17
(……キス、されちゃった)
派手に吹き飛んでいく高級車の車内で緩やかな浮遊感を覚えながら、ドロシーは頬を染めてスコットを見る。
(何だろう、不思議な気持ち……)
(昨日の夜も、今朝も、この人とキスをしたのに……)
スコットはドロシーを抱き寄せ、悪魔の腕を呼び出して自分ごと彼女を抱き込む。
ジッとこちらを見つめる淡いグリーンの瞳に耐えきれず、彼は思わず目を逸らした。
(ふふふ、不思議ね。とっても強引で乱暴なキスなのに……)
(今までのどんなキスよりも、エクセレントよ)
ドロシーはそんなスコットの顔をグイッと自分に向けさせ、お返しとばかりに再び唇を重ねた。
(おお、神よ……感謝致します)
逆さまになった運転席からその瞬間を目の当たりにした老執事は過去最高に満ち足りた笑顔を浮かべ……
(お嬢様が彼と出会えた奇跡に……)
勢いよく作動したエアバッグに顔を埋めながら、渾身のサムズアップで二人を祝福した。
────ドガラシャァァァァァン!
道路のど真ん中で横転する黒塗りの高級車。
アクション映画も真っ青な勢いでガシャンガシャンと転がり、道端に停車していた赤いペンキで【Danger】と書かれた大型トラックに突っ込んだ。
「グワーッ!」
運転席で休憩していた可哀想な運転手が窓から放り出される。
昼食と思しきサンドイッチとコーラをぶちまけながらゴロゴロと転がり、ナマズのような顔をした小太りの男性は気絶。
「……」
「……」
「これは、不可抗力だから……多少はね?」
「先輩ィィィーッ!?」
まさかの結末にジェイムスは顔面蒼白で現実逃避。流石のロイドも憧れの先輩に本気で掴みかかった。
「……ヤモッ」
ヤリヤモちゃんは逆さまになりながら濃厚な口付けを交わすスコットとドロシーを見て目を丸める。
(……な、何をしているんだ、二人は!?)
既に異性が絶滅し、男女の愛情表現に関する知識も無かった彼女には二人の行動の意味がまるでわからなかった……
(……で、でも、何だ。何だ、この気持ちは……!?)
そんな二人を見ているうちに込上がる身に覚えのない感情の意味も、彼女にはわからなかった。
「ふ、ふぶぁっ! ちょ、ちょっと社長! 何するんですか!?」
「……君が言うの?」
「え、あっ……その、ええと! ああでもしないと社長が話を聞いてくれないから!」
「……それだけ?」
ドロシーはスコットに強く抱きつき、息のかかる距離まで顔を近づけて言う。
「本当にそれだけだったの?」
「……!」
頬を染めながらドロシーが物欲しそうに言った言葉にスコットは顔を真っ赤に紅潮させる。
「……だああぁぁぉあああああっ!!」
横転した車を悪魔の腕で勢いよくぶち抜き、スコットは大慌てで車外に出た。
「そ、それだけですよ! べ、べべ別に俺は!!」
「ふーん? まぁ、いいけどー」
「ほ、本当ですよ!? 俺は社長に気があるとか! そういうの無いですから!!」
「ふふん、そこまで聞いてないよー?」
「うっ、うぐぐっ!!」
立派な高級車がスクラップ一歩手前の黒光りする粗大ゴミに成り果てたと言うのにスコットは全くの無傷。
彼に抱きしめられていたドロシーもヤリヤモちゃんも無事であった。
「はっ! そうだ、執事さんは……!?」
「あ、そうそう。アーサー、大丈夫?」
ぐしゃぐしゃになった運転席を覗くと血塗れになった老執事が伸びていた。
「あらー」
「うわああああー! 執事さぁぁぁぁーん!!」
余りの惨状にスコットは絶叫。しかし長年仕えてきた執事の変わり果てた姿を見てもドロシーの反応は薄かった。
「久しぶりにボロボロになっちゃったね、アーサー」
「何でそんなに冷静なんですか、社長!? 執事さんがこんな」
「……ははは、申し訳ありません」
「うわぁぁぁっ!?」
老執事は首をぐりんと曲げて申し訳無さそうに笑った。
「な、なななっ!?」
「いやはや、お気に入りのスーツが台無しです。お嬢様の前では常に格好をつけていたいのですが……」
老執事は折れ曲がった両手を嫌な音を鳴らしながら戻し、最後にグキっと首の骨を戻して外に出ようとする。
「おや、困りましたな。足が挟まれて潰れているようです」
「ほあっ!?」
「あらー、出られそう?」
「私一人では難しいですな。スコット様、少し手伝っていただけますか?」
「ど、どうなってるんですか! その身体は」
「アーサーの体は少し特殊なの。そう簡単には死なないよ、痛覚も鈍いしね」
「いやいやいや! 少しどころじゃないですよ!?」
ここで判明した老執事の異常性……それは普通の人間なら即死する傷を受けてもすぐに復活する異常な回復力。
前々から只者では無いとは思っていたが、想像以上に人間をやめていた彼にスコットはドン引きした。
「申し訳ありませんが、手を貸していただけますかな?」
「て、手を貸すって……オレにどうしろと言うんですか!?」
「この足を潰している部分を自慢の怪力でこじ開けて貰いたいのです」
「わ、わかりました。じっとしててくだ……うわぁっ! グロッ!!」
「大丈夫よ、アーサーは痛み感じないから。でも、可哀想だから早く助けてあげて」
「どうしてそんなに落ち着いていられるの!? 社長には人の心がないんですか!!?」
ガチャッ、ガチャガチャッ
ふと聞こえてきた物騒な音。スコットが恐る恐る振り向くと杖や武器を構えた異常管理局職員達が此方を睨んでいた。
「……一応、警告しておく。動くなよ?」
若干やつれ気味のジェイムスが杖先を緑色に発光させながら言った。




