13
「……っ!」
ドロシーは反射的に後ろに跳び、数発の魔法を放つがその全てが同じように黒い鞭に弾き落される。
「……」
人影は静かに地面に降り立ち、白い仮面の様な不気味な顔をドロシーに向けた。
「お前は……」
それは人に近い姿をしていたが、決して人ではなかった。
全身が黒く禍々しいドレスのような外骨格と不気味に脈動する黒い皮膚で覆われ、頭部だけが白く蜥蜴の頭蓋を思わせる仮面のようになっている。
そして最大の特徴が背中から伸びる、無数の黒い鞭のような【触手】だった。
「あの時のッ!」
ドロシーは目を見開きながら異形に杖を向ける。
「……」
黒い触手の魔人は無言でドロシーを見つめ、背中から生える触手で地面や路地を挟む建物の壁を叩く。まるで彼女を挑発しているかのように。
「……立てよ、キャロライン」
「……立てないよ」
「立て、そんで走れ。走って逃げろ」
「……もう、走れないよ」
「いいから……逃げるんだよ!」
エイトは痺れる身体を無理矢理動かす。
「ぐ……っ!」
全身を襲う激しい痛みに耐えながら立ち上がる。エイトは痛みでふらつきながらもキャロラインに左手を差し出す。
「しょうがねぇなぁ……一緒に、逃げてやるよ……」
「エイト……私は」
「うるせぇ、立て。弱音も泣き言も……逃げた先でいくらでも聞いてやる」
「私は!」
「立てっつってんだよクソガキ! そんなに死にたいならお前の命と人生、俺が貰ってやるよ!!」
「え……」
「命が要らないんなら俺に何されてもいいよな! 文句なんてねえよなぁ!?」
エイトの言葉が、キャロラインの凍りついた心に突き刺さった。
深々と突き刺さった言葉は彼女の心を溶かし、その瞳に再び光と怒りの感情を灯す。
「誰がっ……誰が死にたいもんですか! 何勝手なこと言い出すの、貴方に貰われるなんて絶対に嫌よ!!」
「それでいいんだよ、ガキが! わかったらさっさと」
────パァンッ
向かい合う二人の目と鼻の先を、青白い弾丸が通り過ぎる。
「ごめんね、ちょっとイライラしちゃったから……」
ドロシーはキャロラインの頭部を狙ったが、黒い魔人の触手に阻まれて射線が僅かに逸れてしまった。
「……やっぱり、お前から何とかするべきね」
彼女は忌々しげに異形を睨みつける。
「こっちだ……ああくそ、痛え!」
「エイト……!」
「ああもう、いいから走れ! ちょっとぐらい足怪我しても我慢しろよ!!」
「……ッ!!」
エイトはキャロラインの手を取り、目的のバーを目指して走り出す。
「確かアイツはこの辺で待ち伏せをするって……」
二人が近くの脇道に逃げた直後にジェイムス含めた管理局の魔法使い達がその路地に足を踏み入れる。
「あっ! ドロシー……ッ!?」
そしてドロシーと対峙する触手の魔人を目撃した。
「な、何だコイツは!?」
ジェイムス達からは魔人の背中しか見えなかったが、無数の触手が蠢くその悍ましい姿に皆一様に戦慄し、無意識の内に杖を構えた。
「キッド君! それ以上 近づかないで!!」
魔人は一瞥もくれずに背中の触手を数本伸ばしてジェイムス達を攻撃する。
「うおっ……!」
ジェイムスは手にした杖で風の障壁を発生させて攻撃を防御した。
「なっ、何だ! 大丈夫ですか!?」
「くっそ、何だよいきなり!」
「キッド君! キャロル……、キャロラインは金髪の男と一緒にそこの脇道に逃げ込んだわ! 早く追いかけて!!」
ドロシーはジェイムスにキャロラインを追うよう叫び、魔人に向けて魔法を放つ。
しかし魔法は直撃する前に黒い触手に弾かれてしまう。
「くっ、まずはキャロラインを追うぞ! 急げ」
ザザザザッ!
