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「おい! ガキは何処だ! ふざけるなよ……何で目を離した!?」
「トイレに行きたいっていうから……まさか、トイレの窓から逃げるなんて思うか!? さっきまで震えてまともに立てなかったガキがよ!!」
左手首に腕輪のようなものを嵌めたスーツ姿の男達が逃げた少女を探し回る。
路地の影に隠れながら逃げる少女の目には涙が浮かび、足も震えて既に体力は限界だった。
「お父様、お父様……ッ。助けて、お父様……ッ!」
小さく泣きながら少女は父に助けを求める。
エマリーを守ってくれる護衛は全員殺された……たった一人の【赤いコートの男】に。
目の前で何が起きたのか、彼女には理解できなかった。
その男が持つ、黒い棒のような武器から放たれた光によって彼らの命は一瞬で奪われたのだ。
護衛を任されていた魔法使いも応戦したが、力及ばずに倒されてしまった。
「おい! 見つけたぞ、ガキ!!」
「ひっ……!」
追っ手の一人が彼女を見つけて声を荒げる。
それから逃れようとエマリーは必死に走るも、足はふらふらで思うように動いてくれない。
やがて路地を抜け、人気のある場所に出たがそれに安心してしまったのか石につまずき、彼女は転んでしまう。
「……ッ!!」
もう駄目だ……エマリーは思った。
震える声でトイレに行きたいと懇願し、隙をついて逃げたはいいがもう足は動かない。
追っ手はすぐに追いついてくるだろう……再び捕まった彼女がどんな目に遭うかは想像に難しくない。
「おや? お嬢さん、どうなさいました?」
そんなエマリーにかけられる、誰かの優しい声。
泥だらけになった顔を上げると、そこに立っていたのは一人の老人。
「立てますか?」
黒い執事服を着こなしたその老紳士は、彼女に優しく手を差し伸べる。
「お願い、助けて……! お願い! 私……、私……ッ!!」
エマリーはその手を取り、縋る思いで助けを求めた。
「落ち着いてください。まずはゆっくりと息を吸って……」
「ようやく見つけたぞ! クソガキ!!」
そこに先程の男達がやって来た。
数は三人、かなりの距離を追い掛け回したようだが息は切らしておらず、全員が筋肉質の鍛え抜かれた体をしている。
「いっ、嫌……ッ!」
「おやおや、あなた方は? 何の御用でございますかな?」
震えるエマリーを庇うように老いた紳士が男達の前に立ち塞がる。
「じいさん、俺たちはその子に用があるんだ。さっさと渡してくれないか?」
「いやいや、その御用を聞いているのです。女性に向けて良いお顔をしておられませんので」
「じいさん? 死にたくないだろ??」
追っ手の男達は老人をギロリと睨みつける。
次に下手な事を言えば老人は彼らに殴り倒されるだろう。
「いや、いや……ッ!」
エマリーは怯えきっており、もう立ち上がる事もできない。
「お、おい……あれ」
「何だ、何だ? ドラマの撮影か??」
「いや、これは……どうやらマジっぽいぞ……!」
市場の利用客はその光景を見て慌てて距離をとる。
中には呑気に携帯端末を操作して写真や動画を撮影する者もいた。
誰かが通報をしたようだが、警官が駆けつけるまでその老人と少女が無事でいられるとは思えない。
「そうですね、確かに死にたくはありませんが……一つ聞いても良いですかな?」
「何だよじーさん、いいからそこをどけって」
「あなた方は今まで『死にたくないと』一度でも本気で思ったことはありますか?」
老紳士は鋭い眼光で男達を睨みながらそんな言葉を呟いた。
「は? 何??」
「もういいだろ、死にたいんだよそいつは。時間がねえからやるぞ」
男達は決めた。
人を殺すのには慣れているが、好き好んで殺したいわけではない。だが、どうしてもという輩は割り切る必要がある。
この場合、目の前の白髪の老人がそれだ。
「アーサー」
「……え?」
「私の名前はアーサーです、お嬢さん」
後ろの少女に優しい笑顔を向けて、その老紳士は名乗った。
彼が振り向く前に追っ手の一人は距離を詰め、拳を握って鋭いパンチを繰り出した。
離れて見物していた人達は思わず声を上げ、目を背ける者もいた。そして……
「……んなっ!?」
老執事に殴りかかった男の体は宙を舞った。
何が起こったのか、自分でもわからない。
そのまま彼の体は地面に落下し、全身を強く打ち付けた。
「なん……っなっ!?」
「失礼」
老執事は呆気に取られる男の顔を堅い靴先で強く蹴り、その意識を一瞬で刈り取った。
追っ手の仲間たちはその光景に呆然としていたが、すぐに切り替えて今度は二人で老人に襲いかかる。
「なんだこいつっ!?」
「知るか! 今は急いでるんだ、とにかく殺すしかねえ!!」
「やれやれ……」
軽く溜息をつきながら、老執事は自分にまっすぐ伸びてくる追っ手の鋭い右ストレートを右手で軽く払い除け、体制を崩した彼の右足に軽い蹴りを放った。
足を取られて転ぶ男を横目に、自分に向かってくるもう一人に意識を向ける。
もう一人の男はナイフを握る右腕を老執事の胸目掛けて大きく突き出した。
「死ね! じじい!!」
「じじいですか、確かにそうですが……」
老執事は小さく笑うと男の突きをひらりと交わし、すれ違いざまにナイフを握る男の右手首を利き手で掴む。
─────ベキンッ。
そのまま手首を捻りながら彼の右肘目掛けて手ぶらになっていた左手を勢いよく打ち上げ、その肘を逆方向にへし折った。
「ぎゃぁっ!!!」
「私はまだまだ現役ですよ」
右手首と肘を一度に折られた男は悲痛な叫び声を上げるが、それと同時に彼の視界は白い掌で埋まる。
老執事は男の右腕を破壊した直後に彼の顔面目掛けて鋭い掌底打ちを放っており、強烈な一撃を顔面に受けた男は膝から崩れるように倒れ込んだ。
その光景を、先程転ばされた男は唖然とした表情で眺めていた……