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お金があります。我儘を突き通す権力もあります。それを叶える技術があります。
どうしますか?
「おい……今、アイツ……何て言った?」
ベッカーは立ち止まり、目を見開きながら振り向いた。
「ああ、他の馬には可哀想だが」
「それなら良かった。その馬達が動けなくなったらまた私に売ってくれ……いい種になるからね」
「わかっているさ……おや」
フェッチャーが話を盗み聞きしていたベッカーに気付く。
「こらこら、盗み聞きとは趣味が悪いぞ?」
「……ベッカー君、どうして此処に」
スカマーは彼の姿の見た途端に表情を変えた。
「オーナー、さっきの話は一体……?」
ベッカーは震える拳をギュッと握りながらスカマーに問いかける。
「ただの栄養剤さ。君には教えていなかったが、レーズ前には馬を万全の状態にするようにいつも栄養剤を」
「本当の事を言ってください! 薬って何ですか! 他の馬に何を打ったんですか!?」
「あれ、君は確か……」
ベッカーに見覚えがあったのか、フェッチャーは彼に近づいてまじまじと顔を見つめる。
「ああ! 君はヘンリー君の子か! 久しぶりだね、10年ぶりくらいかな?」
「……! ど、どうして親父の名前を!?」
「知っているとも! ラディウスの世話係だろう? 彼とは友達だったんだ」
フェッチャーは彼がラディウスの世話をしていたヘンリーの息子だと気付くと嬉しそうに握手をした。
「……フェッチャー、そろそろ」
「もう少しくらい話をさせてくれよ。久々の再会なんだぞ?」
「……」
「ひょっとして、君がヴェントゥスの世話係だったりするのかな?」
「そう、ですよ……」
「ははは、なんと奇遇な! 彼の息子があの馬の子の世話係になっているなんて!!」
表情を歪めるベッカーに対してフェッチャーは子供のように大笑いする。
初老の男性とは思えないほどの無邪気な喜びようにベッカーは寒気を覚える。
「ところでヘンリー君は元気かな?」
フェッチャーが何気なく口にした言葉にベッカーは全身の血が逆流した。
「……!!」
「フェッチャー、ヘンリーの話はもうよせ。まさか忘れたのか?」
「……あ、すまない。そうだったな……本当に悪かった」
スカマーが肩を強めに叩き、諌めるように発した言葉でフェッチャーは深く反省する。
「可哀想に、彼は自殺してしまったんだったな……すまない。心からお悔やみを言うよ」
「このっ……クソ野郎がぁ!」
ついに我慢の限界が来たのか、ベッカーは彼の顔面を思い切り殴った。
「ぐはあっ!?」
「ふざけんなよ……ふざけんなよ、お前!!」
「ベッカー君! 落ち着け! 落ち着くんだ!!」
「スカマーさん! 正直に話してください! 他の馬に何の薬を打ったんですか!? コイツと何を企んでるんですか!!」
「……」
「スカマーさん!!」
ベッカーはスカマーの肩を掴んで問い詰める。
しかし彼は悲しげな顔をするだけで何も答えない。
「おい、言えよ! 言わないと、いくらアンタでも……!!」
「すまない」
「がっ……!?」
スカマーがポケットに忍ばせたスイッチを押すと、ベッカーの全身に強烈な電流が走った。
「ぐ、あ……ッ!」
ベッカーはそのまま地面に倒れ込む。
「ふーっ、ふーっ!」
「……大丈夫か? フェッチャー」
「コイツ、僕の顔を殴りやがったぞ!? それも本気で! 本気で! クソがっ!!」
「がふッ!」
殴られたフェッチャーは鼻血を垂らしながら激昂し、ベッカーの腹部を思い切り蹴る。
「ふざけるなよ! このっ! 若造がっ!!」
「ぐあっ!」
まるで癇癪を起こした子供のようにヒステリックにベッカーを蹴り続ける。
「フェッチャー! もういい!!」
「はぁ……はぁ……はっ……!」
スカマーが制止してようやく彼は正気に戻る。
「……ぐ……ぁ」
「ああっ! す、すまない! ついカッとなって……大丈夫かい!?」
「がっ……!」
「ああ……息はしてるな。良かった……これなら医務室に連れていけば安心だな」
フェッチャーはベッカーが息をしているのを確認し、ホッと安堵の溜め息をつく。
「でもいけないよ、君。暴力はいけない。殴っていい相手はクズと異人だけだって先生に教わっただろう?」
「……」
「もういいだろう。早くレース会場に向かってくれ、特別な席を用意してある」
「ああ、ありがとう」
スカマーが差し出したハンカチで血を拭い、倒れたままのベッカーを心配そうに覗きながらしゃがみ込む。
「ええと、ベッカー君だったね? そんなに他の馬にどんな薬を打ったのか知りたいのかい??」
「……!」
「フェッチャー」
「いいじゃないか、特別に教えてあげても。彼は今日でヴェントゥスとお別れなんだから」
「……な……何?」
フェッチャーは止めようとするスカマーを抑えて話し出す。
「他の馬に打ったのはね、筋肉を弱らせる薬だよ。エルメスγという筋弛緩剤の一種でね、これを投与された馬は少しずつ少しずつ全身の筋肉が弱っていくんだ」
「……!!」
「すぐに効果が出るわけじゃないよ? 少しずつだ。大事なレースの時に重宝する薬さ」
ベッカーが知りたがっていた薬について教え、ニコッと笑いながらフェッチャーは立ち上がる。
「まさか……お前、ラディウスにも……!」
「ああ、ごめんね。あの時はすまなかった……どうしても私の馬が伝説の名馬に勝つところが見たくてね」
腫れた頬を擦りながら本当に残念そうに彼は話を続ける。
「フェッチャー、もういいだろう」
「でも、実際に試合を見て考えが変わったんだ。薬を打たれて全力が出せなくなっても、懸命に走るラディウスの姿を見て心が震えた。実際、レースが終わるギリギリまで何度も追い抜かれそうになったからね……」
「……お前……!」
「そして、勝ってから思ったんだ……なんて残念な試合だったんだろう……とね」
フェッチャーは言った。一点の曇りもない少年のような顔で、そんな言葉を吐いてのけた。
ちなみにお嬢様の場合はあんな感じになります。
街のため、皆のため、退屈凌ぎの為に使うよ!