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詳しく教えてもくれないのに、昔から周りに強要される決まり事ってありますよね
────マッケンジー家獣害事件。
それは80年前、まだリンボ・シティがロンディノス・シティと呼ばれていた時代に起きた歴史上最悪の異世界種による獣害事案。
1948年11月15日の推定時刻午前10時28分前後、当時40歳であったクレイン・マッケンジー氏が家族と暮らしていた一軒家の前に異界門が発生した。
門からは肉食獣型亜種に分類される危険度Aクラス異世界種【デアヴォロソ・ケイルス】が出現し、マッケンジー氏が所有する屋敷の中に侵入。
彼と妻であるケイト・マッケンジー(当時36歳)、長女のキャロライン・マッケンジー(当時17歳)、次女のシェリル・マッケンジー(当時13才)、長男のルーク・マッケンジー(当時1才)を襲撃した。
デアヴォロソ・ケイルスは白いトカゲの頭蓋に似た頭部と、黒い触手を持つ異形の生物である。頭部と胴体部のみで構成されており、四肢にあたる部位は見当たらない。
手足の代わりに首元から伸びる触手状の【腕】を巧みに使って移動し、第一頚椎から突き出るようにして 赤い触手 が一本のみ生えている。
その腕は伸縮自在で、移動手段以外に武器としての役割も担っていたと推測される。
事件当日は不幸にも長女キャロラインの誕生日であり、クレイン氏とは知己の間柄であったドロシーがサプライズの為に邸宅に向かっている途中であった。
異変を察知して屋敷に駆け込んだ彼女にデアヴォロソ・ケイルスは討伐されたが、クレイン氏は心臓を貫かれて既に死亡しており、長男のルークも応急処置の甲斐なく死亡した。
妻のケイト、次女のシェリルは胸部を触手で貫かれて負傷していたが、すぐに病院に運ばれ一命は取り留めた。
しかし、その場に居た筈のキャロラインの姿はどこにも無かった。
キャロラインの行方を必死に捜索しつつもケイトとキャサリンの命が助かり、異世界種も討伐された事で最悪の事態は免れたと当時の異常管理局、そしてドロシーは苦い思いを抱えながらも一先ず安堵した。
だが、何も終わってなどいなかった……そこからが始まりだったのだ。
「……もう、遅かったんだよ」
「待ってくださいよ……その化け物は討伐されて事件は解決したんじゃないんですか?」
ブレンダに適切な治療を施され、救急車で警部と二人仲良く病院に運ばれながら話を聞いていたリュークは言った。
「……病院に運ばれ、一命を取り留めた筈の二人の体に異変が起きたんだ」
警部は暫く沈黙した後、重い口を開く。
「え?」
「二人が病院に運び込まれてから4時間後、午後3時に彼女達を突き破って生まれてきやがった……その化け物の子供がな」
「……は?」
「一家を襲ったのも、子孫を残すためだったということだろうさ。生き物の子作りを悍ましいと思ったのは、その時が始めてだよ」
ケイトとシェリルは即死、そして彼女達から生まれた個体は親であるケイルスとは異なる人に近い姿をしていた。
産み付けられた卵から孵化した幼体は、母体となった生物の遺伝子情報を読み取って独自の成長を遂げる異常な能力を持っていたのだ。
デアヴォロソ・ケイルスと名付けられた親も、異世界に生息していた生命体の遺伝子を読み取って独自の進化を遂げた姿という事なのだろう。
「……そんな」
「な? ドロシーが言ったとおりだろ……知らない方が幸せだってな」
ケイトとシェリルから誕生した新種は【デアヴォロソ・パイデス】と後に名付けられ、人型亜種という独自の分類に属する危険度A+クラスの危険な異世界種となった。
「そうして生まれた悪魔の子らはな、病院を丸ごと自分たちの巣に作り替えやがったんだ。次の子供たちのために……」
デアヴォロソ・パイデスは、入院している患者や医師達に卵を産み付けて回った。
体が極端に弱っている者は母体として適さないので殺害し、母体に適した者は男女や年齢の区別なく生殖器の役割を担う赤い触手で卵を産み付ける。
自分を攻撃する相手は即座に抹殺対象となり、母体に適した体を持っていようが容赦なく殺した。
