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「……警部、あの子やっぱり化け物なんですね」
「いや、クソ魔女だよ。アレと一緒にされる他の化け物さんが可哀想だろ、ちゃんとクソ魔女と呼んで区別してやれ」
「これが、ドロシー・バーキンスの魔法……」
問題の異界門は収縮し、やがて消滅した。
門が開いていたのは10分程で、現れた異世界種も一体のみであったがそれでも彼らは大きな被害を被った。
屋敷を包囲していた警官隊や魔法使いは先程の戦闘で疲弊し、逃走したキャロラインを今から追いかけるのは無理だろう。
「はっはっ、最近の神様ヒデェや!」
神の悪意ある悪戯としか思えないトラブルの連続にアレックス警部も乾いた笑いを上げるしかなかった。
「……で、どうする? 俺は暫く動けないぞ……、みんな似たようなもんか」
「俺もです警部。足が折れて変な方向に曲がってます……ちゃんと戻りますよね?」
「生きてさえいれば大体何とかなる。大丈夫だ」
「くっ……、こちらキャロライン処理班! 本部、聞こえますか!?」
「ところで警部……結局、屋敷の中で何が起きたんですか?」
リューク刑事は気になっていた事を警部に聞くが、彼は目を曇らせながら視線を逸らした。
◇◇◇◇
ほぼ同刻、異常管理局セフィロト総本部 賢者室にて
「はい、わかりました。今すぐ増援を送ります」
「……」
「大賢者様……」
「わかっているわ、街全体に外出禁止令を発令して。それと、巡回している魔法使いに厳重警戒態勢を取らせて」
「……了解です」
「寧ろ今回のようなトラブルが今まで起きなかったことの方が、奇跡だったのかもしれないわね……」
窓から外を眺める大賢者は静かな口調で言った。サチコは連絡端末を取り出し、魔法使い達に連絡を入れる。
「……」
サチコは表情こそ変えないが、その心境は辛いものであった。
キャロライン・マッケンジー。80年前に起きた異世界種による史上最悪の獣害事案【マッケンジー家獣害事件】……その最初の犠牲となった家族唯一の生き残りだ。
そして、この事件が未だ解決されていない最大の要因でもある。
あの場に居た警官隊は、彼女を屋敷の外に逃がさぬよう包囲していたのであり、魔法使いは彼女が屋敷から逃げ出さない内に処理する為に派遣されたのだ。
勿論、あのドロシー・バーキンスも。
「彼女が使用した【跳躍時計】は、まだ発見されていません。80年前の起点に置き忘れてきたと思われますが……」
「……今日までに跳躍時計が見つけられなかった以上、私たちが彼女に出来ることは一つしかないわ」
「……ッ、わかっています」
サチコの喉に苦い胃液が逆流してきたが、彼女はそれを飲み込んで耐えた。
サチコも今日までに何度もこの日を経験しており、その度に心を磨り減らしてきた。だが大賢者やドロシーはサチコ以上に深く、そして長い間この案件に関わってきている。
彼女達はそのキャロラインやマッケンジー家と直接親交があったのだから……。
「貴女は、私たちを軽蔑するかしら? サチコ」
「私には……何も言えません」
「そう……」
大賢者はそれ以上何も言わず、ただ窓の外を睨みつけていた。
◇◇◇◇
「はぁ……はぁ……!」
キャロラインはひたすら走って逃げていた。
どれだけの距離を逃げたのか、彼女にはもうわからない。とにかく一刻も早く、そしてあの場から出来るだけ遠くに離れたかった。
「何よ……、何なのよ……!」
息が切れたキャロラインは道端の街灯に力なく手をつき、その足を止めた。彼女の足裏は血まみれで、逃げてきた道路には血の足跡が出来ていた。
右腕や足裏の怪我に加え、肌を切るような冷たい風は彼女の体力を容赦なく奪い取っていく。
「パパ、ママ、シェリー、ルーク……」
キャロラインは家族の名前を思わず口にした。
あの日、家の中に突然現れた【黒い獣】……魔法使いの父親を倒し、母や妹、そして赤子だった弟に容赦なく襲いかかったあの悪魔の姿が脳裏に焼き付いて離れない。
その獣は体から赤い触手を伸ばし、家族の体と自分の右腕を貫いた。
それはまさに一瞬の出来事だった。まるで嵐のように唐突に、悪い夢のように理不尽に、彼女の日常は瞬く間に崩壊してしまった。
「こんな道……知らない。まさか本当に……」
そして気がつけば、あの場所に居た。其処で彼女を待っていたのは……
「おい君……大丈夫か??」
「……ひっ!」
背後から急に声をかけられ、キャロラインは悲鳴をあげる。
震えながら振り向くと黒いコートを着た褐色肌の男性が立っていた。管理局から派遣された魔法使いだ。
「あ、あの……私」
「落ち着いて……あれ、君は」
「あの……」
キャロラインの顔を見た途端、魔法使いの表情が変わる。
「……!!」
彼は何も言わずに杖を構えた、あの時のドロシーのように。見知らぬ魔法使いもまた、突き刺すような敵意をキャロラインに向ける。
「な、何なの……」
「そのまま動くな!」
「私が、何をしたっていうの!?」
「静かにしていろ……応答願います、キャロライン・マッケンジーを発見しました。場所は」
「私は……!」
「大人しくするんだ!!」
一発、威嚇射撃のつもりだったのだろう。魔法使いは魔法をキャロラインの足元に向けて放った。命中はしなかったが、彼女の心を折るには十分だった。
「……」
「そうだ、大人しくするんだ……」
「どうして、こんなことをするの」
「何も言わないでくれ、頼む」
「もう嫌だ! もう限界よ!!」
「ま、待て!!」
キャロラインはたまらず走り出す。魔法使いは必死に声をかけるが彼女の足は止まらない……彼は覚悟を決めてその背中に狙いを定める。
「すまない……!」
褐色の魔法使いは彼女に向けて魔法を放つ。魔法は逃げるキャロラインに命中し、彼女は力なく地面に倒れ付した。
「あ……うぅ……!!」
その魔法は殺傷力こそないが、命中した相手の身体を短時間麻痺させる効果を持つ。
若い魔法使いは場合によっては彼女を処理することも命令されていたが、彼には出来なかった。
「……場所は12番街区。リンボ・シティ第三図書館に続く大通りです、既に対象の無力化に成功しました」
『……殺したのか?』
「自分には……その」
『わかった、すぐに向かう』
彼は連絡端末を閉じ、地面に倒れるキャロラインに視線を戻す。
「!?」
視線の先ではいつの間にか現れた見知らぬ男が彼女を心配して声をかけていた。
「おいおい、大丈夫か? 嬢ちゃん」
「うぅ……!」
「おい、君! 彼女から離れなさい!!」
魔法使いは慌てて彼らに駆け寄る。
「助けて……」
「へ?」
「彼女から離れるんだ!!」
「助けて、お願い……!」
倒れるキャロラインの側にしゃがみ込み、金髪で痩せ型の男は彼女の声に耳を傾ける。
「……ごめん、もっかい言ってくれる?」
「……助けて!!」
着崩した紳士服の上に薄いジャンパーを羽織った男は、走り寄ってくる魔法使いを睨みつけた。