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実は紅茶に限らず、お茶という飲み物が好きです。お茶はいいものだ
「全員で3万L$なら払うわよ」
「一人で3万よ?」
「全員で4万L$までなら払ってあげないこともないよ? どうする??」
ドロシーはブレンダにふてぶてしい態度で言う。
ブレンダの言葉は半分以上冗談だが、相手の反応によっては本当に多額の治療費を請求してくる。彼女もドロシーに負けず劣らずの曲者なのだ。
「一人でって言ってるでしょ。こっちはボランティアでお医者様してるんじゃないのよ」
「先生? 僕がその値段分の信頼を置いているのは医療技術だけよ。それ以外に信頼できる物が一つでもあったら喜んで払うわよ」
「うーわ、そこまで言う? 傷つくわー、精神的ショックで手が震えて治療失敗するかも」
「別にいいわよ。失敗したら貴方の利き腕が左手になるだけだから」
「……しょうがないわね、5万L$よ」
ドロシーの脅迫じみた要求と本気の目つきに根負けし、ブレンダは渋々引き受ける。
「それじゃお願いね、ブレンダ先生。僕はあの子を迎えに行くわ」
負傷者の治療を彼女に任せ、ドロシーはキャロラインの捜索に向かった。
「……さて、こんにちは警部。何処か痛むところあるかしら?」
「俺よりも、こいつの足を何とかしてやってくれ……変な風にしたら逮捕するからな」
「そこは信用してくれてもいんじゃないかしら……あら、イイ男。新人さんかしら?」
「ど、どうも……あの戻りますよね? この足」
「ふふふ、貴方の態度次第ね」
胸ポケットから赤いスクエア眼鏡を取り出し、妖しげに笑う彼女を見てリュークは察した。このブレンダはドロシーと同じ目をしている……深く関わってはいけないタイプの女だと。
「私はブレンダ、貴方のお名前は? 可愛い新人さん」
畜生眼鏡2号との運命的な邂逅を果たした若き警察官は、軽度の眼鏡恐怖症を抱えてしまう事になったという。
◇◇◇◇
午前11時、リンボ・シティ12番街区の大通り
「彼女たちが逃げたのは何時頃だ?」
「50分頃にっ……すみません」
「いいんだ、あまり気に負うな」
「すみません……!」
「お前は立派だよ。俺なら……撃てなかった」
キャロラインを取り逃がし、消沈する後輩にジェイムスは励ましの言葉をかける。
管理局に所属してから彼は何度もこの案件に関わってきた。その言葉の通りジェイムスは一度もキャロラインに向けて魔法を放つ事が出来なかった。
「……本当、キツい仕事だよなぁ」
「ハーイ、こんにちわ!」
言葉にできない沈痛な思いが胸中を抉り、鬱屈した表情になっているジェイムスに何者が声をかけた。
「キッド君、此処にいたのね」
「……お前が逃がしたのか?」
「いいえ、邪魔が入って逃しちゃっただけ。僕はあの子を天国に送る為に来たんだから」
「尊敬するよ、クソヴィッチ」
「この街の皆の為だもの」
ドロシーは真顔で言い放つ。彼女の言葉は本当だ、邪魔さえ入らなければ躊躇せずにキャロラインを処理していた。
彼女はずっとこの日になるとそうして来たのだから。
「彼女を助けた男の特徴は覚えているか?」
「ええ、ぐっ……!」
「大丈夫? ……その様子じゃ肋骨が折れてそうね」
「その男は、整えられた金色の短髪で紳士服を着ていました。身長は180㎝程の若い痩せ型の男で……恐らくは人間だと思います、が……ッ!」
「わかった、今近くに例の医者が来てる。お前も手当して貰え」
「とんでもない脚力と強靭な足の持ち主で、蹴られた時は……まるでその足が鉄で出来ているように思えました」
「……なるほど。ありがとう、君は休んでて」
彼の供述を聞き、ドロシーはキャロラインを助けた男性の目星がついたようだ。
「うーん、困ったわね」
「目星がついたのか? ドロシー」
「どうかしら?」
「……その顔は知ってるな?」
「ふふん、キッド君も僕の顔を見るだけでわかるようになったのね。嬉しいよ」
ドロシーは満足げに笑って歩き出した。
そして小さく溜息を吐き、彼に向けて呟いた。何処か残念そうな、そして呆れたような何とも言えない笑みを浮かべて……
「……借りを返してもらうのは思ったよりも早くなりそうね、エイト君?」
◇◇◇◇
その頃、エイト達は12番街区にある薄暗い路地を逃げていた。
(……男の人に担がれるなんて初めてだわ……)
キャロラインはまだ身体が痺れて動けず、不本意ながら彼に担がれたまま大人しくしていた。
表通りにはパトカーや魔法使いが巡回しており、下手に表に出れば瞬く間に捕まってしまうだろう……
「なるほどねえ……、警察や魔法使いさんはアンタを捜し回ってた訳か」
「……」
「一体、何をしでかしたんだ?」
「何もしてないわよ……、私が聞きたいくらいだもの!!」
「まー、記憶を封じて逃げてたっていう可能性もあるし? 後でそれも調べてみるか」
「記憶を封じ……何を言っているの?」
「リンボ・シティじゃよくあることさ。過去にヤバイことをしでかした奴らが自分の記憶を消したり、顔を変えたり若返ったりして隠れ住むってのはな」
キャロラインは困惑した。彼が何を言っているのか理解できないからだ。
「リンボ……?」
「この街の名前だよ。何だよ嬢ちゃん、街の名前まで忘れちまったのか?」
「この街は、【ロンディノス・シティ】でしょう?」
「は? 何それ聞いたことない。ロンディノスって何だよ」
「この街の名前よ! 貴方、そんなことも知らないの!?」
「は??」
キャロラインの発言にエイトも困惑した。
ロンディノス・シティとはこの街がまだ向こう側にあった時に使用されていたものであり、向こう側への帰還が不可能と断定された1950年以降は使われていない。
ロンディノスという単語も当時の大規模な記憶処置によって忘れ去られており、その名を覚えている人物はごく少数のみとなっている。
……ちなみにリンボ・シティという名が定着したのは1960年代からであり、それまではアーカム・シティだのパンデモニウムだのソドムかゴモラだのと呼ばれていた。
「ええと、まぁいいや……とりあえず俺の職場に逃げ込むか」
「……ねぇ」
「何だよ?」
「もしかして私、誘拐されてないかしら??」
キャロラインの言葉を聞いて、エイトは沈黙する。
「……」
じわじわと彼の額に汗が浮かび、物凄く嫌な予感が胸中を駆け巡った。
でも常飲するのは紅茶です。




