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『おはようございまーす! 今週の異界門発生予報のお時間です! 先日に発生した門の影響か、全体的に空間が不安定です! 異界門の発生確率は60%、お出かけの際には十分な注意を!!』
茶色の髪を後ろで纏めた女性予報士が明るい表情で異界門に関する情報を伝える。
「うーん、60%かー」
「少し気になる数字ね。心配だわ」
「ですわねぇ」
「……」
着替えを終えたスコットはリビングのソファーで仏頂面になっていた。
用意された朝食のツナサンドや紅茶にも手を付けず、寝起きから様々な感情が突き抜けすぎて もうどうでもいいや とでも言いたげな顔でニュースを見ている。
「あの、聞いていいですか? ドロシーさ」
「社長って呼んで?」
ドロシーはすぐさま言い直すように要求する。
「……社長」
「なぁに? スコッツ君」
「俺、昨日何をやらかしたんですか?」
スコットはテレビ画面だけを見ながらボソボソと言う。
「んとねー、かなりはっちゃけてたね」
「ふふふ、そうね」
「うふふ、それは見事なはっちゃけぶりでしたわ」
三人の女性は全員が同じような柔らかい笑顔で答える。
「……どんな風に?」
「本当に覚えてないんだねー、わかった。じゃあ詳しく教えてあげる」
ドロシーは紅茶を一口飲んだ後、昨夜の宴について楽しそうに語りだした────……
それは怪物を倒し、ドロシーと一方的な契約を結んだすぐ後のこと。
「だ、だから俺はファミリーになったつもりは無いですって!」
上機嫌なドロシーに手を引かれ、再び黒いオープンカーに収まったスコットは慌てた様子で言う。
「駄目よー、君はもうファミリー。ちゃんとお給料も出してあげるから安心して」
「いやいやいや! 俺はあんな怪物と戦うなんて無理ですよ! あ、ちょっと! ちょっと待って!!」
スコットの言葉を無視して車は勢いよく走り出す。
ドロシーは途中ですれ違った疲れ顔のアレックス警部達に手を振り、笑顔で『またね』と挨拶した。
「待って! 俺は戦えませんって! 役に立てませんってば!!」
「えー、スコッツ君の力は相当だよ? 君に勝てる奴なんて滅多にいないって、自信を持ちなさい」
「持てませんよ!」
「それに毎回あんなのを退治するわけじゃないからね? 今日が特別に面倒な仕事だっただけよ」
スコットは何とか逃げようとするが、ドロシーに腕をガッシリと掴まれて動けない。
微かに感じる彼女の柔らかい胸の感触に反応して体が強張っているのだ。
「そ、それでも俺は!」
「お嬢様、今日のディナーは如何に致しますか?」
「そうねー、歓迎会だから豪華なものにして。とにかく豪華にー」
「かしこまりました。ご希望のデザートは?」
「勿論、プティングよ。でもその前にまずは昼食ねー」
「ははは、そうですな。では、このままあのお店に寄らせていただきましょうか」
まるでスコットの声が聞こえていないかのように老執事はドロシーと会話する。
「聞いてます!? 俺はっ」
「よー、童貞ー! 今夜は期待してろよ!? 歓迎してやるからさー!」
「ふおお!?」
車のすぐ隣を並走するマリアの運転する黒いバイクに座るアルマがニヤニヤしながらスコットに言う。
「あ、あのっ! 俺はですね! 別にアンタたちの」
「ですわねー! 折角の新人君ですものー、歓迎してあげなくちゃー!!」
「だよなー! あははははー!!」
「それではお先にー!」
「ちょっと聞いてぇぇぇー!?」
マリアはスピードを上げて車を追い越す。
追い越す途中に一瞬だけ老執事と顔を合わせたが言葉を交わすような事はせず、意味深な沈黙とアルマの楽しそうな笑い声を残して走り去っていった。
「……俺は、ううっ……!」
もう何も言っても無駄だと悟ったスコットは頭を抱える。
「あれ、どうしたの? スコッツくん」
そんなスコットの苦悩など全く知る由もないドロシーは心配そうに彼の顔を覗く。
「気分が悪いの?」
「……放っておいてください」
「何処か痛いの? もしも痛むところがあるなら教えて、ルナに癒やしてもらうから」
「……痛むのは心です。もう癒せません」
「あー、心かー。心は中々癒せないねー」
スコットはドロシーがわざと自分の言葉を無視しているのではないかと本気で疑った。
「……ところで、あの……ブリギットさんでしたっけ? あの人は?」
「あー、ブリちゃんのことは忘れていいよ」
「えっ?」
「くねくねモードに入ったブリちゃんはもうどうにもならないから。あのままそっとしておくのがベストなのよ」
「あのまま置き去りにするんですか!?」
「だって僕の声も届かないし。大丈夫、あと10分もすれば正気に戻るから」
「……それで、あの人はどうやって帰るんですか」
「そこは心配しなくていいよー」
ドロシーのブリジットに対するあからさまに雑な対応にスコットは何とも言えない気分になる。
「ドロシ」
「社長」
「……社長はあの人が嫌いなんですか?」
「まさか。あの子もファミリーよ? 家族みたいに大事にしているわ!」
「それでも置き去りにするんですね」
「だって、くねくねになったブリちゃんは本当に気持ち悪いもの。見ていると紅茶の味が悪くなるから放っておくしかないのよー」
爽やかな笑顔でさらりとそんな台詞を吐くドロシーにスコットは軽く引いた。
「……そういえば、あの人は老執事さんを見た瞬間にああなりましたけど。ひょっとして」
「はっはっは、困りますな。この歳になって女性に好かれるとは思いもしませんでした」
「うん、ブリちゃんはアーサーがタイプなの。曰く憧れの人とそっくりなんだってさ」
「へー……」
「ははは、恐縮です。ですが、流石にこの歳になると恋愛には遠慮がちになりましてな……ブリジットさんには大変申し訳ありませんが」
「……」
「ちなみにアーサーはブリジット以外にも色んな人に好かれてるのよ。13番街区のバーの常連のマダムとか、花屋のアルバイトの子とか、10番街区のー」
「モテモテですね、執事さん!?」
「ははは、お恥ずかしい限りです。丁重に断ってはいるのですが……」
年老いて尚も女に好かれ、しかもお付き合いをお断りした上でも想いを寄せられる罪作りな老執事にスコットは真顔で嫉妬した。
急に冷え込んできましたね。紅茶が美味しくなります。