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「……う……っ」
温かな日差しが注ぐ草原。透き通った川の辺りで男は目を覚ます。
「……はて、此処は」
「ふふふっ」
「おや? 貴女は……」
男の顔を長髪の少女が微笑みながら覗き込む。
「お久しぶりです、クラークさん」
淡いブロンドの髪の少女は男の額を撫でながら、愛おしそうに言った。
「……ああ、お久しぶりでございます。いいお天気ですね」
「本当にクラークさんの寝顔は可愛いですね。ずっと見ていたくなります」
「からかうのはおやめください」
クラークは頭を掻きながら起き上がる。
「どうですか、そちらは。お変わりはありませんか?」
「ええ、いつもいい天気で毎日が楽しいです」
「それは良かった。此方も毎日が充実しておりますよ」
透き通った川を見つめながらクラークは言う。
「良かった、じゃあ姉さんとも仲良くできているんですね」
眩しい笑顔でそう言う少女から目を逸らし、クラークは何とも言えない表情を浮かべる。
「……それは、保証しかねます」
「どうしてですか? あの日に約束したでしょう?」
「……約束はしましたが、保証した覚えはありません」
「ふふふっ、そうでしたか?」
「……そうですとも」
少女はクラークの肩に凭れ掛かる。
「それじゃあ……いつになったら私の所に来てくれるんですか?」
そして少女は切なげな笑顔で言った。
「……」
彼女に返す言葉が見つからず、クラークは目を泳がせる。
「……そのうちですよ」
「ふふふ……そのうち、ですか」
「ええ、そのうちです」
「ふふふ、期待しちゃいますよ?」
少女はクラークの頬をツンと突き、その笑顔に少しだけ寂しさを滲ませた。
「次に会う時は、ちゃんと姉さんも連れてきてくださいね?」
「……」
「約束ですよ?」
ちょこんと小指を立て、少女は指切りのポーズを取る。
「……ええ、約束です」
「今度はちゃんと守ってくださいね?」
「……それは保証しかねます」
「ふふふっ」
いつまで経っても指切りに応じようとしないクラークに抱き着くと、少女は彼の困った顔を見つめながら意地悪そうに微笑む。
「もう……いい加減正直に打ち明けてくれていいんですよ? 私には、わかってるんですから」
「……」
「貴女は、姉さんの事が」
《ねえ、アーサー? 貴方、もしかして私から逃げるつもり??》
少女が何かを言おうとした瞬間、クラークの耳に彼女の忌々しい声が届いた。
◇◇◇◇
リンボ・シティ5番街区 大型服飾店【Jupiter】前
「よしっ、運ぶぞ!」
「酷い……、この怪我じゃもう……」
「まだ息はある! 急げ、早く病院に!!」
通報があった服飾店の前に到着した救急隊が満身創痍の老執事を担架に寝かせる。
その体は胸から下が大きく抉られ、内臓が露出している。右腕に至っては全損し、左腕も辛うじて骨と筋繊維で繋がっているだけという有様だった。
救急隊が慎重に血塗れの老執事を運ぼうとした時、バイクに乗ったマリアが到着する。
「……案の定、ですわね」
マリアは車体を傾けたフルブレーキで速度を落としながら停車し、愛用のバイクから軽やかに降りた。
「な……!?」
「何だ!?」
マリアはヘルメットを脱ぎ捨て、呆然と自分を見つめる救急隊を尻目に担架に乗せられている瀕死の老執事に声をかけた。
「あらあらアーサー君、随分素敵な姿になったじゃない? お嬢様達を捨て置いて、貴方は何をしていたのかしらぁ?」
「こ、こら君! 今は急いで」
「 お黙りなさい 」
彼女は救急隊員の一人に冷たく言い放ち、その目を睨んだ。
「………ッ!?」
睨まれた救急隊は突然硬直して身動きがとれなくなる。
担架を担ぐもう一人の隊員も彼女の気迫に圧されていた。
「ねえ、アーサー? 貴方、もしかして私から逃げるつもり?」
その言葉が届いたのか、執事の左腕が微かに動く。
「情けないわぁ……貴方、私に言ったあの言葉は嘘だったのねえ。うふふっ、若気の至りというものだったのかしら?」
彼は既に意識を失っており、このままでは微かな命の灯火も消えてしまう。
そんなズタボロな彼の耳元でマリアは囁き続ける……
「そう……貴方は、私から逃げたいのね」
それはぞっとするような優しい声だった。
「じゃあ仕方ないわ、そのまま尻尾を巻いてお逃げなさい」
ミキッ……
全損した筈の老執事の右腕が再生する。
彼の表情は苦悶に満ち、その身体が小刻みに痙攣していた。
ミシ……ミシミシ、メキ、メキョン
老執事の身体から嫌な音が聞こえ、失われた部位が修復されていく。
千切れた部分も繋がり合い、機能を取り戻した内蔵が脈動する。ついには体中の傷口から赤い蒸気が発生し、黒焦げになった皮膚を含めたあらゆる外傷が瞬く間に塞がっていく……
「……!!」
救急隊員は何が起きているのか理解できず、ただ呆然と立ち竦むしかなかった。
「うふふふっ」
その様子を見守っていたマリアは嬉しそうに笑い、再び彼の耳元で囁く。
「もしも隣に妹が居るなら、ちゃんと伝えておいてね。貴女の血はとても────」
彼女の言葉を聞いた瞬間に老執事は目を見開き、上体を勢いよく起き上がらせた。
「うおおおおおお!?」
「うわあっ!!」
救急隊員は思わず担架から手を離し、アーサーはそのまま地面に落下する。
「……夢を、見ていました」
しかしそれをまるで意に介していないように、老執事は静かに口を開いた。
「おはよう、アーサー君。いい夢だったかしら?」
「ええ、勿論。最悪な夢でしたよ」
老執事は立ち上がり、ハンカチで顔の血を拭ってマリアの顔を見つめる。
その目はどこか悲しげだったが、口元は緩み不敵な笑みを浮かべていた。
「じゃあ、聞かせてもらえるかしら? どうしてお嬢様を置き去りにしたのかしら? 服に興味のない貴方がどうして此処に居るのかしら? 自分一人で死ねばいいのに、素敵な車を道連れにしようとしていた理由は?」
「申し訳ありませんが、話せば長くなるので詳しい事は後程」
マリアの問いかけを一蹴して老執事は車のトランクを開ける。
無残な姿となったフロント部分とは対照的にほぼ無傷のトランクからスペアのバトラースーツを取り出し、人前でいそいそと着替え始めた。
「アーサー君?」
「申し訳ありません、向こうを向いて貰えますか? どうしても見たいと仰るのなら話は別ですが」
「ふふふ、笑えない冗談はやめてちょうだい?」
「おや、失礼。笑っておられるので気に入られたのかと思っていましたよ、死人のように冷たい先輩には寒いジョークがお似合いですので」
マリアは小さく舌打ちして生意気な老執事に背を向けるが、その顔は何処か嬉しそうであった。
ホントの心は秘密なの