「うおおっ!?」
ジェイムスは触手の魔人をドロシーに任せて二人を追おうとするも、魔人の背中から伸びてくる触手が行く手を阻む。
「くそっ……後ろにも目がついてるのかよ! この路地は駄目だ、一旦路地を出て表から回り込むぞ!!」
「はい!」
「任せて大丈夫なんだな!?」
「早く行きなさい! 僕は、コイツに用があるのよ……!!」
ジェイムス達が路地を後にしたのを確認し、ドロシーは呼吸を整えて再び杖に魔力を込める。
「……随分と、久しぶりね」
そして目の前の魔人に話しかけた。
「……」
「あの時から、80年……そうね、お前との決着もまだついていなかったわね」
「……」
「どうして今になって現れるのよ。僕たちをからかっているの?」
ドロシーがこの触手の魔人と対峙するのはこれが初めてではない。
80年前、マッケンジー家獣害事件の当日にも魔人は突如として姿を現し、当時のドロシーに襲いかかったのだ。
その姿は事件の元凶である【黒い触手の獣】と類似しており、恐らくは近縁種だと思われている。
「まぁ、言葉は通じないか……当然よね!」
昂ぶる感情を抑えきれず、ドロシーは小さな白い光弾を放つ。
魔人は触手を伸ばし、彼女の魔法を弾き落とそうとするが触手が触れた瞬間……
キュドドドン!
光の弾は爆発した。
「!!?」
爆発の威力に怯み、魔人は後退る。
爆発で触手はちぎれ飛び、魔人に大きな隙が生まれた。その隙を見逃さずドロシーは魔人に向けて光の弾丸を連発する。
「!」
爆煙で視界が不明瞭になり、触手の魔人は煙を突き抜けてくる弾丸への対処が遅れ胸に魔法の直撃を受けた。
「……カヒュッ!!」
胸部に小さな風穴が開き、魔人は苦しむような素振りを見せるがそこに先程の爆発する光弾が殺到する。
「……!」
「こんな戦い方は、80年前の僕には出来なかったでしょ?」
────キュドドドドドォン!!
魔法は魔人に命中し、凄まじい爆発を引き起こす。
「むぐ……っ」
距離をとっていたドロシーですら身を屈める程の爆風が巻き起こり、黒い触手の破片が路地に散らばる。
あの魔法の直撃を受けては、黒い触手の魔人もひとたまりもないだろう……
「さて、僕もあの子たちを追わないと……」
そう思ってドロシーの注意が魔人から逸れた、正しくその一瞬だった。
路地を包み込む煙の中から無数の触手が伸び、ドロシーに襲いかかる。油断していた彼女は防御する事も出来ずに、黒い鞭のようにしなる触手の乱打を浴びた。
「あぐぅ……ッ!?」
煙の中から伸びる、一本の赤い触手。
触手は真っ直ぐとドロシーに向かい、その腹部を貫こうとした。彼女は途切れそうになる意識を必死に繋ぎ留め、赤い触手に身構えた。
(駄目、この触手を受けたら……ッ!)
赤い触手を撃ち落とそうと杖を構える。
だが、真っ直ぐ伸びてきた筈の赤い触手は急に静止し、それと同時に煙の中から突き抜けるように伸びた二本の黒い触手が彼女の額に強烈な一撃を見舞った。
「……ッ!!」
ドロシーはそのまま膝から崩れ落ちた。
「……やって、くれるじゃないの」
あの赤い一本はフェイント。本命はこの黒い触手による攻撃だ。ドロシーの視界は激しく揺れ、暫く立ち上がる事はできない。
ヒュン、ヒュンッ
煙の中から二本の触手が路地を挟む建物の屋上に伸び、それに引き上げられるように魔人は屋上へと姿を消した。
「……あの魔法を受けても、倒しきれないなんて。化け物め……」
緊張が解けてしまったドロシーは地面にペタンと座り込み、曇天の空を見上げた。
「……ふふ、ふふふ。もう本当に……嫌になっちゃう……」
そして自分の不運と詰めの甘さを自嘲し、思わず涙ぐんでしまう。
「……ごめんね、クレイン君。前の僕みたいに上手くやれなくて……ごめんね……」