!!」
「彼女を、渡しなさい。そうすれば出ていくわ」
「断る」
「だよね、君は優しいもの」
ドロシーは杖に魔力を込める。
店長とはタクロウ程ではないがそこそこ長い付き合いであり、彼がこの街にやって来た時からの友人だ。
威圧感溢れる外見に似合わず店長はタクロウ以上に底無しのお人好しで、困っている相手や店に逃げ込んでくる相手を放っておけないのだ。
「あの子は殺さなきゃいけないの。それが……あの子の為なのよ」
「知っているさ。あの娘がキャロライン・マッケンジーだろ? 80年前のマッケンジー家獣害事件唯一の生き残り……ひでえ事件だったそうじゃないか」
「……」
「そして、その事件を引き起こした腐れ外道の異世界種……そいつの幼体が植え付けられている最後の宿主が彼女なんだろ?」
ドロシーは思い出す……先代から受け継いだ忌々しい記憶を。
今まで自分達が殺し続けてきた 彼女 の顔を。
「それでもボスはあの子を守るのね?」
「アンタも、そんな顔であの娘を殺すつもりか……?」
目つきを変えたドロシーに向けて店長は言う。
「ええ……そうよ。僕も、そして次の僕もね」
「……アンタは抱え込んでいるものが多すぎる。たまには降ろしちまってもいいじゃないか」
「じゃあ僕が抱えていた荷物は誰が背負ってくれるの?」
「さぁな……お人好しの誰かさんだ」
ここで店長の目つきも変わる。そしてラルフや他の店員、そして常連客達も殺気立った表情に変わった。
店の中に居る全員を緊張の渦が包み込み、その場居る誰もが身動きを取れなかった。
店の中にいた者達は全員が同じ事を思った『今日はとんだ厄日だぜ……』と
「やばいぞ、これじゃ逃げられねえ!」
「……」
「あーあー……、管理局の精鋭が寄ってたかってよぉ。お嬢ちゃん、一体何をやらかしたんだ?」
「私だって……わからないのよ」
エイト達は逃げ出す事もできずに職員専用通路で立ち往生していた。
非常ドアの向こうにはドロシーとジェイムスが、そして裏口の外ではロイドが待ち構えている……まさにどん詰まりだ。
「こうなったらキャロラインだけでも逃がすしかねぇ! おい、そのなんとか時計でさっさと過去に戻れ!!」
「……」
「過去にはその……悪魔だかなんだか知らねえけどヤバイのが待ち構えてるんだろうが、気合で逃げろ! 足が棒になるまで走って走って走り抜け!!」
「あのね……エイト、私」
「ああもう、怖いなら俺も一緒に過去に逃げてやるから! おら、その時計を」
「時計をね、持って無いの」
キャロラインが発した一言で、エイトの疑似心臟が一瞬だけ停止した。
「……ぶっ、ぶぁふぉっ!?」
そして止まった心臓が急に動き出し、彼の胸に鋭い痛みと喉元から込み上げてくる強烈な吐き気が襲った。
「……待て、待て待て待て、何言ってんの? お前何言ってんの!?」
「考えたくないけど……多分、私の家に置き忘れてきたわ」
「ふぁっぶぁ!?」
「多分よ……多分だけど……この時代じゃなくて、私のいた時代に」
その台詞がトドメになったのか、エイトの思考は停止した。
「……」
ブルックは二人の話についていけず、とりあえず顎に手をつけて深く考え込むフリをした。過去だの、悪魔だの、時計だのと言われても何の事だか見当もつかないからだ。
「……」
「……」
「……あ、俺そろそろ向こう戻るわ。頑張れよ、エイト」
「なぁ、キャロライン。言っていい?」
「何よ……、言いなさいよ」
「ちょっとキツイかもしれない……」
万策尽きたとはつまり今のような状況を言うのだろう……エイトはもう考える事を放棄した。
それはキャロラインも同じだった。何より致命的なのはこの切迫した状況を打開する可能性を持つ跳躍時計が彼女の手元にないという事だ。
彼女はあの時計に触れたしまっただけで、時計を手に取ってはいなかったのだから。
一方、非常ドアの向こうも予断を許さない状況にあった。ドロシーと店長は睨み合い、ジェイムスも真剣な顔で大勢の殺気立つ常連達に杖を向けている。
「じゃあ、覚悟はいいわね? ボス。時間がないもの」
「やってみろよ。そろそろ俺もその可愛いお顔を引っ叩きたくなってきたところだ」
我慢の限界が来た店長はドスの利いた声でドロシーを威圧する。常人なら一瞬で凍りつく程の殺気を向けられてもドロシーは動じない。
もはや後に引けないのは、彼女も同じなのだから。
「店長……、俺だってこの店を気に入っているんだよ。だから言うこと聞いてくれよ、頼むよ」
「あの子を殺さないって言うならな」
「それは できない相談 ね」
「ああ、それは無理だ。彼女の体内にいる化け物は危険すぎる……そいつが生まれる前に何とかしないといけないんだ」
「何よ! あんたら魔法使いでしょ? 魔法の力で何とかしなさいよ!!」
「……あははっ」
ドロシーは乾いた笑いを上げてラルフの顔を見て呟く。
「ラルフさん……魔法の力は有能だけど、万能じゃないのよ。どれだけ悪い子をブチ殺せても、何の罪もない友達一人を助けられないの」
「……!」
ドロシーの表情を見て、ラルフは背筋が凍る感覚に襲われる。
その表情は相変わらず笑顔のままだが、その瞳は深い後悔と諦めの感情が支配していた。
「それが出来るならキャロラインは今頃、素敵な人と結婚して……可愛い子供を産んでいるわ」
ここに居る誰よりもキャロラインを想い、そして救い出そうと足掻いてきたのは他でもないドロシー自身だ。
だが、彼女を救おうとどんなに手を尽くしてもその行動は全て 彼女が死亡する という最悪の結果を齎した。
「僕が今まで、何人のキャロラインを殺したと思う? 30人よ」
「!?」
「……今日で31人になるけどね」
あの事件から80年が経過しても、ドロシーに出来るのは己の魔法でキャロラインを殺すことだけなのだ。