11
「ねぇ、アーサー。この街はどんな所なの?」
「どんな所……でございますか」
「そう、気になっていたの。私はお屋敷から出たことが殆どないもの」
食事を終えたエマリーはアイスティーを少しずつ飲みながら言う。
「面白い所ではありますな、私もずっとこの街に住んでおりますので」
「ずっと?」
「ええ、ずっとでございます」
「飽きたりは、しないの?」
老執事はエマリーが何を伝えたいのかを何となく察した。
彼女は屋敷の外の世界を知らない。今まではその屋敷という名の箱庭で暮らす日々に違和感を抱く事はなかったのかもしれない。
だがこうして屋敷の外の世界を知ってしまった事で、彼女の価値観に変化が生じたのだ。
「私は、飽きると思うな……。同じ景色、同じ人、いつも同じ……」
「そんなこともございませんよ」
「本当に?」
「ええ、年を重ねていくとわかります。今まで見てきたものが、実は沢山の意味を持っていることに。今のエマリー様には、まだ少し難しいことかもしれませんが……」
「……」
エマリーは不満げな表情を浮かべた。
彼の言葉を『自分を子供扱いしている』と解釈したのだろうか。
大人と子供では物事の考え方が違う、当然ながらその言葉の捉え方も。
「じゃあ、教えなさい。アーサー」
「エマリー様?」
「この街の良い所を、沢山知っているのでしょう?」
ジッと此方を見つめながら言うエマリーの姿を見て、老執事は珍しく困ったような笑みを浮かべた。
「はっはっ、そうですな。では少し街を回ってみましょう」
「えっ、いいの?」
「流石に、車からは降りてはいけません。なるべく顔を隠すように……何処に貴女を攫った輩の仲間が潜んでいるのかわかりませんので」
「ありがとう、アーサー!」
エマリーは天使のような眩しい笑顔を浮かべてアーサーの手を握った。
「……」
その愛らしい姿を見てアーサーは昔の記憶を回想する。
まだ彼が若い頃、この街に来たばかりの日の事を……
「ではエマリー様、車にお乗りください」
「ふふふっ、憧れだったの。この街を見て回るのが」
老執事はふとドロシー達の事を考えた。
(……今のお嬢様には彼が一緒におりますからな。少し迎えが遅れても大丈夫でしょう)
しかし老執事はドロシーの迎えよりもエマリーのお願いを優先した。
かつての老執事なら躊躇っただろうが、今は彼女の隣にスコットがいる。
彼が隣に居れば何も問題ない。彼の力なら辺獄の畜生共からも彼女を守れるだろう。
「……ははっ」
「どうかしたの? アーサー??」
「いえ、何でもございません」
ここで老執事の心に僅かな寂しさの感情が芽生えた。
「では参ります。本日に限り、この車はエマリー様専用のリンボ・シティ特別ツアー用貸切車となります。まずは何処に行きたいですか?」
「この街のことは、まだ何も知らないの。だから、アーサーに任せるわ」
「かしこまりました、エマリー様」
執事が笑顔で車を出すと、彼の車とすれ違うようにアレックス警部が運転するパトカーが通った。
「しっかりしろ! 今すぐ病院に連れて行ってやるからな!!」
負傷したジェイムスを急いで病院に運んでいた為、警部はすれ違った見覚えのある忌々しい黒い車に気がつかなかった。
「だ、大丈夫ですか!? ジェイムスさん!」
「……ぐっ、う」
「おい、あんまり動くなよ! 肩に穴が開いてるんだぞ!?」
「はは……ご心配、どーも」
ジェイムスは痛みに耐えながら、苦悶の表情で管理局に連絡を取る。
「もしもし……サチコさん? ああ、ちょっと……伝えたいことがあってね……」
ジェイムスの胸中は完敗した事に対する鬱屈感に満ちていたが、同時に安堵もしていた。
……ようやく長い休暇をもらえる立派な理由ができたからだ。
◇◇◇◇
「はい、わかりました……お大事に」
「ジェイムス君は無事なの?」
「はい、負傷しているようですが……命に別状はないそうです」
