15
「あれ、ここは……」
ドロシーが目を覚ますと周囲は長閑な草原だった。
「……?」
彼女は草原の中に一本だけ立つ大きな樹の下でお洒落な木の椅子に座っている。
テーブルの上には一杯の紅茶と白いティーポット、添え物のお菓子は見当たらない。
「……夢?」
「うん、正解。これはただの夢よ」
「!?」
「おはよう、ドロシー。気分はどう?」
誰かに声をかけられて驚いた彼女が前を見ると、白いワンピース姿のドロシーが優雅に紅茶を飲んでいた。
「あ、貴女は」
「ん、僕はドロシー。君と同じドロシーよ」
「えっ?」
「昨日までのね」
ワンピース姿のドロシーはティーカップをコトンと置く。
「……」
「そんな顔しないでよ。せっかくアドバイスをしに来てあげたのにー」
「……アドバイス?」
「そう、これからドロシーになる君に素敵なアドバイス」
動揺するドロシーの目をジッと見つめながら昨日のドロシーが微笑みかける。
「まず、自分がドロシーであるという自覚を持ちなさい」
「……」
「そこからよ。自分がドロシー・バーキンスになった事を認めて。『僕は違う』とか『僕は駄目』だなんて思っちゃ駄目よ? そんなネガティブな気分に浸っても意味なんて無いんだから」
「で、でもっ」
「なーに? ネガティブな方が気持ちいいの? 皆と楽しく笑い合うよりも一人で傷ついて『僕って可哀想』って悲劇のヒロインを気取りたいわけ?」
「……うっ」
「まぁ、それも一つの自由だけど? この世界の人間の7割はネガティブ愛好家だし、世界もその7割に合わせて染まってるけどー」
未だにドロシーになった事を受け入れられない彼女の頬をプニッとつついて昨日のドロシーは言う。
「君までそうなったらオシマイよ?」
「……」
「君の名前はドロシー。ウォルターズ・ストレンジハウスの社長で街の人気者。君より素敵なレディは居ないし、君より幸せなヒロインも居ないの」
「し、幸せ……?」
「そう、幸せ。だってこの世界で一番素敵な男の人に愛されてるんだから」
昨日のドロシーはほんの少しだけ羨ましそうな顔を浮かべる。
「は、はうっ」
「そうそう、スコッツ君! あの子に愛されてるのよ? それ以上の幸せがある??」
「で、でもっ! スコット君が好きなのは僕じゃなくて……」
「まぁ、そうね。スコッツ君が好きなのは僕だけど?」
ここで彼女はふふんと鼻を鳴らして腕を組む。
「それはそうよ。顔が似てるだけのネガティブお嬢様よりも僕の方が魅力的に決まってるじゃない」
「あうっ!?」
「スコッツ君より強いし? ちゃんと彼を励まして上げられるし? 彼のパートナーとして僕より相応しいドロシーはこの先 永遠に現れないと思うよー」
「そ、そこまで言わなくても……僕だって」
ドロシーは反論しようとしたが、怪物に襲われるスコットを助けられずにアッサリと捕まった自分の醜態を思い出して口を紡ぐ。
「僕だって?」
「……ううん、僕は駄目だよ。やっぱり僕は」
「……そうだね、貴女は駄目ね。全然、駄目。天国のお父様も泣きながら笑ってるわ」
「……」
「だからこれから変わりなさい」
「えっ」
昨日のドロシーはそう言って紅茶に口をつける。
「過去はさっき終わったわ、未来は今から始まるの。今からどうしたいか、今からどうなりたいかが大事なのよ」
「……」
「それがわからない人が笑えるくらい多いだけ。君はそうなっちゃ駄目よ? もうそうなってるけど」
「……僕は」
「君の名前はドロシー。あのお父様の娘で、お義母様の義娘。リンボ・シティで、いいえあの世界で一番ステキなレディよ」
ドロシーは昨日の彼女の励ましを受けてグッと息を呑み、テーブルの上の紅茶に手を伸ばした。
「……僕はドロシー」
「そう、貴女がドロシー。これから頑張ってね」
「……」
「頑張らないと僕がスコッツ君を奪っちゃうよ? 今でも頑張れば一日くらいあの身体を動かせるんだから」
「だ、駄目! スコット君を取らないで!!」
顔を赤くしてあたふたするドロシーを見て昨日のドロシーはくくくっと意地悪そうに笑った。
「……その紅茶を飲んだら覚悟を決めなさい。もう逃げられないよ」
「……」
「次は貴女がインレと戦うの。今度は貴女があの街を守るの……忘れてたとは言わせないよ?」
ドロシーは昨日のドロシーの言葉を聞いて僅かに躊躇したが……
「でも、貴女は飲んだんでしょ?」
「うん、飲んだよ。僕はドロシーだもの、目覚めた瞬間にグイっと飲んだわ」
「……じゃあ僕も飲まなきゃ」
覚悟を決めてドロシーもその紅茶を口にした。
「僕もドロシーだから」
紅茶を飲み込む自分の姿を見て満足気に微笑むと、昨日のドロシーは席を立った。
「それじゃ、僕はそろそろ行くわね」
「……何処に行くの?」
「いつかは貴女も行く所よ。頑張ってね、ドロシー」
彼女は草原の中を歩き出す。だが数歩進んだところで立ち止まり、くるりと振り返った。
「そうそう、言い忘れてたけどー」
「?」
「僕のスコッツ君をよろしくねー! もし泣かせたり、お義母様や他の女に取られたら絶対に許さないからー!!」
昨日のドロシーは最後にそう言って笑いながら手を振った。
眩い光に包まれてその姿が見えなくなるまで、彼女は笑顔で今日のドロシーに手を振り続けた。
彼女の口から、スコットへの別れの言葉が出ることは最後まで無かった……
さよならは 言わないよ。