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「……」
「? どうしたの、スコット君?」
帰路についた車の中でスコットはドロシーの右腕をジッと見つめていた。
「ちょっと右手を見せてもらっても良いですか?」
「え、何で?」
「いいから」
ドロシーはスコットに言われて渋々と袖をめくって腕を見せる。
「……やっぱり酷いことになってるじゃないですか!」
ドロシーの右腕は血が通っていないかのような青白い肌に変色していた。
「だ、大丈夫だよ、このくらい」
「大丈夫って……うわ、冷たっ! これ凍傷じゃないですか!?」
「ちょっとした魔法の反動だよ。こうして温めたら良くなるから……」
そう言ってドロシーは袖を戻し、左手で右手を忙しなく擦る。
「ほら、こうしてると温かいし……」
「全く……アンタって人は!」
「ふやあっ! な、何!?」
スコットはドロシーの右腕を掴み、氷のように冷え切った彼女の手を擦って温める。
「この腕、もう殆ど感覚ないでしょう」
「……」
「右手が利き腕なのに、俺に魔法をかける時に左手を使いましたよね」
「……僕は両利きよ」
「いつもティーカップは右手で持ってますよ、社長」
「左の手でも持てるよ。そんなに心配しなくても……」
スコットはドロシーの手を温め続ける。老執事は敢えて何も言わずに車を運転し、アルマはニヤニヤしながら二人を見つめていた。
「もう少し自分の身体を大事にしてくださいよ」
「……スコッツ君が言うの?」
「俺は丈夫だから良いんですよ」
「……良くないと思うよ」
「良いんですよ、でも社長は駄目です」
「何でよ」
「社長だから」
ドロシーの顔を見てスコットは言う。
予想外のセリフが飛び出してドロシーは顔を赤くし、スコットも咄嗟に目を逸らした。
「そ、それってどういう意味……?」
「いえ、その……社長が駄目になると他の人が困るでしょ!? アンタが社長で、リーダーなんですから!」
「……それだけ?」
「それだけってなんですか!? 社長の代わりは居ないんですから、当然でしょう! 俺の代わりはすぐ見つかるからいいですけど!!」
「そんなことないよ」
ようやく動くようになった右手でそっとスコットの手に触れ、ドロシーは俯きながら言う。
「君の、代わりは居ないわ」
「……」
「ありがとう。もう大丈夫よ、スコット君」
「あ、はい……」
スコットはドロシーの手を放して後ろの座席に戻る。
「ふっふふふ……」
ふと隣を見るとアルマが黒いウサギの耳を上機嫌に揺らしながら此方を見ていた。
「な、何ですか」
「べーつにーぃ?」
ヒューと煽るような口笛を吹き、チョンチョンと肩を突くアルマから逃げるように窓の外に視線を逸らす。
(やべぇ、今日の俺やべぇ。真顔で何言ってんだよ、俺! 何で急に腕を擦り出したんだよ、俺! やべぇ、やべぇよ! 冷静に考えたら変態行動だよ! いくら社長が心配だからって今の行動はアレすぎる!!)
外の景色を見つめるスコットの顔はいつしか赤く染まり、その背中は冷や汗でビッショリと濡れていた。
(どうしよう、どうしよう! 今日のスコット君、凄く大胆! いつもは向こうから手を繋いでもくれないのに! あんなに擦って温めてくれるなんて……! あわわ、あわわわわっ! それに、それに……っ!!)
(僕の代わりはいないって! 僕の代わりはいないって!!)
一方、ドロシーの顔も真っ赤になっており、右腕に残る彼の手の感触にドキドキしながらアンテナをピコピコと揺らす。
(こんなに素敵な事が起きるなんて……あの魔法使って良かった!)
先程まで微かに残っていた7番街区に対する良心の呵責も彼方に吹っ飛び、金髪の魔女は弾む胸の高鳴りに身を委ねて幸せそうに微笑んだ。
(はっはっ、今夜は祝杯ですな)
そんな上機嫌なお嬢様の隣でご満悦の老執事は、夕食のメニューを考えながらアクセルを踏んだ。
◇◇◇◇
「へー、君の名前はブリジットちゃんて言うの! 素敵な名前だね!!」
場所は変わってグリーン・ダウン・パーク競馬場の休憩室。椅子に座ってモクモクと配給弁当を食べるブリジットにスタッフ達が話しかける。
「もぐもぐ……んむ。そう言ってもらえると光栄だ」
「住所は何処? 一人暮らし? 君みたいな美人が二桁区で一人で暮らしちゃ危ないよ??」
「もぐもぐもぐ……んぐっ。住んでいるのは13番街区の集合住宅だ。少し騒がしいが住心地は良い」
「13番街区!? そりゃ大変だ、帰りは俺が送るよ!」
「いやいや、俺が!」
「ところでブリジットちゃんて彼氏いるの?」
上機嫌な同僚たちに群がられるブリジットをベッカーは冷めた目で見つめていた。
「おい、お前ら。そいつを唯の女だと思うとバカを見るぞ」
「あぁん!?」
「お前、ブリジットちゃんになんて事を言うんだよ!」
「謝れよ、オラァ! 謝れよぉ!!」
「いや、マジでそいつを女だと思わないほうが良いって」
確かにブリジットは美人だ。その美貌は今まで出会った女性の中でも別格で、正に絶世の美女と呼ぶに相応しい。
「まず男しかいない部屋の中、そんな格好で堂々と飯食ってる時点で只者じゃねーと気づけよ」
しかし、その美貌を自分から台無しにするかのような残念な格好。
凛とした雰囲気や気品ある仕草こそ魅力的だが、羞恥心を初めとする女らしさや色気を全てかなぐり捨てた行動や言動の数々に彼はとっくに彼女を女性として認識するのを諦めていた。
「それにそいつ、街中で出会った時からずーっと剣持ってるんだぜ? やべー奴だよ、マジで」
「もぐもぐ、この剣は命より大切な物だ。手放すことは出来ない」
「別に良いじゃねぇか、剣を持ってるくらいよ! この街の治安の悪さ知ってんだろ!?」
「護身用だよ、護身用ォ!」
「……いや、まぁ……うん。そうだね」
完全にブリジットの虜になった仲間達にゴミを見るような目を向け、ベッカーは重い溜め息を吐いた。
「しかし、ブリジットちゃんを見ても反応しねぇとは……」
「……うん、間違いねぇな。いや、前から薄々勘付いてたが……」
「何だよ、お前ら?」
「ベッカー、さてはお前……ホモだな?」
「はぁ!?」
逆にブリジットの美貌に何の反応も示さない彼に対し、スタッフ達は細々と囁かれていたホモ疑惑が本当であったという確信を抱いてしまった。
「いやいやいや、何いってんだお前ら!?」
「だって、お前の話題って大体ヴェントゥスの事ばっかりじゃねえか!」
「あの雄の暴れ馬の何処が良いんだよ!?」
「ホモのケモナーとか上級すぎるだろ、お前ェ!」
「い、いや、ヴェントゥスは本当にいい馬になれるって! 大体、お前らと14番街区のパブに何度も行ったろ!?」
「それは俺たちを油断させる為のカモフラージュなんだろぉ!?」
「ふざけんな!!」
「もぐもぐもぐもぐ……むっ」
ベッカーがホモ認定されて周囲から孤立していく中、ブリジットはふとポケットに入れっぱなしだった携帯端末を取り出す。
「……」
ここでようやくウォルターズ・ストレンジハウスからの招集が来ていた事に気づき、彼女は無言で立ち上がった。
白兎のお義母様もニッコリな関係ですが、この二人がくっつくのはまだ……