賢者室に戻っていたサチコは通話を切る。
表情こそ変えないが、彼女の胸中は落ち着かないものだった。
「……」
ジェイムスは管理局でも主力の一角を担う実力者だ。
彼が負けてしまったという事は、ハンクスの戦闘能力は異常管理局の主力戦闘員以上ということになる。あまりにも危険な存在だ。
「どうやら、エマリー嬢の誘拐にはハンクスと呼ばれている無派閥の魔法使いが関与していたようです。ジェイムス氏からの報告によりますと、彼は自分の顔に関する情報に何らかの認識障害を引き起こす能力を持っていると推測されます」
「その能力だけでも十分に脅威なのに、戦闘力も高いなんて……危険すぎるわね」
「……同感です」
大賢者の表情が大きく曇る。
指名手配しようにも、彼の顔に関する正確な情報が記憶されない以上、効果は望めないだろう。
赤いコートを目印替わりに捜索しても、彼はコートを脱いでしまえばいいだけだ。
当然、コートを身につけている本人であるハンクスがそれに気付かない筈がない。
映像や写真といった、ハンクスに関連する情報は全て例の赤いコートを着用してしまった状態のものだ。
コートを脱いだ状態の彼を見つけ出さない限り、その身柄を拘束するのは不可能に近い。
「……気に入らないわ」
大賢者はたまらず苦い表情で呟く。
魔法使いがエマリー嬢の誘拐といった犯罪に手を貸す行為は以ての外だ。
そんな情報が外の世界に流出すれば管理局どころか、魔法使いそのものに対する世間の評価が悪化する事は想像に難しくない。
ジリリリリリリン
賢者室の固定電話が鳴る。この部屋の電話番号を知っているのはごく限られた者達。各国の首脳、権力者、協力関係にある組織……そしてローゼンシュタール家といった一部の貴族……
「……」
大賢者は受話器を取る。その電話の主と会話をする彼女の顔は、サチコの目に鮮明に焼き付いた。
「はい、お嬢様の事は必ず……えっ、予定より早く? 街に??」
大賢者は受話器を手で塞ぎ、サチコに聞く。彼女の目は大きく見開いていた
「サチコ、カイザル氏から貴女に連絡があったの?」
「いえ、そのような……」
────その時、サチコに電流走る。
思い返せばジェイムスから連絡が入った直後、誰かから彼女の電話に着信があった。
見知らぬ番号であった為、キャッチセールスか保険会社の勧誘かと思い無視してしまったのだが……
サチコは衝動的に着信履歴に目を通す。
「サチコ??」
「……大賢者様、カイザル・ローゼンシュタール様の電話番号をご存知で?」
大賢者は事情を察し、受話器の向こうで返答を待っているカイザル・ローゼンシュタール氏に穏やかな声で話し出す。
「……カイザル様、申し訳ありません。ええ、実は此方で少し手違いがありまして」
その表情はあらゆる感情を通り越した聖母の如く穏やかで、悲しいまでに優しい表情をしており、サチコは思わず目を背けた。
「はい、お任せ下さい。私達は魔法使い、必ずや奇跡を起こしてみせましょう。それでは……」
何とかカイザル氏を落ち着かせる事ができたのか、大賢者はそっと受話器を置く。
「……」
サチコは大賢者にかける言葉もなく、ただただ表情を凍りつかせながら直立していた。
「サチコ、お茶をお願い」
「あの、大賢者様……」
「サチコ? お茶をお願い」
「はい、ただいま」
異常管理局の代表、大賢者。そんな彼女を的確にサポートする大賢者専属秘書官こと、サチコ・大鳥・ブレイクウッドは今日も尊敬する大賢者の為に紅茶の用意をした。
カチカチカチカチカチ……
彼女の顔はいつものポーカーフェイスであったが、平静を欠いた心中を表すかのようにその手は思いっきり震えていた。
「ふふふ……」
サチコの後ろ姿を優しげな瞳で見守りながら大賢者は小さく呟く。
「今日は 何て日なのかしら……」
大賢者の胸中をどんな感情が巡っていたのか、それは誰にもわからない。