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ここでようやく彼が再登場します。
いつものように昔の事を思い出していた。
まだ小さな子供だった頃の事だ。
毎日、空腹に悩まされていた。
路地裏を走り回るネズミや、大きな虫でさえご馳走に見えたほどだ。
その時の彼には食べ物を買う金すら無かった。
食べ物は街に出ればいくらでもあった。
街の屋台には調理された美味しそうな食べ物が沢山並んでいた。
だが、それに手を出せば店主に叩きのめされた。
お金が無く、身寄りもない子供に食べ物を恵んでも何の得にもならないからだ。
だから彼はまず食べ物を買うお金を手に入れるために『何でもやろう』と心に決めた。
そう、何でも……
「あー、住めば慣れるっていうけどなあ」
自販機からタバコを取り出し、長身の男は小さく溜め息をつく。
彼の頭には今朝見た子供の頃の夢が今もこびりついている。
〈ピョア、ピョア、ピョア〉
彼の頭上を風船みたいに膨らんだ丸鳥が飛ぶ。
ふと空を見上げれば目に飛び込むのは先程の奇妙な鳥と、空を泳ぐ半透明の鯨。視線を下ろせば街を通るのは個性豊かな異人達。
どうしてこんな所で住もうと思ったのか……今日も彼はそんな事を考えた。
「はいはい、此処しか居場所がねえからですよ……っと」
しかし彼はそう言って自嘲気味に笑う。
この街から出る為にもそれなりの資金が必要だ。
更に彼は新しく与えられた義足の代金も支払う必要があった。
彼女に肩代わりされた額はざっと50000L$、完済までの道のりはまだまだ長い。
この男はかつて人に言えないような仕事をしていたが、現在は強制的に足を洗って別の仕事に就いている。
「はぁ……真っ当に金を稼ぐってのは、そこそこ大変なもんだなぁ」
彼の名前はエイト。運び屋としてとある魔女と人妻を誘拐した勇気ある外の世界出身の人間だ。
「そろそろ休憩時間が終わるな、早く戻らねえと」
何処からか爆発音が聞こえてくる。
それから少し経って再び爆発の音。
「……」
そしてパトカーのサイレンが聞こえ、何やらひと騒ぎが起きてるという事がわかった。
「あー、こええなあ。やべーなぁ」
しかし彼は呑気に呟いて歩き出す。
この街に住むようになってから、遠くから爆発音が聞こえたくらいでは驚かなくなってしまった。
何故ならこの街はそういうところなのだから。
その証拠に彼の周りを歩く人々もあまり気にしていない。例えあの爆発で誰かが死んでしまったとしても。
「あっ、エイト君じゃないの」
背後から聞き覚えのある声がする。
「……あー、畜生め」
エイトはその声の主に一瞬で気付き、聞こえないように小さく愚痴を吐いて振り向いた。
「ああ、どうも。今日はいい天気ですね、お嬢」
声をかけたのはスコットとお忍びデート中のドロシーだった。
「どうしたの、浮かない顔して。ただでさえ老け顔なのに、益々老けて見えるよ」
「おいやめろ、気にしてんだよ!」
「社長、そういう事は言わないであげるのが優しさですよ」
老け顔と言われて傷つくエイトをスコットは優しくフォローする。
「でも、あんまり気に病んで死にたくなったら言ってくださいね。ぶち殺してやりますから」
「清々しい顔で怖いこと言わねえでくれる!? 流石にそこまでは気にしてねえから!」
そして笑顔でこの台詞。スコットはドロシーを誘拐した彼を許すつもりはなく、表面上は穏やかに接しつつも隠しきれぬ殺意が滲み出ている。
「スコッツ君、彼は恩人よ? 僕はもう気にしてないんだから許してあげてよ」
「まぁ……社長がそう言うなら。社長の前では許します」
「……どーも」
「ところでお仕事の方はどう? ちゃんと稼げてる? その足の代金の残りはあと40000L$だよ」
そしてドロシーも可愛い笑顔でさり気なく借金返済を促す。
「えーと……まぁ……ぼちぼち」
「期限は決めてないけどしっかり働いて返してねー」
「はい……頑張ります。お嬢」
「取り立ては俺に任せてください」
「駄目だよ、スコッツ君。君に任せるとエイト君が死んじゃうわ」
「駄目ですかねー?」
「駄目だよー?」
笑顔でおっかない会話をする二人にエイトはドン引きした。
あの時、ドロシーに胸を撃ち抜かれてマリアに頭から直接情報を吸い出されるという壮絶な制裁を受けた彼だが実はこの通り生存していた。
ジェイムスと管理局の目を欺く為に両足を切断され、心臟も抜き取られたがすぐ後に擬似心臟と機械式の義足を与えられて復活。
ドロシーは再就職先に管理局の目が届き難い13番街区の知人の店を紹介し、『週に3回はロードリック紅茶店に顔を出すこと』、『手伝ってほしいと言われたら黙って身体と命を貸すこと』を条件に逃していた。
(……あー、でも見た目だけは可愛いなぁコイツ。すげームカつくけど)
身体を失ったニックがインレとの戦いに参加できたのも、エイトがその身体を彼に差し出したお陰だ。
「じゃあ、僕たちはちょっと寄りたい場所があるから行くよ。またねー」
「……それじゃ」
「寄りたい場所って、もしかしてさっきの爆発の?」
「まっさかー、あれくらいで僕が呼ばれることはないわ。この街の警察はとっても優秀だし、異常管理局の皆が居るしねー」
「あ、そう……」
「まぁ、それでも呼ばれた時は手伝ってあげるわ。大切な友人からのお願いだしねー」
ドロシーは満面の笑みで言い放ち、スコットを連れて とある飲食店 に入っていった。
「……おっかねぇなあ」
エイトはそう言って新しい職場へと向かう。
冷たい機械の義足と偽物の心臟にも随分と慣れたが、それでも微かに聞こえるキリキリとした駆動音はちょっとした悩みのタネとなっていた。
忘れていた方も多いのではないでしょうか。