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今日のお嬢様は紅茶が足りていません。お察しください。
翌日、13番街区にある広大な共同墓地にて。
「……久しぶりね、みんな元気にしてる?」
墓地に建てられたある家族の墓に喪服姿のドロシーがスコットと訪れていた。
その墓には一家の生前の姿を再現した彫像が飾られている。
「ふふっ、紹介するわ。彼はスコット君、僕の新しいファミリーよ」
「……ど、どうも」
ドロシーの手にはそこに眠る【マッケンジー家】に贈る為の白色のライラックの花束が握られていた。
その大黒柱であるクレイン氏とは家族ぐるみで親交のあった数少ない友人で、彼もまた優秀な魔法使いだった。
「……あの、このお墓は」
「うん、僕の古い友達のよ。本当に素敵な家族だったわ」
「……」
今から80年前、彼らの屋敷付近で異界門が発生した。
そこから現れた凶暴な異世界種はマッケンジー家の屋敷に忍び込み、団欒としていた一家を殺害。
その怪物は魔法使いであるクレインを倒し、彼の幼馴染だった妻、そして当時17歳になったばかりの長女、12歳の次女、生まれたばかりの長男を容赦なく襲った。
ドロシーが駆けつけた時には、もう手遅れだったのだ。
「社長……」
「ううん、何でもないよ……ちょっと昔を思い出しただけ」
ドロシーは親愛なる友人達に花束を添えた。
もっと早くあの屋敷に……と後悔した事も一度や二度ではない。だがあの悲劇は彼女にも防ぎようがなかった。
異界門が何時、何処で発生するのか当時はおろか現在でもわからないのだから。
「あら、ドロシーちゃん。今日も会いに来てくれたのね」
「あ、ウィドーさん。貴女こそ」
黙祷するドロシー達の前に、一人の女性が現れる。
目深く被ったフードで隠され、その素顔は窺いしれない。服装も黒い喪服のようなローブであり、何処か近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
彼女もマッケンジー家の墓前に捧げる為のスターチスの花束を持参しており、ドロシーの添えた花束の隣に置いた。
「今年で、80年になるのかしら」
「そうだね、もう80年……今でも忘れられないよ」
「そうね、忘れられないわね。私もまるで昨日の出来事のように思い出すもの」
彼女は二人に頭を下げて静かに歩き去った。
正面からは見え辛いが彼女の背中には羽のような複数の【触手】が生えており、まるで意思を持っているかのように蠢いている。
背中の触手は伸縮自在で、その気になればかなりの長さまで伸ばせるらしい。
「……なんだか、不思議な人ですね」
「僕もそう思うよ。そろそろ名前を教えてくれてもいいんだけどね」
「え、さっき『ウィドーさん』って呼んでたじゃないですか」
「あれは名前じゃないよ。教えてくれないから、みんなそう呼んでるの」
彼女の名前は誰も知らない。
少なくとも70年以上もの間、この墓を訪れてドロシーのように花束を添えている。彼女もこの一家と縁が深い人物のようだが、詳しい関係はわからない。
13番街区に住んでいる事は判明しているが、何処に住んでいるのかは未だ不明。
元からこの街にいたのか、異界門から現れたのかもわかっていない。
誰にもその詳しい素性が知られていない彼女は、何時しか人々に黒い奇婦人と呼ばれるようになっていた。
「ああ、長かったわね……」
婦人は足を止め、ふと空を見上げる。
微かに覗く蠱惑的な口元は微笑み、ある人物の名前を小さく呟いた。
その名がどんな意味を持っているのかは誰にもわからない。
だが彼の名前を呟く彼女は何処か嬉しそうであった。
「本当に、この街には色んな人がいるんですね……」
彼女の様子を遠くで見ていたスコットは怪訝そうな顔で言う。
「ふふふ、君が言うんだね」
「……俺はまだマシな方だと思いますよ」
「どうかなー?」
ドロシーは小さく笑いながらスコットをつつく。
しかしスコットが隣に居てくれても彼女の心は沈んでいた。彼女にもあの事件はまるで昨日の出来事のように鮮明に思い出せるのだから。
……それこそ、昨日に見た悪夢のように。
「ところで、どうしてこのお墓だけこんな像が置いてあるんですか?」
「……それはね、このお墓に眠る人達は」
スコットの質問に答えようとした時、ドロシーの携帯に連絡が入る。
「……もう」
彼女は目を数秒瞑り、心の中で愚痴を呟いた後に電話に出た。
「はーい、もしもし。僕だよ」
『……今日が何の日か、覚えているかしら?』
「ええ、勿論。屋敷の周囲はどうなってるの?」
『既に管理局所属の魔法使いを配備済みよ……わかっていると思うけど、彼女を逃がそうとは思わないでね』
「安心して、叔母様。僕にもう迷いはないよ」
ドロシーは静かに通話を閉じた。
電話越しに話していた相手は大賢者だ……そして彼女から直接電話が来るということは、これから街で何かが起きるということだろう。
「社長?」
「ごめんね、スコット君。続きは後で話すわ」
「え、ああ……はい」
「君は先に家に戻ってて。僕はちょっと用事があるから」
「えっ? いや、俺も一緒に」
「社長命令よ、スコット・オーランド。貴方は家に戻りなさい」
「……」
「それに、これは僕にしか出来ないことなの」
ドロシーは真剣な表情でスコットに言う。
「家に戻るのが嫌なら街で遊んでいてもいいわ。ただし僕の後をつけてこないでね」
「……今日は何があるんですか?」
スコットの問いにドロシーは答えない。何処か悲しげに笑うだけだ。
「ああ、此処におられましたか」
微妙な雰囲気の二人の所にアーサーが駆け寄ってくる。
「はーい、アーサー」
「お嬢様、お時間です」
「わかってるよ、行きましょう」
「あの、社長……」
「大丈夫、すぐに終わらせて帰るわ。心配しないで」
「……どうですかね」
誓歴2028年 11月15日、午前10時10分。天気は曇り。
厚い雲に太陽が隠れ、肌を切るような冷たい風が身を縮ませる。
秋は既に過ぎ去り、凍るような冬が産声を上げ始める時期だった。