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新しい自分を受け入れられない訳アリヒロインの心を即効で掴む主人公の鑑。
「えーと、今からコーヒーでも淹れますね」
「僕は紅茶しか飲まないよ」
「あ、そうでしたね……」
電子ケトルに水を入れてスイッチを押したが、コーヒー党のスコットはここで出鼻を挫かれた。
「スコット君はコーヒーをよく飲むの?」
「……まぁ、一人の時は」
「ふーん……」
根っからの紅茶党であるドロシーは目を細める。
彼女はコーヒーが身体に合わないらしく、同様の理由でルナもアルマも大賢者も飲めない。
「そ、それじゃ」
「そっちの棚を開けてみて」
「え?」
「紅茶が入ってるから」
知らぬ間に紅茶パックが置かれていた事にスコットは戦慄する。
そういえばコーヒーしか買っていないのに何故、毎朝紅茶が出されるのかと不思議に思っていたが……
(……嘘だろ!? 買い置きしたコーヒーが全部無くなってる!!)
徐々に紅茶党の魔の手に侵食されていた事実に震え上がる。
別に紅茶が嫌いという訳でもないのだが、購入したコーヒーを処分してまで紅茶スペースを確保する強硬策には青ざめるしかなかった。
「じゃ、じゃあコレを使わせてもらいますね」
「お茶は僕が淹れるよ、美味しくするコツがあるから」
スコットから紅茶パックを受け取るドロシー。紅茶を渡す彼の手に触れた瞬間にアンテナがピンと立ち、少しだけ顔が赤くなった。
「……」
「どうかしました?」
「別に? 気にしないでー」
そう言ってぷいと背中を向けるドロシーに違和感を覚えながらスコットは焼き菓子の箱を開けた。
(……手が当たっただけなのに、どうして僕はドキドキしてるの?)
ドロシーは高鳴る胸を押さえる。
前の彼女の記憶と日記によれば彼の身体に抱き着く程度のスキンシップは当たり前のように取れていた。
だが、今日の彼女にはそれが出来ない。手が触れただけなのにこの有様だ。
(……やっべぇぇぇ! 焼き菓子がぐちゃぐちゃになってるぅううう!!)
ドロシーが顔を赤くする一方、スコットは顔を青くしていた。
ベッドに放り投げたせいで箱の中の焼き菓子がシェイクされ、ヴィクトリアサンドイッチケーキ風のふんわり焼き菓子のジャムとホイップクリームが飛び散り、ミンスパイが突き刺さったスコーン風のお菓子からは中からカスタードクリームがはみ出ている。
(畜生! どうして投げちゃったの!? どうして投げちゃったんだよ、俺ぇぇぇー!!)
とてもお嬢様のティータイムにお出しできる代物では無いお高そうなお菓子の成れの果てにスコットは絶望。勢いに任せて雑にポイした自分を責めた。
「スコットくん、お菓子を出してー」
(ふぅぁああっ!)
「そのお菓子は紅茶によく合うし、とても美味しいのよ。見た目もお洒落だしスコット君も気にいると思うよ」
(ごめんなさいぃぃぃー! とても美味しそうに見えない有様になってますぅぅ!!)
意を決したスコットはそっと箱を閉じて席につく。
「あれ、お菓子は?」
「いえ、お菓子は後にしましょう。今は紅茶だけで……」
「ふーん?」
「少し社長と真面目な話がしたいので……」
「真面目な話?」
マグカップにお湯を注ぎ、紅茶の用意をしていたドロシーは手を止める。
「……はい、真面目な話です」
スコットはまるで神に祈るように手を組み、ガクガク震える両足と激しさを増す動悸をキリッとした表情で誤魔化しながらドロシーを見つめた。
「……そう、じゃあ言ってみて」
ドロシーは彼の前に紅茶の入ったマグカップを置き、既に紅茶が入ったマグカップが置かれた席に戻る。
(え、真面目な話って……? 待って、まさかいきなり? いきなり僕を受け入れちゃうの? 僕は昨日までのドロシーじゃないのよ? ま、待ってよ! 僕は……)
(僕はまだ君のこと……!!)
対するドロシーも平然を装いながら内心であわあわしていた。
メイス(の悪戯心)に背中を押されてスコットに物申そうと意気込んでいた彼女だが、まさかの反応に圧倒される。
その無駄に凛々しい表情からは覚悟を決めた男のオーラが滲み出ており、まるで既に昨日までの彼女とは別れを告げたとでも言いたげな悲痛さすら感じ取れる。
……少なくとも、彼女にはそう見えていた。
(うーん、どうしよう! どうしよっかな、コレ! とりあえず焼き菓子から意識を逸らせた! でも、あの顔は社長が不機嫌な時に見せる顔だ! コレ絶対に焼き菓子食べるのを楽しみにしてたよね!? ティータイムにお菓子抜きなんて社長が許すわけないもんね!!)
(い、いや……賭けろ! 彼女が焼き菓子よりも俺の話題に食いつく方に全てを賭けろ! 彼女の注意をお菓子から俺に向けさせろ!!)
一方でこの男は脳内でそんな事を考えていた。
今日のドロシーが気になっているのは事実。
自分から彼女に謝ろうと決意し、今日の彼女をどのように受け入れ、そしてどう付き合っていくかについて本気で苦悩していたのも紛れもない事実。
だがかつての不機嫌なドロシーを連想させるあの目つきに怖気づき、彼女の気持ちを盛大に読み違えていた……
(ど、どど、どうしよう! ぼ、僕はまだ受け入れられてないのに……!!)
(ええい、なんとかなれっ!)
(あう、あう……! お、お義母様! どうしたら、僕はどうしたら……!!)
「あの、社長」
先に口を開いたのはスコットだった。
「何? スコット君」
内心では飛び上がりそうになりながらも必死に堪え、彼女は無意識の内に神に縋るように手を組んた。
「これからは貴女をどう呼ぶべきでしょうか」
「どう呼ぶべきって?」
「つまり、これまで通り『社長』と呼ぶべきか。それとも『ドロシーさん』と呼ぶべきか……です」
スコットも祈るように手をギュウウッと握り、ドロシーの目を見つめながら言う。
(はうううっ!?)
ドロシーは今にも泣き出しそうになっていた。
スコットは自分を今までのドロシーではないと既に認めている。
その上で今まで通りに接するべきか、これからは全く新しい関係を結ぶべきかの判断を彼女に委ねたのだ。
(ど、どうしてそんなこと言うの! 今の僕にそんな、そんな大事な決断させないでよ!!)
……などと本気で思っている彼女は両足をぷるぷると震わせる。
「好きに呼びなさい。ただ僕としては今まで通りに接してくれる方が助かるよ、記憶はちゃんと受け継いでるからね」
彼女はここで守りに入ってしまった。彼女にはまだ自分で選べなかったのだ。
(む、無理だよ……! 僕には! 僕には選べないよ……!)
「そうですか……じゃあ」
(ううっ……! ごめんなさい、スコット君! 僕はやっぱり前のドロシーみたいにはなれないよ……!!)
「……二人きりの時はドロシーさんと呼びます」
ここでスコットは言った。心の中で泣いているドロシーの瞳をジッと見つめながら、ハッキリとした声で。
「みんなの前では今まで通り『社長』と呼びますよ。その方がみんなも変に気を使わないだろうし」
「……そう、いいんじゃない? それで」
「その代わりドロシーさんもこれからは俺を『スコット君』と呼んでくださいね。昨日までの社長はスコッツ君とかスコッチ君とか呼んでましたけど」
スコットの言葉が今日のドロシーの傷ついた心を溶かした。