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「ようこそ、俺の店へ」
店長は驚いた様子も見せずに涼しい顔でドロシー達を接待する。
「……んしょっと」
ドロシーは少しふらつきながらカウンター席につき、可愛くにっこりと笑う。
「……」
ジェイムスは彼女の隣の席に座って店内を見回す……賑やかだった店の空気は一変して静まり返り、ラルフ含めた店員達も気が気でない様子だった。
「それにしてもひどい格好だな、何かあったのか?」
「うん、ちょっと怖いのに絡まれてね。トラウマになっちゃいそうだから気分転換したくて」
「そりゃ災難だな、ご注文は?」
「ブルームーンのショート……キッド君は?」
「いつものやつをショートで。あとキッド君言うな」
「はいはい、少し待ってな」
注文を受けた店長はすぐにカクテルの用意をする。ラルフは音を立てないように気を使いながら非常ドアに向かおうとするが
「ラルフさん、今日は静かね。貴女の話は面白いから大好きなんだけど……」
「あらぁ、ありがとぉん! ドロシーちゃんに褒められるなんて嬉しいわぁ……」
ラルフは急遽接待モードにスイッチを切り替える。素っ気ない態度を取ればドロシーは直ぐに勘付くだろう……あるいは既に勘付いているのかもしれない。
「うふふ、近頃のドロシーちゃんはいつも上機嫌で可愛いわね。やっぱり素敵な彼氏が出来たからかしら?」
「ふふーん、そうかもね。僕は昔から愛嬌ある素敵なレディだけど、彼と出会ってからは益々可愛くなったと思うよ」
「あらあら、生意気ー! でも本当に可愛いから許すわぁん!!」
ラルフは明るい笑顔を浮かべ、ドロシーに世間話を持ちかけながらも彼女に気付かれないよう背後に隠した左手のジェスチャーで店員達に指示を出す。
「そういえば、その彼氏さんはまだ見せてくれないのねぇ。いつになったら連れてきてくれるのぉ?」
「んー、そのうちかな? 彼はこういうお店が苦手そうだしー」
「あぁん! 傷つくわぁ~……こんなにいい店は中々ないわよ! ねぇ、ジョージ?」
「え、自分から言うの?」
「そこは乗ってよぉ!」
「そうだね! いい店だよホント!!」
小柄なブルックが身を屈めてこそこそと非常ドアに向かう。
それに気づいているのかいないのかはわからないが、ドロシーは笑顔で彼らと会話を楽しんでいる。
「ははは……」
ジェイムスもとりあえずドロシーに合わせて笑顔を作った。
「はい、ブルームーンとテキーラ・サンセットのショートタイムだ」
店長が二人に用意したカクテルを差し出す。
その見た目に似合わず彼の用意するカクテルは好評であり、二桁区の隠れた名店として知られている。
特にジェイムスはこの店を懇意にしており、二桁区を苦手としながら頻繁に足を運ぶなど彼にとって心の拠り所となっていた。
「ありがとう、ボス。キッド君、暗い顔してるけどどうかしたの? 悩みがあるなら相談に乗るよ?」
「何も言うな、頼むから……」
「それにしてもドロシーがここでカクテルを頼むのはいつぶりだ? たまに来てもジュース頼むくせに」
「ふふん、僕も大人の女になったのよ」
店長は生意気に鼻を鳴らすドロシーを見ながら複雑な笑顔を浮かべる。店長は既に気付いているのだ、この二人が店を訪れて来た理由に。
「なぁ、まだかー?」
何も知らないエイトは怪我をした右手に包帯を巻きながらキャロラインを待っていた。
『……』
「あのよー、あんまりのんびり着替えられると困んのよ」
『……』
「聞いてるー? キャロラインさーん」
「うるさいわね! 今、着替え終わっ」
「エイト!!」
着替えを終えたキャロラインが部屋から出た瞬間、ブルックが非常ドアから慌てて飛び込んできた。
「……マジかよ」
ブルックの表情を見て、すぐにエイトは察した。
