23
「全員、動くな! 異常管理局だ! これからお前達を……ッ!?」
異常管理局の精鋭達が教会に駆け込んでくる。
「これは……?」
「ハーイ、遅かったわね。もう終わったよ」
「えっ、あっ! き、君は……!?」
「はじめまして、私はドーリー。よろしくね」
ロイドを含めた【エマリー嬢救出部隊】は、狐につままれた気分だった。
この場所は自分達しか掴んでいない筈なのに、何故か既にドーリーと名乗る謎の美少女と老執事が先回りしていて、しかも事件を解決しているのだから。
「迎えが来たようです。では、エマリー様」
「……」
「……エマリー様?」
エマリーは老執事に抱きつき、彼から離れようとしない。
「アーサー……」
エマリーは顔を老執事の胸にうずめたまま自分の気持ちを伝える。
「はい、エマリー様」
「貴方は、この街の外に出てみたいと思ったことはないの……?」
エマリーが何を言いたいのか、老執事は何となく察した。
「……」
老執事は困った顔でドロシーの方を見る。彼女は何も言わず、複雑な表情で彼を見つめるだけだ。
(……それも、悪くないかもしれませんが)
少し考えた後、老執事はドロシーに向かって小さく笑う。
「……ふふっ」
老執事の顔を見たドロシーは安堵したかのように微笑みかけた。
(……なんだコレ)
そんな彼らを取り囲む職員達はどうすればいいのかわからず、とりあえず空気を読んで沈黙していた。
「エマリー様」
「使用人の席が一人分、空いたの。それにお父様は多忙で……自分を補佐してくれる優秀な人が必要だと思うわ」
「そうでしょうな、ローゼンシュタール家と言えば」
「この街ほどじゃないかもしれないけど……私の住んでいるところもいい場所よ。空気は綺麗で、自然も多くて……」
「それは素晴らしいですな」
「それと、それと……ッ!」
老執事はエマリーの頭を優しく撫でる。
エマリーは顔を上げ、その瞳に彼の困った顔を映す。
「ですが、エマリー様。どうやら私はこの街に長く居すぎたようです」
「……」
「この街を離れるにも、名残惜しさと申しましょうか……」
「……ふふっ」
エマリーは残念そうに笑うと、また彼に抱きついた。
「アーサーも、酷い男ね」
エマリーには今の言葉でわかってしまったのだ。
アーサーの心にはもう心に誓った相手がいるのだと。
そして、その相手から彼を奪うのは自分には無理なのだと。
「申し訳ございません……」
「……許さないわ、アーサー」
「いやはや……困りましたな」
「……でも、お父様に会うまで、貴方はまだ……私の執事でしょう?」
エマリーの肩が小さく震える。
恐らくは泣いてしまっているのだろう。だが、彼女は声を押し殺して耐えた。
「……主の期待に背いた執事には、罰を与えないとね。跪き、目を閉じなさい」
エマリーはそう呟いて老執事から離れる。
「……はい、エマリー様」
老執事は彼女の前で跪き、目を閉じた。
「……」
この一日は、エマリーにとって生涯忘れられない日となるだろう。
それ程までに、一日で様々な事を体験しすぎた。
それは楽しい事や、悲しい事、辛い事、文字通り色んな出来事が入り混じった夢のような体験だった。
(……素敵な夢だったわ)
(……ありがとう)
エマリーは静かな歩調で老執事に近づき、目を瞑る彼の額にキスをした。
夢のような一日に、そして目の前の愛しい老執事に自分なりの別れを告げる為に、言葉にできない精一杯の気持ちを込めて────
(そして さようなら……私のアーサー)
エマリーは心の中で呟いた。
「……ぐっ」
「抵抗するな、これからお前を本部に連行する」
戦闘不能に陥っていたハンクスは異常管理局の職員に確保される。
そんな中、自分に近づいてくるドロシーに気が付きハンクスは彼女に問い詰めた。
「何故、殺さなかった? 殺せたはずだ……」
「ん?」
「殺さないと、後悔するぞ……? 俺は、お前の顔を覚えた。中途半端な情は」
「君、何か勘違いしていない?」
ハンクスの問いに首を傾げながら、ドロシーは言う。
「どうして殺す必要があるの?」
「……ッ」
「僕は君と遊びたかっただけよ。殺すつもりなんて最初からないわ」
「遊び……?」
「ええ、ただのお遊びよ」
ドロシーは足元に落ちていたハンクスの杖を拾いあげ、彼の濁った瞳をジッと見つめる。
「自由になれたら僕を探しなさい。この玩具は次に君と遊ぶ時まで僕が預かってあげる……」
「……!」
「心配しないで。僕は君みたいな 拗らせただけのクソガキ に本気になるつもりなんて無いから、次もちゃんと手加減してあげるわ」
クスクスと挑発気味に嘲笑い、ハンクスの自信を完膚無きまでへし折った。
「……ははっ、はっはっはっ……!」
ハンクスは乾いた笑いをあげながら、異常管理局の職員達に何処かへと運ばれていった……
廃教会の周囲に異常管理局の所有するヘリや護衛車、そして警察の増援が続々と集まってくる。
「……あーあ、疲れたなぁ、今日は」
「全くだぜ……」
「おい、無駄口を叩くな。車に乗るんだ」
「はいはい……わかってますよ」
誘拐屋の男達はようやく肩の重荷を降ろせたかのように疲れた笑みを浮かべ、大人しく連行されて行く。
「いつの間にか賑やかになりましたわね」
「……」
「ね? 問題なかったでしょう?」
「まぁ……はい、そうでしたね」
「はーい、スコッツくん! ただいまー!!」
教会から上機嫌のドロシーが手を振ってやって来る。
「大丈夫でしたか!? 社ちょ」
「ドーリーって呼びなさい」
「うふふ、お疲れさまでした。お嬢様」
「別に疲れてもないけどね、今回の相手は大した事なかったし。まぁ、優しいキッド君には最悪な相手だったかなー」
時刻は午後5時前、エマリー嬢誘拐事件はドーリーと名乗る謎の美少女と老執事によって鮮やかに解決された。
「エマリー様、足元にお気をつけて」
「大丈夫よ、ありがとう」
その老執事に手を取られ、教会を出たエマリーの目に夕焼け空が飛び込んでくる。
「あっ……」
この街から見上げる空も、自分の住むお屋敷から見た空と同じ色をしていたが 一つだけ決定的に違うものがあった。
「ねぇ、アーサー」
「はい、エマリー様」
「この街は、素敵な所ね」
「ええ、私もそう思います」
日が暮れかかった空を泳ぐ、虹色に輝く美しい白鯨の群れ。
後に【ゴストム・ファラエールの大遊泳】と呼ばれる事になるこの光景は、忽ち街中の人々の視線を独占し、ちょっとした騒ぎとなった。
〈クォオオオオオオオオオオ……ン〉
〈クォオオオオオオオオオオン〉
〈クルルルルル……ッ〉
〈クルォオオオオオオオオ……ンン〉
空を泳ぐ大勢の空鯨達が、一斉に歌声を上げる。
奇しくも鯨の群れはその教会の上空を大きな円を描くように泳いでおり、マリアも思わずその光景に目を奪われていた。
彼女がふと視線をアーサーに向けると、エマリーの手を引く彼もまた自分を見つめていた。
「……ふふふ」
「ははは……」
二人は小さく笑い、静かに言葉を交わす……
「私からは、そう簡単に逃げられませんわよ。アーサー君?」
「ええ、逃げませんとも。彼女との約束ですから」
かつてこの二人の間に何があったのか、どんな約束が交わされたのか……
それは、彼らにしかわからない。