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〈ぶるるぅッ!〉
「そんなに嫌そうな顔をするな。私はお前の小屋を掃除しているだけだぞ」
〈るるるっ!〉
着替えを済ませたブリジットはヴェントゥスの厩舎を掃除していた。
「見ろ、こんなに綺麗になったぞ。寝藁も新しいものに取り替えた」
〈ぶるあっ!〉
「何? 余計なお世話だと? 失礼だな、お前の糞と尿で汚れていた小屋がここまで綺麗になったのだ。少しは感謝しろ」
〈……〉
ヴェントゥスは相変わらずブリジットに刺々しい態度を取るも、それをまるで意にしていない彼女に調子を狂わされる。
「さて、もう外に出ていいぞヴェントゥス。小屋の中では息が詰まるだろう」
〈ぶるああっ!〉
ブリジットが厩舎と繋ぐ縄を外すとヴェントゥスは勢いよく外に駆け出した。
「……うむ、やはり見事な走りっぷりだ」
敷地内の草原を走り回るヴェントゥスの姿にブリジットは思わず感嘆の溜め息を漏らす。
〈ぶるるるるうううっ!〉
「あの汚い言葉遣いさえ直れば文句のつけようがないのだが……どうしてあそこまで口が悪くなったのだ」
「うおおおっ!? お前、勝手にヴェントゥスを外に出してんじゃねーよ!!」
「む?」
「コイツが昨日に逃げ出したのをもう忘れたのかよ!?」
様子を見に来たベッカーが許可もなしにヴェントゥスを厩舎から出したブリジットを注意する。
「ああ、それなら心配ない。今日のアイツはそんな気分ではないらしい」
「そ、そう言われてもよ! こっちはアイツがいつ逃げ出さないかでヒヤヒヤしてるんだよ!!」
「逃げ出したらまた捕まえればいいだろう」
「簡単に言うな!!」
〈ぶるるるるるるうううっ!〉
「うわわわっ!?」
ベッカーの姿を見た途端にヴェントゥスは息を荒げて突っ込んでくる。
やはりヴェントゥスは彼を相当嫌っているようだった。
「落ち着け、ヴェントゥス」
〈るるるるるるっ!〉
「だ、だから出すなって言っただろ! お前が大丈夫でも、俺たちは大丈夫じゃねえんだよ!!」
「それにしてもどうしてもお前はここまで嫌われているんだ? そこまでの事をヴェントゥスにしたのか?」
「い、いや……何もしてねえよ! むしろ今日まで俺がアイツの世話を見てきたんだぞ! 感謝されても嫌われる筋合いはないぞ!?」
「本当にそうか?」
「本当だよ! それに、俺はアイツの親馬の大ファンなんだ! 好きな馬の子供に酷いことするわけないだろ!!」
ベッカーは真剣な表情で言う。
〈ぶるぁあああああああああああああああ!!!〉
しかし、その言葉がヴェントゥスを刺激したのか。
彼は前脚を大きく上げてベッカーを叩き潰そうと襲いかかった。
「ヴェントゥス」
「うわあああっ!?」
「……全く、仕方がないやつだ」
ブリジットは素早く剣を抜き、周囲に魔法剣を発生させてヴェントゥスの脚を受け止める。
「……夢幻剣」
〈ぶるうっ!〉
「劇鎮」
カカカカンッ!
複数の魔法剣が一斉にヴェントゥスに向かい、その柄で彼の急所を軽く殴打する。
〈ぶあっ……!?〉
「……鎮め」
ヴェントゥスはそのまま地面に崩れ落ちる。
意識はハッキリとしているが、足腰に力が入らず立ち上がれない。
「な、ななっ!?」
〈ぶ、ぶるるるる……!〉
「少し頭を冷やせ。理由も伝えぬまま怒りだけをぶつけるな」
〈るるるっ!〉
「全く、頑固な馬だ。その口の固さは素直に尊敬に値する……荒々しい性格と口の悪さで台無しだがな」
ブリジットは小さく笑って剣を収める。
「お前……何者だ? 今のは……」
「む、自己紹介は済ませたぞ? 今の技は偉大なる先祖から受け継いだ由緒ある剣技の一つ。悪を裂き、魔を滅し、邪を祓う聖なる技だ」
「……マジで騎士だったのかよ」
「だからそう言っているだろう。尤も、剣技を修めただけで騎士を名乗れるほど私の世界は甘くはなかったが」
「そ、そうなのか?」
「ふふ、何処の世界も女は苦労するんだ。特に私のような不器用な女はな……」
感傷的な表情で彼女はそう呟き、ヴェントゥスにそっと近づく。
〈ぶるるるるっ!〉
「怒るな、怒るな。数分もすればまた動けるようになる」
「……」
「そうだ、今ならお前も襲われることはないぞ? もう少し近づいたらどうだ」
「い、いや、俺は遠慮する……」
〈ぶるぁあああああっ!〉
「ほ、ほら! コイツ、凄え怒ってるし!!」
「そう言わずにもっと近づけ。今を逃すと、もうコイツに触れる機会はないかも知れないぞ?」
「……ッ」
ブリジットに勧められてベッカーは恐る恐る近づく。
その間、ヴェントゥスはひたすら息を荒げて嫌がる素振りを見せていたが……
〈ぶるあああああああっ!〉
「ひえっ!」
「彼を嫌う理由を正直に打ち明けるなら、すぐにでも彼を引かせよう。どうだ?」
〈……〉
「なら、仕方ないな。もっと近づけ」
「……だ、大丈夫なんだろうな?」
「危なくなれば、また私が彼を鎮めるので問題ない」
「よ、よし……」
昨日の一件と先程の技でブリジットに敵わないと思い知らされたヴェントゥスはついに頭を垂れ、ベッカーの接近を許す。
「どうだ、立派な馬だろう」
「……ああ、スゲー馬だよ。本当に」
「そうだろう。この筋肉を見てみろ、それにこの毛並み。ここまで美しく力強い馬は滅多に見られるものじゃない」
「しかし、何かお前の方が先輩みたいでムカつくな。俺のほうがコイツとの付き合いは長い筈なんだけど……」
「それなのにあの有様か。お前は私より不器用だな」
「う、うるせーよ!」
〈ぶるる〉
「ヴェントゥスもそう言っているぞ」
「う、うるせー! うるせー! 俺だって頑張ってんだよぉ! それに、俺のほうがコイツに詳しいからな!? コイツがまだ小さい頃から面倒を見てきたんだぞ!!」
「ふむ、小さい頃はどんな馬だったのだ?」
「そりゃー、小さい頃は普通に可愛い馬だったよ。いつも親馬にピッタリくっついてさー」
〈ぶるるるぅっ!〉
ベッカーは草原の上でブリジットとヴェントゥスについて語り合う。
嫌っているベッカーに幼少期の事を暴露され、彼は不機嫌そうに唸りながら草を食んだ……