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「どうかしら? アーサー」
試着室で着替えを済ませたエマリーは、少し照れながらも選んだ衣装を老執事に見せる。
髪と同じ色合いの紫色に黒いフリルがアクセントとなっているお洒落なワンピース服と、ソックスも紫と黒の縞々模様のものを新たに購入。異人の女性店員はお着替えを手伝おうとしたが彼女は断った。
「とてもお似合いですよ、エマリー様」
「アーサーはお世辞が上手ね」
「はっはっ、本心からの素直な感想でございますよ」
血の混じった泥まみれの衣服はエマリーが試着室を出た後に老執事が先程のコートに包んで回収している。
「先を急いでおりますので、このまま失礼致します。代金の要求は此方に」
「え、あのお客様……」
「誠に申し訳ございません……ですがご心配なく、代金は問題なくお支払い出来ますので」
半ば強引に支払いは請求書を指定の宛先に送りつけるように話をつけ、老執事はエマリーと退店した。
「あ、ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております」
店員は少々困惑したが、アーサーの真摯な態度とその雰囲気、そして彼と一緒にいるお洒落な少女を見てきっと何処かの富豪の使用人とお嬢様だろうと思い、老執事から渡された住所のメモを手に彼らを見送った。
「素敵な執事さんだったわね……旅行者かしら?」
「かもしれないわ、あんな綺麗なお嬢さん初めて見たもの。ふふっ、可愛い」
「あら、この住所……この街のものよ? それも13番街区の……」
「ふふふふっ」
「お気に召されましたか?」
「ええ、他にも沢山買っちゃったけど……大丈夫なの?」
「問題ありません」
ちなみにその請求書は後日、スコットの部屋に届けられる。
ウォルターズ・ストレンジハウスの住所を余人に教える訳にはいかないからだが、覚えのない高額な請求を勝手に押し付けられる彼が不憫でならない。
「でも、聞いたことがあるわ。この街の品物はとても」
エマリー嬢のお腹から何か音が聞こえた。
「……」
エマリーは顔を真っ赤にして気まずそうに俯く。
時刻は既に午後2時前、どんなに我慢しても流石にお腹が鳴り始めてしまう時間だろう。
育ち盛りの子供ならば尚更だ。
「エマリー様、少し遅れましたが昼食は如何ですか?」
「えっと……アーサー、今の 聞こえたの?」
「はて? 何のことでしょうか、エマリー様」
「な、何でもないわ!」
エマリーは顔を膨らませて歩き出す。老執事は小さく笑いながら彼女の少し後ろを歩いた。
二人は今すぐに食べられそうなものを探す。
こういう時こそバラード・マーケットの屋台が輝くのだが、今はその場所は使えない。
例の追っ手がまだ探し回っているかもしれないからだ。
「……ふむ、仕方ありませんな」
「アーサー?」
「すぐに戻りますので、此処でお待ちください」
老執事はふと目に付いたホットドッグの路上販売店で腹拵えを済ます事にした。
車の前でエマリーを待たせ、汚れた服を包んだコートと洋服の入った紙袋を車内に押し込んでから異人の店員に声をかける。
「失礼、ホットドッグを二つ。飲み物も」
「やぁ、いらっしゃい。何を挟む? 色々あるよ!!」
「ではこのホワイトソーセージを、ソースはケチャップオンリーで。飲み物はアイスティーを」
「はいはい、ホワイトソーセージね!」
当然ながらソーセージの具材になっているものは何らかの新動物の肉だ。
何の肉かは書いていないので解らないが、この街ではそのような些事を深く考えてはいけない。
「お待たせ致しました、エマリー様」
「これは?」
「ホットドッグでございます。本来ならばお勧めの料理店で優雅に食事をとって頂きたいものですが、今はこれでお許し下さい」
「ホットドッグ? ……犬の肉を使っているの??」
「いいえ、そういう名前の料理なのでございます」
お嬢様であるエマリーはホットドッグといった庶民の食事の知識など皆無だ。
ましてやこうして路上で食事をするというのは人生初の経験だろう。
今日は彼女にとって色んな意味で忘れられない一日となるのは確実だ。
「……」
エマリーは少し戸惑ったが空腹には勝てず、何よりその料理の美味しそうな匂いにつられて思わず齧り付いた。
「はむっ……、もぐもぐ……」
暫く真剣な表情でその未知の料理を咀嚼し、味を確かめていたが徐々に表情が緩んでいき……
「美味しい……っ!」
「でしょう?」
エマリーは眩しい笑顔で言った。
余程お腹が空いていたのか、口にケチャップがついてしまう事も気にせずにそのままホットドッグを夢中で食べ進める。
老執事はそんな彼女を優しげな表情で見守っていた。
「……?」
エマリーは彼が自分を見てばかりで、手に持つホットドッグを食べようとしない事に気がついた。
「アーサーは、食べないの?」
「エマリー様の食事が済みましたら、私もいただきます。どうぞ、お気になさらずに」
「……」
エマリーは食事の手を止める。彼の対応に何か思う事があったのだろう。
「どうなさいました?」
「何でもないの……ケインを思い出しただけ」
「ケイン?」
「いつも一緒にいてくれた執事よ。この街には彼も一緒に来てたの……」
「そうでございましたか……」
「ケインも、私が食べている間は決して料理に手をつけなかったわ。私が一緒に食べましょう、と誘ってもね」
「エマリー様、執事とはそういうものです」
エマリーは少し寂しそうな表情を浮かべた。
貴族としての教育を受けている為、身分の違いというものも当然教え込まれている。
だが、それでも彼女の心の中には何かが引っかかっていた。
自分が家族だと思っているケインはあくまでも使用人。どれだけ親しく接しようとしても周りがそれを許さない。
何より彼自身も彼女にやんわりと身分の違いについて説いて聞かせた。
その執事もエマリーの事を家族としてではなく、あくまでも仕えるべき相手と見ていたのだ。
「そうね……」
「……」
エマリーの表情が曇ったのを見て老執事は少し考える。
もぐっ。
そして手にしたホットドッグを口一杯に頬張り、隣で見ていたエマリーは驚いて目を見開いた。
「ふむふむ、これは中々……」
「アーサー……」
「うむ、やはりこの街の食べ物はどれも美味ですな」
「うふふっ、口に沢山ケチャップがついてる」
「おや……本当ですな」
「ふふふふっ」
エマリーは満面の笑みを老執事に向け、そして彼も小さく笑って彼女を見る。
「美味しいわね、ホットドッグ。お父様にも教えてあげなきゃ」
「はっはっ、お父様もお気に入りになられるでしょうな」
二人は先程出会ったばかりだが、エマリーはすっかり老執事に心を開いていた。
真の紳士は見た目以前に行動からして違います。ハッキリわかるんだね。