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今日はお前がナンバーワンだ
ワァァァァァッ!
会場に響き渡る歓声。グリーン・ダウン・パークに集った観客達はここに集った目的も忘れ、ディスプレイの映像に夢中になっていた。
「……やっぱりすげえよ。お前らは」
特別観覧席から勝負を見届けたベッカーは思わず拳を握りしめた。
『す、凄い! 皆さん、見ましたか!? 黒い馬が白い馬を追い越して、馬に乗っていた騎手がトドメを刺しました! 15番街区に現れた馬の怪物が今ッ、彼らに倒されました!!』
リポーターも興奮気味に言う。
15番街区に現れた怪物を追っていたつもりが、まさかアドリブでレース実況紛いのリポートをする事になるとは思いもしなかっただろう。
「……なぁ、スカマーさん。見たかよ? あれがヴェントゥスだ」
ベッカーは既に息絶えたスカマーに振り向いて言う。
「アンタが捨てた……伝説の名馬の息子だよ」
スカマーの死に顔は何処か満足気で、まるで憑き物が落ちたかのようだった。
「レースはもう始まってしまっただろうな」
〈ぶるるっ〉
「……私達は失格だな。ベッカーはどんな顔をするだろうか」
〈ぶるんっ!〉
「何? もういいだと? 私はお前をレースで勝たせてやれなかったんだぞ……」
ブリジットはヴェントゥスと競馬場に向かいながら沈痛な面持ちになる。
「……ベッカーとの約束も破ってしまった。これでは騎士失格だ」
〈ぶるあっ!〉
消沈する彼女をヴェントゥスが一喝する。
「……ふふっ、そうだな。確かにお前の勝ちだったな」
皮肉げに『俺は勝っただろうが』とボヤくヴェントゥスにブリジットは救われる。
「さて、競馬場の前に着いたが、ここからどうやって中に入るつもりだったのだ?」
〈ぶるるるっ!〉
「何? 門を突き破るだと? 全く……お前は本当に荒っぽい奴だ」
ガコン……
固く閉ざされていた競馬場の正面ゲートが開いていく。
警備員達も何も言わずに道を開け、レース会場を指し示した。
「……む? これはこのまま進んでいいのか」
〈ぶるるっ!〉
「むむ、確かにそうするしかないが……」
ヴェントゥスはブリジットを乗せたまま悠々と進む。
レース開幕前に勝手に居なくなった二人をスタッフ達は責めるどころか温かな目で見送った。
そして午前10時。騎手番号4番のブリジット、同じく馬番号4番のヴェントゥスが入場……
ワァァァァァァァァァァッ!!!
その瞬間、会場中の観客達が一斉に歓声を上げた。
「何だ? もうレースが始まっていたと思っていたのだが……他の騎手や馬は何処だ??」
〈ぶるるるるっ!〉
「それに、この歓声は……」
「はっはっは! 本当にお前らはとんでもねーな!!」
身に覚えのない拍手喝采に戸惑うブリジット達の前にベッカーがやって来る。
「む、ベッカーか」
「スゲーよ、お前ら! 本当にスゲー!!」
「……いや、私はお前との約束を破ってしまった。レースに出場してヴェントゥスを勝たせてやるという約束が……」
「はっ! 何言ってんだよ、お前! 圧勝だったじゃねえか!!」
ベッカーはそう言って手を差し出し、ブリジットに握手を求める。
「お前とヴェントゥスが一着だ!」
「むむっ、そうなのか?」
「約束通り……最高の走りを見せてもらったよ!!」
ワァァァァァァッ!!
ここで再び拍手喝采。グリーン・ダウン・チェイス改め、リンボ・フィフティーンブロック・チェイスを制した二人を称え、観客達がスタンディングオベーションする。
〈……ぶるるっ〉
見慣れない会場と聞き慣れない音に大勢の人間。はじめは戸惑っていたヴェントゥスだったが
「よくわからないが……どうやら皆がお前を称えてくれているようだぞ」
「ああ、皆レースそっちのけでお前らの方に夢中だったよ! 何のために此処に来たのか覚えてるやつはもう居ねえな、はっはっ!!」
〈ぶるあっ!〉
「ふふっ、そういうことなら仕方ないな。一応、手は振っておこうか」
いつしか足は自然に前へと進み、湧き上がる歓声を全身で受け止めていた。
(……これが、父上の見ていた世界か)
ふと亡き父ラディウスの事を思い出し、かつては父もこのような気分だったのかと感慨にふける。
(ふん、俺はこの一度きりで十分だな)
心でそう呟いてヴェントゥスが空を見上げると、青い瞳に不思議な形をした雲が映り込む。
偶然か、嫌がらせか。その雲は大きな馬の形をしていた。
まるで空を駆け抜けていくかのような……
◇◇◇◇
「はぁー……これはまた、酷い死に様だな」
一方、15番街区の大道路。無残に食い散らかされたフェッチャーの死体にジェイムスは顔をしかめる。
「うわぁ……」
「……ヒドイ」
「……うぷっ!」
「おい、ここで吐くなよ? 吐くなら向こうの瓦礫の裏に行け」
現場に到着した管理局職員達が黙祷する。
後にこの死体が騒ぎを起こした張本人だと判明するのだが、現時点ではただの可哀想な一被害者だ。
薄汚い命でその罪を償ったという事で大目に見てやるべきだろう。
「とりあえずこの怪物があの倉庫から出てきた奴で間違いなさそうだな」
ジェイムスは馬に似た怪物の死体を見て呟く。
脳天には見覚えのある剣が突き立てられているが、彼は見てみぬフリに徹する。
例の魔女がひょっこり現れない事を神に祈りながら、ジェイムスは黙々と死体の回収準備に取り掛かる。
「新種の異世界種でしょうかね? 既存の新動物にこれと一致する個体は見当たりませんが……」
「……まぁ、倉庫の持ち主とその周辺を調べればわかるだろう。ほら、さっさと終わらせて本部に戻るぞ」
「あっ、はい!」
「了解デス!」
ワァァァァァァァッ……
ジェイムス達の所にまで競馬場の歓声が聞こえてくる。
「……こんな時にも呑気に賭け事か。羨ましいねぇ、ホントに」
すぐ近くで騒ぎがあったのに競馬に熱中する彼らを軽蔑しつつ、ジェイムスは作業を続ける。
……この歓声が目の前の怪物を倒したブリジット達に贈られたものだと知ったら、彼は一体どんな反応を示しただろうか。