「俺は直接見たわけじゃないが……話を聞いただけでも胸糞悪くなったよ。悪夢の光景ってのは、正にその時のことを言うんだろうな」
「……どうなったんですか、その人たちは」
瞬く間に病院に居た人間達は苗床と成り果てた。
幼体が成長するまでパイデスに襲われる事はないが、時間が経てば体内から彼らの子供に食い破られる飼い殺しの状態になってしまう。
何人もの魔法使いや、武装した警官隊が彼らを助けようと巣の中に乗り込んだが誰一人として帰ってこなかった。
彼らを助けようとすればする程、新たな犠牲者が増える一方だった……
人の遺伝子を得た忌まわしき子らは、既に人の手に負える存在ではなくなっていたのだ。
その時が来れば彼らの子供は一斉に産声を上げ、巣の中から解き放たれる事になるだろう。たった二匹の駆除にも手間取ってしまう以上、それだけはどんな手を使っても阻止しなければならなかった。
「お前なら、どうする? 助けに行ったか??」
「警部は……?」
「助けに行ったろうさ……でもな、みんながみんな俺みたいな奴らじゃないんだ。助けられる誰かのために、もう助けられない誰かを諦めることができる奴もいるのさ」
「……」
だから大賢者は手遅れになる前に、この悍ましい異世界種を悪魔の巣窟となった病院ごと焼き払う非情な決断を下した。
「そんなこと……本当にやったんですか」
「13番街区に大きな墓地があるだろ。あれは最初、その時犠牲になった人たちのために用意されたものなんだよ」
巣の中には、まだ母体になっていない人間もいたかもしれない。
だが彼らを救う方法など無かった。巣の中から助けを呼ぶ声や悲痛な叫び声が聞こえてきても、職員達は焼き続ける事しかできなかった。
当時の職員がどのような心境だったのか……それは察するに余りある。
「まさか、ドロシーさんも……」
「ああ、関わっていたらしい。そして今でも……不意に思い出しちまうんだと」
「……」
「頭がおかしくなるのも、仕方ねえよな……」
アレックス警部はベッドで横になり、無言で車の天井を見つめていた。
「……」
しかし、リュークはまだ聞きたい事があった。その事件は確かに心を抉るような悲惨な出来事だが、80年前に起きた過去の事件である。
それが今日の案件と何の関係があるのだろう……と。
「でも警部、今朝も聞きましたけどその事件は過去の」
「ああ、その事件な……まだ終わってないんだよ」
警部は重苦しい表情で言った。彼の言葉を聞いてリュークは全身の肌が粟立つのを感じた。
「終わって……ない?」
「マッケンジー家は5人家族だ。4人はさっき話した通り80年前に死んでいる……だが、一人だけどうしても見つけられなかった子がいるんだ」
キャロラインの行方は、事件発生からどれだけの時間を要しても掴めなかった。
体内の幼体は4時間半で成長して母体を食い破る事が判明した為、彼女が生き延びているという可能性は皆無だ。
だからその死体や彼女から生まれた個体が発見できないというのは有り得ない事なのだ。
「……まさか、でも」
「異界の道具がとんでもない力を持ってるものが多いのは知っているな?」
「ええ、まぁ……」
「使い方次第で世界を滅ぼしかねない奴、世界のルールを変えかねない奴、そして現在、過去、未来を問わずに時空間を自由に行き来できるような奴も……」
「……ッ!!」
それだけではなく、クレイン氏が所有しているはずのSクラス特級異界道具【跳躍時計】の在り処もわからなくなってしまっていた。
いち早く屋敷に駆けつけたドロシーもケイルスを討伐し、救急隊を呼んだ後に姿を消したキャロラインとクレインの遺品である跳躍時計を探し回ったがついに見つけ出す事が出来なかった。
「マッケンジー家の長女、キャロラインはな……跳躍時計とかいう時間を飛び越える能力を持った時計を使ってしまった。そして、あの事件が起きた日から80年後の今日までやって来たんだ」
その二つの不可思議な点から考えられたのは、キャロラインは跳躍時計を使用して別の時代に逃げ延びてしまったという事だった……
己の体内に悪魔の子供を宿したまま。