12
大切な友達だから、放っておけない。逃がせない。
「なんだ、お嬢か。丁度良かった、今俺たち困っててさー」
「……!」
「僕も困っていたところよ、こんなところで再会するなんて運命的ね」
ドロシーは嬉しそうにエイトに話しかける。
「ふふふっ」
薄暗い路地のにドロシーの笑い声が木霊する。エイト達から少し距離を空けた場所に立っているのでその表情までは窺えず、特徴的な丸メガネだけが怪しく光を反射していた。
「ん? どうしたんだ」
「駄目、エイト! 逃げて!!」
「あ?」
「ごめんね、彼女は置いていってもらうわ」
ドロシーはエイトに向けて躊躇なく魔法を放つ。
「ぐあっ……!?」
それはキャロラインが受けたものと同じ麻痺の魔法。エイトはそのまま倒れこみ、身動きが取れなくなる。
「……ちょっ……何だよ、何するんだよ!」
「謝ったでしょ? 安心して、少しすればまた動けるようになるわ」
「エイト……ッ!」
「駄目よ、キャロル。逃げたりしちゃ……」
「ひっ……!」
ドロシーはキャロラインに声をかける。
路地の隙間から差し込んだ陽の光に晒される表情はいつものように優しげな笑顔だったが、彼女から見たそれは正に 悪魔の笑み そのものだった。
「どうしてよ……どうしてこんなことするの!?」
「ごめんね」
「わからないよ……私は、私は!」
「キャロルは何もわからなくていいの……貴女は何も悪くないんだもの」
ドロシーはキャロラインに魔法杖を向けて言い放った。ぞっとする程に優しい声で。
「でも、お願いだから……死んでちょうだい」
キャロラインは動けなかった。
ドロシーが自分に殺意を向けている事は、あの時にも薄々感じていた。だが、そう思いたくなかった、思い違いだと信じたかった。
それでも彼女は言い放った……静かに、優しい声で。
死んでちょうだい と
「ドリー……」
一瞬杖先が青く発光し、青白い光の弾丸が放たれた。
キャロラインにはその光の弾丸の動きが驚く程ゆっくりに見えたが、彼女の身体は動かなかった。弾丸だけでなく、周囲の時間の流れが遅く感じられた。
彼女は直感的に理解した、これが死ぬという事なのだと。
やがて光の弾丸は彼女の目前に迫り────
「……こっ……、のっ、おああああああああ───!!」
不意に聞こえた誰かの叫び声。
それが聞こえたと同時に身体が何かに押し倒され、弾丸は青い流れ星のように路地を突き抜けていった。
彼女の思考は停止しており、目の前で何が起きたのかを理解するのに少しの時間を要した。微かに動く両目を動かし、彼女は自分を押し倒した相手の顔に焦点を合わせる。
「……ボーッと、突っ立ってんじゃねえよ……!」
紫色の瞳に、エイトの安堵した顔が映し出された。
「……驚いたわね、まさか動けるなんて」
「ふざけんな、ふざけんなよ……今何しようとしやがった!!」
「ご想像の通りよ」
「……何だと!?」
「しかし、凄かったね今の動き。もしかして君、異人の血が混じってるんじゃない?」
「……知ったことか!!」
エイトはドロシーを睨みつけながら立ち上がる。
魔法を受けて身体が麻痺している筈だが、彼は気合でそれを跳ね除け無理やり身体を動かした。
キャロラインの額に魔法が直撃するまでの一瞬に俯せの状態から地面を蹴り、その蹴った勢いと反動を利用して彼女を地面に押し倒したのだ。
後頭部を地面に打ち付けないように、キャロラインの頭部を手で庇いながら。
人間の動体視力と反射神経、そして運動能力で成し得る芸当ではないがどういう訳か彼は根性でそのような無茶を成功させてしまった。
(やべぇ……体中に嫌な痛みが走ってやがる。こりゃ明日全身筋肉痛になるな……)
しかし動かない身体を無理に動かした反動でエイトの身体にはかなりの負担がかかっていた。
