13
人から見れば動物は動物であるように、馬から見れば人もエルフも同じなのです。
『うぐっ……!?』
────ピキィン
デイジーのビンタを食らった瞬間、ニックに痺れるような衝撃が走る。
ビンタが命中した部分に緑色の手形が残り、そこからニック全体を覆うように光の筋が発生。
『な、何だコレは……ファッ!?』
その直後、ドロシーの武装解除魔法でしか外せない筈のニックがスコットの頭部から分離した。
「うおおおっ!?」
「あっ! ニックくんが!!」
分離したニックはそのまま浴槽にドボン。ドロシーが慌てて水中から引っ張り出した。
「あらら、取れちゃったわね」
「大丈夫、ニックくん!?」
「ゴボッ、ゴボッ!」
「あ、あれ? 一体、何が……」
「スコットの馬鹿ぁー!!」
「ぐほぉ!?」
……ニックが外れて正気に戻ったスコットに再びデイジーのビンタが無慈悲に炸裂する。
「痛ァッ! な、何するんですか、一体……ホアァァァァァーッ!?」
「う、うるせー! 見るな、オレの身体を見るなぁー!!」
「み、みみみ、見てません! 見てませんからぁー!!」
「うるせぇえー! しっかり見てんじゃねえかー! うわぁぁぁーん!!」
デイジーは乙女のように泣きながら水から上がり、猛スピードで浴室を飛び出していった。
「……」
「あーあ、デイジーちゃん可哀想ー」
「……今のは、俺が悪いんですか?」
「難しいところね」
スコットは赤く腫れた頬を擦りながら浴室の扉を切なげに見つめる。
「……どうも、ありがとうございます。もう体の方は大分楽になりました」
「そう、良かったー」
「……スコット君、後で君と二人きりで話したい事があるんだが」
「……はい、ニックさん。すみませんでした」
「ねぇ、スコッツ君」
「何ですか、社長」
「どうしてずっとドアの方ばかり見てるの?」
ドロシーの言葉に答えぬままスコットは浴槽を上がろうとする……
「それじゃ、俺はここで」
「スコッツくーん?」
が、そんな彼の手をドロシーが掴んで引き止めた。
「離してください、社長」
「もうちょっとくらい一緒に入ろうよ」
「遠慮しておきます」
「遠慮しないで」
「放してください!」
「放さなーい!!」
ドロシーは逃げようとするスコットの身体に勢いよく抱きついた。
「ぎゃああーっ!」
「ちゃんと僕を見てよ。折角水着を着てあげたんだからー」
「え、遠慮しておきます! ちょっ、当たってる! 柔らかいのが当たってるからぁー!!」
「当ててるのよー!」
「ぎゃああああああああ!」
「ふふふ、ドリーは本当に困った子ね」
「ちょ、ちょっとルナさん! 見てないで助け……ふおおっ!?」
スコットはルナの水着姿を見て慌てて目を逸らす。
「お、目ぇ覚ましたか! 非童貞!!」
「ほわぁぁぁぁっ!?」
だが目を逸らした先には水着姿のアルマ。
何処を向いても白ビキニが目に飛び込んでくる強烈な光景に彼の精神はガリガリと削られていく。
「逃さないよー、スコッツくーん。折角だからこのまま身体を洗ってあげる!」
「ふふふ、そうね。折角だものね」
「遠慮しますぅぅぅーっ!!」
「わ、私はそろそろ出ていいかな? いいよね!?」
「はははー、ついでだからお前も洗ってやんよ! 感謝しな!!」
「いやだぁぁーっ!!」
「「「遠慮しないで」」」
「「ア────ッ!!!」」
ウォルターズ・ストレンジハウスの浴室に、哀れな二匹のマルチーズの悲鳴が響き渡った……
◇◇◇◇
「ふぅ……」
時は過ぎて時刻は夜の7時過ぎ。作業を終えたブリジットが額の汗を拭う。
「こんなところか」
〈ぶるるるっ!〉
「む、気に入らない女とは失礼だな。私の名前はブリジットだ、覚えておけ」
〈ぶるるるぁぁっ!〉
「全く……どうしてお前はそこまで口が悪いのだ。私の世界にはお前ほど口の悪い馬は一頭も居なかったぞ」
〈ぶるるんっ!〉
不機嫌そうに鼻を鳴らしてヴェントゥスは厩舎の奥へと戻っていく。
そんな彼の背中を見つめながブリジットは小さく笑った。
「ふふふ、そうだな……私も人間は嫌いだよ」
〈……〉
「だが、全ての人間が嫌いという訳ではない。それに私は人間ではなくエルフだ。明日からは間違えてくれるなよ」
〈ぶるぁっ!〉
「どちらも同じだと? 失礼だな、人間とエルフは全く違うぞ。エルフは馬を食わないからな」
〈……〉
「まぁ、お前には同じに見えるか……」
憂鬱げな表情を浮かべながらブリジットは静かに呟く。
「……それなら、どうして私の世界では人間とエルフが殺し合っていたのだろうな」
ブリジットは柵に立て掛けた愛剣に視線を移す。
「お前から見れば、私達の違いは本当に些細なものだろう。寿命の違い、肌の色の違い、耳の長さの違いに、言葉と文化の違い……」
〈……〉
「だが、それだけの違いがあれば啀み合うには十分なのだ……私達にとっては」
〈ぶるるるるっ!〉
「……はは、お前の言う通りだ。私達は救いようが無いほどに愚か者だったのさ」
立て掛けた剣を拾い上げて徐ろに鞘から抜き放つ。刀身に自分の顔を映しながら、ブリジットは絞り出すように言った。
「それでも誇りだけは捨てられなかった。最後の、最後まで……」
〈……〉
「……その最後に残った誇りも、此処に流れ着くまですっかり忘れてしまっていたわけだが」
〈ぶるっ〉
「ははは、すまない。つまらない昔話を聞かせてしまったな、忘れてくれ。それではまた明日にな」
パチンと剣を鞘に戻して彼女は厩舎を後にする。
「ああ、今日はいい夜だ」
夜空にひっそりと浮かぶ欠けた月に微笑みかけ、ブリジットは帰路に着く。
「おーい! おーい!!」
「今日の夕飯は何にしようか。そうだ、久しぶりにマスターの家で皆と夕食を」
「おい、コラ! お前、何勝手に帰ろうとしてんだ!」
「……む」
「まだまだ仕事が残ってんだよ! 早く戻ってこい、馬鹿!!」
……が、すぐにベッカーに見つかって呼び止められてしまった。