15
大人にとって、簡単に懐く子供ほど利用しやすいものはありません。まさに外道。
「……どうして……ケイン……」
ケインの運転する車の中で、エマリーは同じ言葉を繰り返し呟いていた。
「申し訳ございません」
「貴方は……ずっと私の側にいて……」
「はい、生まれたばかりのお嬢様を取り上げたのは私です」
「いつも……夜には、絵本を読んでくれて……」
「エリック・カール著 Dad, Please Get the Moon for Me(お父様、お月様を私にください) でございますね。お嬢様のお気に入りでした」
エマリーの瞳からとめどなく涙が溢れた。
彼女が涙する姿を見ても、ケインは表情一つ変えなかった。
この男は彼女の事を家族とは思っていなかった。そしてもはや仕えるべき相手とも見ていない。
「貴方は、お父様の小さい頃からの友人で、お母様とも……」
「はい……お嬢様」
「どうして……」
「お嬢様、貴女は魔法というものをどう思いますか」
ケインは冷たい声で、淡々と喋りだした。
「魔法は凄い力を持っています。それはもう、世界中がその力を欲しがっていると言っても過言ではありません」
「何を、言っているの……?」
「しかし、それに関する多くの知識や技術は異常管理局が独占しています。ずるいと思いませんか? 彼らはその力を独り占めしているのですよ」
「……ケイン?」
「私は、その力が欲しい。その為に、貴女の命が必要なのです。お嬢様」
「ぎせい……?」
エマリー嬢誘拐事件。ゲイルを含めた多数の犠牲者を出したザ・リッツ・オブ・リンボの襲撃……その手引きをしたのはケインだ。
彼はローゼンシュタール家の使用人、それも当主カイザル・ローゼンシュタール氏お抱えの執事。
流石に管理局側も彼に対しては警戒が薄らぐ。
ホテル側に至ってはエマリーの為に用意されたスーペリア・クイーン・ルームの合鍵と、ホテルの警備システムの作動を封じる機能が搭載された複合キーを手渡していた。
彼らは何も知らずにエマリー嬢誘拐事件の手助けをしてしまっていたのだ。
ケインの目的は魔法の力を手に入れる事。
だが外の世界出身の彼が魔法の技術的ノウハウや知識を得るのは異常管理局、そして大賢者が存在する限りは不可能だろう。
魔法の技術を手に入れる為には大賢者を亡き者にするか、異常管理局の影響力を弱め、組織自体を解体させるしかない。
その為にケインは一つの計画を立てた。
「ご安心ください。貴女様は、無事に開放いたします。お父様のカイザル様ともご再会できるでしょう。ですが、その前にあるものを身につけて頂きます」
まずはエマリーを誘拐させ、異常管理局の信用を失わせる。
エマリーの護衛には魔法使いが充てられる。だからこちらも魔法使いを用意する必要があった。
ハンクスはその点で言えばまさにうってつけともいえる人物だ。
彼は強力な無派閥の魔法使いな上に危険な戦闘狂である。
管理局の魔法使い、それも護衛を任される程の精鋭と戦えると話しただけで彼は喜んで協力してくれた。
ハンクスの連絡先も街の情報屋から簡単に入手する事が出来た。
暗殺も請け負うハンクスは裏の情報網に自分に辿り着く手がかりを意図的に流しているのだ。
そして誘拐屋、これは街の外で雇った。
ハンクスは戦闘以外に興味がない為、エマリーの誘拐はその道のプロに依頼するのが妥当だからだが、彼らが選ばれた理由はまだある。
それは、この計画の肝となる【主従の誓い】の効果を試す為。
いくらプロといえども、命に関わる危機的状況に直面すれば口を割ってしまう可能性もある。
それを防ぐのと、道具の効果を確かめる為に『提示された額の倍の報酬を支払う』という条件で誘拐屋全員にその腕輪をつけさせた。
彼らには単に居場所を知らせる何らかの端末だと思われていたのだろう。
『この事を話すと爆発するぞ』とは伝えられていたが、彼らには唯の子供騙しのジョークとしか受け止められなかった。
街の外の誘拐屋を雇ったのは、その腕輪を知らない者である必要もあったからだ。
ケインがどうやって腕輪を入手したかは気になる所だが、異人種を商品とした人身売買が行われていた事実がある以上、あのような異界道具が街の外に売り出されていてもおかしくない。
エマリーを攫わせた後は頃合いを見て誘拐屋達から彼女を救出し、一風変わったプレゼントと称して腕輪をつけさせて異常管理局総本部に向かい、カイザル氏と再会させた後に起爆させる。
運がよければ大賢者も始末できるだろう、できなかったとしても管理局の信用を失墜させるには十分すぎる理由になる。
とある老執事の活躍によって当初の予定から多少のズレが生じたが、エマリーが腕輪をつけてしまえば目的は達成できる……
つまりケインにとってエマリーは計画達成の為の 大事な道具 でしかなかった。
「私はね、ずっと貴女のお母様を見ていたのです。ずっとね……」
「ケイン……?」
「貴女のお父様とは幼い頃から友人だった。確かにそうです……ですが、彼はローゼンシュタール家の跡継ぎ……私は唯の平民です。わかりますか?」
「……」
「ははっ、わからないでしょうね。実はね、貴女のお母様も平民の生まれだったのですよ」
「えっ……」
「私は、彼女といつも一緒にいた。貴方のお父様と出会う前からずっと……」
ケインはエマリーの母親と幼馴染だった。
そして、父親のカイザル氏とも。この三人がどう巡り合ったのか、それは彼等にしかわからない。
やがて三人は身分を越えて友情を築き、その縁もあってケインはカイザル氏に使用人として雇われたのだろう。
「でもっ、彼女は貴方のお父様を選んだ……当然です。私は平民で、あいつは貴族!」
ケインは感情を顕にしながら喋り続けるが、エマリーはただ黙って聞いているしかなかった。
彼女の精神は既に限界だった。その顔にはもう、明るい笑顔は浮かばないだろう。
「そして、貴女が生まれました。ええ……お嬢様は、お母様にそっくりで本当に美しい女性です。でもその髪は、その瞳はアイツの、カイザルの色だ。貴女を見ていると嫌でも痛感してしまうのですよ、お嬢様。彼女は、もう奴の女になったのだとね」
「……ッ」
「そして、彼女は死んでしまった。何故でしょう? それ以来、私は貴女を見る度にこう思うようになりました」
「せめて、貴女が生まれなければ……とね」
その言葉で、エマリーの心は砕けた。
彼女の目の前は真っ暗になり、その耳はもう何も聞こえなくなった。
ケインはまだ恨み節を吐いているようだが、彼女にはもう聞こえていない。
そんな外道が泣いて命乞いする畜生がこの街にはわんさかいるんですけどね