「ああ、ドロシーとジェイムスが店に来てる。目的は多分……」
「そんな……!」
「お前らは裏口から逃げろ、二人は俺たちで何とかする」
「……いいんですか?」
「いいんだよ! いいから行けよ!!」
ブルックはエイトとキャロラインの身を案じて早く店を出るよう急かす。
「……すんません」
エイトは深く頭を下げ、キャロラインの手を取って裏口へと向かう。
「あ、あの……ッ!」
「いいから、今は逃げるぞ!」
「……ッ!!」
ヂュルルルル、ルルッ、ヂュルーッ
ジェイムスはストローで音を立てながらカクテルを啜る。その音が静寂に包まれた店内に響き渡り、重苦しい空気を更に重くしていく。
「キッド君、お行儀悪いー」
「……そうだな、すまん」
「別に謝ることもないけどなぁ。俺は慣れてるし、愚痴を延々と聞かされるよりは」
「店長、やめて。まじやめて」
「ふふふっ。ところでキッド君はカクテル言葉って知ってる?」
「へ?」
「花言葉や宝石言葉があるように、カクテルにもそういったものがあるのよ」
不意にドロシーから妙な事を言い出されてジェイムスは呆気にとられる。
「……」
店長は表情こそ変えないが、その肩が僅かにピクついた。
「例えばキッド君が美味しそうに飲んでる テキーラ・サンセット」
「ああ、これ好きなんだよ」
「そのカクテル言葉は『慰めて』よ」
「ブフォッ!?」
ジェイムスは思わずカクテルを吹き出して咳き込んだ。
ドロシーは実に愉快そうな顔で咳き込む彼を眺め、ラルフもくすりと小さく笑った。
「そして、僕が頼んだこのブルームーンなんだけど」
「ゴホッ、ゴホッ……、何だよ畜生!」
「聞きたい?」
「ゲホッ……お前本当に嫌な奴だな! 聞いて欲しいならさっさと言えって!!」
「……『できない相談』という意味よ」
ドロシーは店長の顔を見ながら、静かな声で言った。
彼女の言葉を聞いた店長、そしてラルフ含めた店員達の表情から笑顔が消える……常連客も一斉に席を立った。
「ヒューマンの新人君、女の子を連れて店に逃げ込んできたでしょ?」
「何の話だ」
「その子達に会わせてくれない?」
「おかわりはしないのか? 他に注文は? 用が無いなら帰ってくれ」
店長はドロシーがどういう人物であるのかを知っている。
だから彼女が敵に回った時、どれ程危険な存在であるのかも承知の上だ。
それでも店長は何とかキャロラインの事を隠し通そうとした。その行動に特に深い理由など無い……
キャロラインを咄嗟に助けたエイトと同じように、彼も困った相手を見捨てる事が出来ないのだ。
「……店長、すまないが店の周りは管理局の職員に包囲されている。何も言わずに、二人を俺たちに預けてくれないか?」
「あのさぁ、お前らさっきから何言ってんの? 困るんだけど」
「ボスー? 無理な隠しごとはいけないよ。だって友達の君はともかく、常連のみんなが昼間から無言で僕を迎え入れるなんて有り得ないじゃない」
「・・・・・・」
「まぁ、頑張って演技しても……僕は目を見ただけでわかっちゃうんだけどね」
ドロシーは寂しげに笑いながらカランとグラスを鳴らす。
「……ああ、クソっ」
ドロシーの無情な言葉に常連達は頭を抱え、ラルフを始めとする店員達も思わず目頭を押さえる。彼女はドアを潜った時点であの二人が来ている事に気付いていたのだ。
「ボス、何も言わずにキャロラインを渡しなさい? 今日の僕は手加減が出来ないわよ??」
バー Naughty Dogsの周囲は多数の管理局の職員に取り囲まれており、裏口の前にもロイドが待ち構えている。
「悪いな、店長……今日ばかりは俺もドロシーと同じ気持ちなんだ」
ジェイムスはわざとカクテルを音を立てて飲むことで皆の気を滅入らせつつ、テーブル席の下に隠した片手で携帯端末を操作して12番街区を徘徊する職員と後輩達に連絡を入れていたのだ。