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幻騒のカルネヴァーレ ~Carnevale of Phantasm~  作者: 武石まいたけ
Chapter.14「一人は風に、一人は泥に」
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2

「私に? 働いてくれと?」


 丸刈りの男の言葉にブリジットは目を丸める。


「はぁ……はぁ、ふーっ……。そ、そうだ、是非ウチで働いてほしい!」


 男は息を整え、改めてブリジットに言った。


「悪い、自己紹介が遅れたな。俺はベッカー、この近くの競馬場で馬の世話をしてるんだが……」

〈ぶるるるるるるっ!〉

「きゅ、厩舎の掃除中にこいつが暴れて逃げ出しちまってな。いやぁ、助かったよ」

〈ぶるるるぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!〉

「うわわわっ!!」


 ベッカーの声を聞いている内にヴェントゥスは再び苛立ち、大きな蹄で地面を不機嫌そうに蹴る。


「よほど嫌われているんだな」

〈ぶるるるるるるるっるぅううう!〉

「い、いや……俺だけじゃねえよ。ヴェントゥスはウチの誰にも懐かねえし、誰の言うことも聞かないんだよ……」

「そうなのか?」

「そうなんだよ! コイツ、本当にとんでもねぇバケモンでさ!!」

〈ぶるるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!〉


 よほどベッカーの声が気に入らないのか、ついにヴェントゥスは前脚を上げて彼を蹴り飛ばそうとした。


「うわああああっ!」

「落ち着け、ヴェントゥス」

〈ぶるっ……!!〉

「彼を蹴っても意味はない。その立派な脚が穢れ、お前の誇りが傷つくだけだ。お前の脚は何のためにあるのだ?」


 しかしブリジットが振り上げられた前脚に触れて落ち着いた声で諭した瞬間、ヴェントゥスは脚を下ろしてフンッと鼻を鳴らした。


〈ぶるんっ!〉

「……ッ!」

「その場所に案内してもらえるか?」

「う、ウチで働いてくれるのか!?」

「丁度、私も新しい仕事を探していたところだからな。すぐにでも雇って貰えると助かる」



 リンボ・シティ 15番街区 グリーン・ダウン・パーク競馬場


「こ、此処がそのグリーン・ダウン・パーク競馬場だ」


 ベッカーはブリジットをグリーン・ダウン・パーク競馬場に案内する。

リンボ・シティの保護区(セイフランド)に隣接し、広大な敷地を有するこの街で唯一の競馬施設だ。

この街のみならず外の世界(アウトサイド)でも有名な競馬場であり、時には著名なセレブがお忍びで顔を出す事もあるという。


「で、此処がこいつの厩舎だ」


 多くの競走馬を有しているが、その選りすぐりの馬の中でもヴェントゥスは特別で専用の広場と立派な厩舎が用意されていた。


「ふむ、立派な厩舎だな。他の馬とは明らかに待遇が違う」

〈ぶるるるるっ……!!〉

「こいつは気性が荒すぎて他の馬と一緒に居られないんだよ。手当り次第に蹴っ飛ばしてどんな馬でも台無しにしちまう。馬だけじゃない、飼育員も騎手もそいつに近づくことすら出来ねぇ」

「そこまでなのか」

「……そうだよ! そいつの背中に乗って無事だったのはアンタだけだよ!!」


 ベッカーはヴェントゥスの背中に乗ってここまで来たブリジットに言う。


「仕方ないだろう、歩いて行くには少し距離があったのだ。それにヴェントゥスは車で運ばれるのが嫌だと言うし」

〈ぶるるるるっ!〉

「俺は歩いてきたんだけど!?」

「乗れと言ったのに乗らなかったのはお前だ」

「いや、乗れねえんだって! アンタがおかしいんだって!!」

「まぁ、確かにヴェントゥスはお前を乗せるのは嫌がっていたな」


 ブリジットはヴェントゥスから降りて背中をポンと叩く。


「だが、少し聞いていいか? そこまでの問題馬の面倒を未だに見ているのは何故だ??」

「……」

「言うことを聞かないならもう自由にしてやればいいだろう。すぐ近くの森は保護区(セイフランド)だ、管理局に連絡して彼を」

「そいつの親はとんでもねぇ名馬だったんだよ」


 ベッカーは小さく溜め息を吐いて言う。


「どんな馬よりも速く、どんな騎手の言うことも完璧に聞いた。腕のいい騎手が乗ればもう誰も敵わなかったさ……本当に凄い馬だったんだ」

「……」

「アンタは知らないのか? ラディウスっていうこの街じゃ伝説になってる馬なんだが」

「私は競馬には全く興味がないからな」


 澄み切った瞳でバッサリと言われてベッカーはがっくりと頭を下げる。


「……まぁ、その、ヴェントゥスは本気を出せばラディウスよりも速く走れるんだ。ちゃんと言うことさえ聞くようになれば、親も越える最高の馬になってくれる」

「なるほど……確かに、この馬は凄いな。見事なものだ」


 ブリジットはヴェントゥスの身体を見て感嘆の溜め息を漏らす。


 平均的な競走馬よりも一回り以上大きく、靭やかで筋肉質な身体。

  特にその脚の筋肉は芸術的であり、凛々しい瞳と珍しい銀色のたてがみの美しさは見るものを魅了する。


〈ぶるるるるるっ!〉


 ……しかしその気性は荒く、とても人の言うことを聞きそうにない。


かといって言葉が通じず意思疎通が不可能な獣という訳ではなく、人の言葉を理解し意思を汲み取った上でそれを拒んでいる。

兎にも角にもプライドが高く気難しい馬なのだ。


「ラディウスと言ったか。その馬は元々、この世界に居たのか?」

「いや、ラディウスは異界門(ゲイト)からこっちに来た新動物(ニューボーン)だ。誰かの飼馬でもなさそうだった」

「それなのに従順に従ったのか?」

「……ああ、そうらしい。こっちの言葉もすぐに覚えて、他の馬達と打ち解けるのも早かったそうだ」

〈ぶるるるるる……〉

「なのに、その子供のヴェントゥスと来たら……」


〈ぶるぁああああああああああああああ!〉


 突然、ヴェントゥスが暴れ出す。その瞳は再び血走り、ベッカーに殺意にも似た激しい感情をぶつけていた。


「うわぁっ! ま、またかよぉお!!」

「ヴェントゥス、やめろ」

〈ぶるるるるるるるぅううううううう!〉

「……わかった、この馬の世話は私が見よう」

「た、頼めるか!?」

「その代わり、一つ条件がある」


 ヴェントゥスを恐れて距離を取るベッカーに鋭い視線を向けながらブリジットは言う。


「暫く私以外の者は一切、この馬に近づけるな。勿論、お前もだ。全て私一人に任せてもらう」

「……へ?」


 ブリジットはそう言ってベッカーに背を向け、息を荒げるヴェントゥスの頬をそっと撫でた。


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