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「待てよ! 俺はホモじゃねぇ!!」
「すまない、急用が出来たので私はここで失礼する」
「へっ?」
「私のマスターから招集があってな。急いで向かわなければ」
「え、えっ!? マスター? 招集?」
「ちょっ、待ってよ! ブリジットちゃん!!」
休憩室を出ようとしたブリジットをスタッフが引き止めた。
「おい、何処に行くんだ! まだ仕事中だぞ!?」
「すまない、用事が済んだら戻る」
「用事が済んだらって……何処に行くんだよ!」
「7番街区だ」
「7番街区ゥ!?」
「ま、待て待て待て! 7番街区はやべえって! 今、あの場所がどうなってるのか知らないのか!?」
「詳しくは知らないが大体見当はつく。だから私が行かなければならないのだ」
ニュース番組で7番街区の惨状を目にしていたスタッフは必死に止めるが、ブリジットは真顔で言い放った。
「……」
「では、また会おう。マスターが私を待っている」
『み、見てください! 7番街区が、7番街区が凍りついています!!』
ベッカーが休憩室のテレビをつける。
画面には誰かの魔法で凍結してしまった7番街区の、そして異常管理局の職員が必死に解凍作業を行っている様子がドドンと映し出される。
「……」
「……」
『ええ、管理局の報告によりますと7番街区に出現した巨人は駆けつけたドロシー・バーキンスの放った魔法で無力化されました。しかし彼女が使った魔法の影響で……』
「これを見ても行くつもりか?」
「止めておいたほうがいいよ、ブリジットちゃん。残念だけど、君のマスターはもう……」
「……なんてことだ……」
ブリジットはガクッと膝をつき、床に手を付けて沈痛な面持ちで呟く。
「……私と、したことが……!」
「……ブリジットちゃん」
「し、仕方ねえよ。あんな騒ぎに巻き込まれたらさ……アンタのマスターは運が悪かったんだよ」
「元気出して……とは言えないけどさ、気をしっかり持って。君は無事だったんだから、きっと君のマスターも天国で安心してるよ……」
何も知らないスタッフ達はブリジットのマスターが巨人の攻撃に巻き込まれた、もしくは誰かさんの魔法の犠牲になったと解釈し、震える彼女に精一杯の励ましの言葉をかけるが……
「私としたことが、マスターの戦いの場に……また駆けつけられなかったとは……! 今度こそ必ず駆けつけると誓った筈なのに! どうして私は招集の報せに気が付かなかったのだ!!」
「……ん?」
「くっ……! 私は騎士として失格だ! マスターが敵と戦っている間……私は、私はっ!!」
「……あれ?」
「私としたことがぁぁぁぁぁぁ!!」
彼女は自己嫌悪のあまり悔し涙を流しながらバンバンと床を叩き出した。
「あ、あのー、ブリジットちゃん? 戦いの場って……」
「マスターが敵と戦って……?」
「うおおおおおぁぁぁぁぁぁあああっ!」
「ええと、ええとっ! とりあえず落ち着いて! 何だかよくわかんないけど、女の子がそんな声で泣いちゃ駄目だよ!!」
「と、とりあえず椅子に座って! ほら、ジュースでも飲んでリラックス……」
「ごめんなさい、領主様ァァァァァァァー! ブリジットは、ブリジットはやっぱり駄目な女でしたァァァァーッ! アアアアアアアアアーッ!!」
スタッフの言葉はブリジットには届かず、美しい顔が台無しになるくらいの勢いで咽び泣く姿に流石の彼らも引いた。
(……オイ、ひょっとしてこの子のマスターって)
(いやいや、違うだろ。流石に……違うよね?)
(うん、違う。絶対に違う)
(いや、でも戦いの場に駆けつけられなかったとか言ってたよな。あんな化け物と戦う奴なんて……)
(……ドロシーくらいしか)
(違うって! 何かの聞き間違いだって! こんな美人があのクソ魔女の手下なわけないって!!)
スタッフ達はヒソヒソと話し合う。
【彼女のマスター】について何となく見当がついてしまったが、彼らは必死に否定した。
『……あ、新しい情報が入ってきました! ええと……な、なんと7番街区に住んでいた人達は奇跡的にほぼ無事です! ドロシー・バーキンスが魔法を使う前に殆ど避難が完了していたようで、巻き込まれた人も解凍後に無事息を吹き返したと……!!』
「あっ、や、やったねブリジットちゃん! みんな無事だってさ!!」
「君のマスターも大丈夫そうだよ!」
「良かったね! ブリジットちゃん!!」
「うぅうううううっ!」
「……おい、お前らもう休憩終わりだぞ」
「うるせえぇー! ブリジットちゃんが泣いてるだろぉー!?」
「悲しむ彼女の姿が目に入らないのかよ、テメェェェーッ!?」
「泣いてる女を励まさない男なんてゴミクズ以下だろうが! このゴミクズ以下がぁー!!」
「……はぁ」
既に休憩時間が終わったのにブリジットの事ばかり気にしている仲間に呆れ果て、ベッカーは無言で休憩室を出た。
『ほら、もう元気出して! 君のマスターは絶対に怒ってないからさ!!』
『女の子が泣いて良いのは嬉しい時だけだって! ね! ね!?』
「……あんなやべー女の何処がいいんだか」
ベッカーはふと窓越しに見えたヴェントゥスの厩舎に目をやる。
「……ああ、俺も人のこと言えねえか。ははっ……」
今の言葉がそのまま自分にも返ってくること気づいて自嘲気味に笑う。
どうしてここまであの馬の事が諦めきれないのか。
何度もヴェントゥスに蹴り殺されそうになっているのに……
「あんなやべー馬の何処がいいんだかってな……はっはっ。全くだよ」
「やぁ、ベッカー君。此処に居たのか」
感傷に浸るベッカーに恰幅のいいスーツ姿の男が話しかける。
「あっ、オーナー!」
「今日、新人君が入ってきたんだって? 逃げ出したヴェントゥスを鎮めて、此処まで連れ戻す程の逸材だとか」
「す、すみません。あの、アイツが逃げ出した事については……その……」
「ははは、気にするな。あの馬が逃げ出すのはよくあることだ、それよりも君が無事で良かったよ」
「ど、どうも……」
「それで、その新人君はまだ休憩中かな? せっかくだから挨拶くらいはしておこうと思ってね」
「え、ええっ!? いえいえ、わざわざオーナーが会いに来なくても、後で俺が連れて」
「ははは、そう言うな。私は畏まった態度は苦手なんだ、こうして直接会いに来てあげたほうが新人君も話しやすいだろう?」
丸眼鏡をかけた恰幅のいい紳士はそう言って優しげに微笑んだ。