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「おー、戻ったか」
「それで、可哀想な新入りちゃんは無事……」
グリーン・ダウン・パーク競馬場の休憩室。ベッカーが連れてきた新入りの姿を見てスタッフ達は凍りついた。
「あー、まー……うん。この通り無事だよ。うん……こいつの名前は」
「私の名はブリジットだ。フルネームはブリジット・エルル・アグラリエル。これから宜しく頼む」
「……はい、という訳だお前ら。今日からコイツがヴェントゥスの」
スタッフの一人がコーヒーの注がれた紙カップを落とす。
「ベッカー、てめぇコラアアアアアーッ!!」
それを合図にするかのように、スタッフ達は一斉にベッカーに押し掛けた。
「うおおおっ!?」
「お前、おまっ……ふざけんなよ! なんだあの女はぁぁぉ!?」
「ぶち殺すぞ、テメェェェェ!?」
「ま、待て! まずは俺の話を」
「どこが新人だぉぉん!? お前、仕事中にデリヘル嬢呼んでんじゃねえよぉぉお!!」
「あの格好はてめーの趣味か! あぁん!?」
「濡れ透け学生服とはどういう事かね、べッカーくぅん!? そういうプレイがお好きなのかなぁ!? このド変態がぁ!!」
「俺の話を聞けェェ────!!!」
ブリジットの姿を見て興奮して我を失ったスタッフ達はベッカーを問い詰める。
「コ、コイツが今日入った新人だよ! デリヘルなんて頼んでねぇし、この服もコイツの私服だ! コイツが逃げ出したヴェントゥスを連れ戻してくれたんだよ!!」
ベッカーは青ざめながら正直に話すが……
「嘘をつくなぁぁぁぁ────!!」
誰一人として彼の言葉を信じなかった。
「そもそもヴェントゥスが逃げたってのもその女を連れ込む口実だったんだろぉ!?」
「このクソッタレがぁぁぁ! あんな美人を何処で見つけたああああー!?」
「ほ、本当だって!」
「ヒャア! もうガマンできねぇ、コロす!!」
「本当だ。あの馬は私が此処に連れ戻した」
ここでブリジットがようやく口を開く。
「職を失って困っていたところにあの馬がやって来てな。それを私が鎮めたらこの男が声をかけてくれたのだ」
「……」
「……」
「私にあの馬の面倒を見てくれとな。私はその話を承諾し、此処で働く事にした。その男は何一つ嘘をついていない」
「……マジで?」
スタッフ達はベッカーを見る。彼は物凄く切なげな顔で仲間を見つめ、無言で頷いた。
◇◇◇◇
〈ぼぎゃあああああああああーっ!!〉
チュドーン!
〈ぼぁぶぎゃあっ!〉
場所は変わってリンボ・シティ7番街区。逆さまの大仏像から現れたヘドロ状の巨人に強力な魔法が撃ち込まれる。
「うーん、グロテスクー!」
ドロシーはライフル杖から術法杖を排莢し、顔を顰めながら言った。
〈ぼぎょわああああー!〉
「アーサー、バックして。猛スピードでー」
「はっはっ、言われずとも」
ヘドロの巨人は大きな腕をドロシーの乗った車目掛けて振り下ろす。地面に触れた腕はベチャッと弾け、周囲に鉄が錆びたような悪臭のする金色の泥をぶち撒ける。
「うーん、不快! 嫌になっちゃう!!」
全身金ピカで煌めいているのに兎にも角にも不快な相手にドロシーは心からの嫌悪を向けた。
「このぉぉぉぉぉー!」
〈ぼぎょああああー!〉
「ぐああああっ! 汚ねえぇぇえーっ!!」
スコットは唸る悪夢の拳で巨人を殴るが、まるで効果がない。殴れば殴るほど飛び散る泥で身体が汚れ、鼻を突く臭いが精神をゴリゴリと削っていく。
「どうするんですか、コイツ! こっちの攻撃が通じませんよ!?」
「ぺっぺっ……知るか! 死ぬまで斬ればそのうち死ぬ!!」
「死ぬ気配がないから言ってるんですよ!!」
スコットのすぐ隣に泥まみれのアルマが着地する。
「あー、汚ねえー! くせーし、だるいしもうあたしやだー! お風呂入りたいー!!」
「俺もですよ!」
「じゃあ、帰ったらあたしと風呂入るか!」
「それは遠慮します!」
〈ぼぎゃあああああああああー!!〉
呑気に会話するスコットとアルマに向けて巨人は腕を振り下ろす。
「くっそ!!」
「はっはっ、来るぞ非童貞!」
「だから、その呼び方やめてくださいよぉ!!」
────ボッ!
振り下ろされた腕に向けて悪魔が一撃。
突き出す拳の余波で泥の腕は弾け飛び、周囲にバチャッと飛び散った。
ズル、ズル、ズル……
しかし飛び散った泥は一人でに巨人の元に戻り、弾けた腕もすぐに再生してしまう。
アルマの黒刀で頭を切り落としても同様に再生し、物理攻撃に対してほぼ無敵とも言える耐性を持っていた。
「あー! 嫌になるー!!」
「あーっはっは、汚ねぇー! ひっでぇな、もー!!」
強い弱いではなく不快。兎にも角にも不快なだけの相手にスコットは歯軋りする。
「うーん、それじゃあ……これならどう?」
ドロシーはライフル杖に新しい術法杖を装填し、ヘドロの巨人に向けて一発の魔法を放つ。
放たれた雪色の弾丸は小さな雫のような光を帯びて巨人へと直進し、その左足首に着弾。
────パッキィィィィィン!
そして、一瞬で巨人の足首を凍結させた。
〈ぼぎょわわわわぁぉ!〉
凍りついた足首は根元からボキッと折れ、バランスを崩した巨人はそのまま真後ろに倒れ込んだ。
「わー、効果抜群ねー」
「お見事です、社長」
「なるほどね、アレの弱点は凍結……と」
「よくお気付きになられましたな」
「昔に見た映画にああいう相手を凍らせて対処するシーンがあったのよ。本当に効くとは思ってなかったけど」
〈ぼぎょあああーっ!〉
ヘドロの巨人が立ち上がる。
しかし凍った足先は再生出来ず、右足と長く伸ばした両腕で巨体を支えている。
やはりこの巨人には氷属性の魔法がかなり有効であるようだ。
「……でも、このままじゃアイツの全身を凍りつかせる前に杖切れになっちゃうわね」
ドロシーはヘドロの巨人の攻略法に辿り着くが、持ち込んだ予備の術包杖は残り一つしかなかった。
数十mもある巨体を完全に凍結させるには残弾が足りない。
「はぁ、この時期にコレはあんまり使いたくないんだけど……」
ドロシーは溜め息をつきながらコンソールボックスから【The Forbidden】と刻まれた赤い術包杖を取り出し、ライフル杖からリロードしたばかりの杖を排莢して再装填する。
「アーサー、車の暖房をフル稼働させて」
「かしこまりました、社長」
「それと、もう少しスコット君達に車を近づけて」
「かしこまりました」
ドロシーはいつもは軽く着崩しているキャメル色のコートを目深く着込み、はーっと両手に温かい息を吹きかけて狙いを定める……
「まぁ、これもこの街の為だからね。ちょっとくらい酷いことになっても我慢してね、みんな」
そう言ってドロシーは杖先に淡い水色の二重魔法陣を展開させ、巨人に向けて魔法を放った。