身体が麻痺していた事を抜きにしても、あの動きは少々無茶が過ぎたようだ。
キャロラインの頭を庇った事で、地面と彼女の後頭部に押し潰される形になったその右手は負傷し、血が流れ出ている。
「……悪いな、お嬢。もう一回、言ってくれねえか?」
だが彼は右手の負傷など気にも留めずにドロシーに立ち塞がり、怒りに震える声で言った。
「何を?」
「コイツになんて言った?」
「……『死んで』と言ったわね」
エイトは歯を食いしばり、ドロシーに向かって走り出す。彼女は静かに杖を向け、軽めに衝撃の魔法を放った。
「ぐおっ!!」
その魔法はエイトの胴体に直撃し、彼の身体を勢いよく吹き飛ばす。
「がはっ……!」
彼の身体は動けずにいるキャロラインの傍まで押し戻され、そのまま大きく転倒してしまう。
「……エイト?」
「邪魔をしないで。僕は君に用があるわけじゃないのよ」
「ふざけ……んなよ!」
「……もういいよ、貴方は逃げて」
「諦めんの早いよ、もう少しガッツみせろ……!」
「無理だよ……私、もう……」
キャロラインは力なく地面に両膝をつき、か細い声で呟いた。彼女の瞳からは涙の筋が頬を伝い、その表情から彼女の心が完全に折れてしまっている事が窺い知れた。
「もしかして彼女に情が移ったの? まだ出会ったばかりじゃないの??」
「だから何だよ! だったら目の前で殺されてもいいっていうのか!?」
エイトの発した言葉にドロシーは少しだけ表情を変える。
「……そうね、君の言うとおりだわ。まさか運び屋の君からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ」
「……今は違うだろうが!」
「そうね、開き直りも大事よ。新しい人生を立派に歩めてるようで何よりよ、ロード君も喜んでるわ」
過去を捨てて生きるエイトを皮肉交じりに称賛し、ドロシーは再び杖を向ける。
「でも今は……君と遊んでる暇はないのよ」
その視線は冷たく、あの時に向けられたものと同じ悲しい眼差しであった。
彼女の眼を見てエイトは思わず怯んでしまうが、自分のすぐ隣で動けなくなっているキャロラインの姿を目にした事で再び怒りが込み上げてくる。
「やめろ!」
「彼女は、危険なのよ」
「何が危険だよ、今のアンタより危険な奴がこの世にいるか!」
エイトの鋭い指摘を受けても、ドロシーは微動だにしなかった。
「……はぁ」
それどころか溜息を吐いて『やれやれ』とでも言いたげな視線を向け、エイトは激昂した。
「そうかよ……この腹黒女!」
「君の相手をしている時間はないの」
立ち上がろうとするエイトに向けて、ドロシーはもう一発麻痺の魔法を放つ。
「がっ!」
まだ痺れが抜けきっていない状態で二度目の直撃を受け、エイトの体は完全に身動きが取れなくなった。
「ぐ……あ……ッ!」
「ごめんね、キャロル。待たせちゃって」
「……」
「天国に行ったら、お父さんによろしく言っておいて……」
そしてドロシーは動けないキャロラインに杖を向けて魔力を込める。
今度こそ確実に彼女の命を奪うつもりだ。エイトは必死に動こうとするがその体はもう動かない。
「やめろって……言ってんだろうがぁああああー!!」
エイトの叫びも虚しくドロシーの魔法杖から数発の光の弾丸が放たれる……まさにその時だった。
────ヒュヒュヒュンッ
ドロシーの死角……頭上から【黒い鞭】が伸び、魔法を全て弾き落とす。鞭はまるで生き物のように激しくしなり、さながら黒い蛇のようにも見えた。
「……!?」
ドロシーは咄嗟に上を向いて杖を構える。
彼女の視界には路地を挟む建物の屋上から自分に向かって落ちてくる黒い人影が映し出された。