1
「スコット君、帰っちゃったね」
ドロシーは紅茶を飲みながら言う。
「……身体の調子が悪かったのかもしれないわね」
「うーん、アイツも無茶したからな。疲れが出たのかも知れねーな」
ルナとアルマは当たり障りない返答をした。
「うふふ、お嬢様の添い寝が相当効いたのかもしれませんわねー」
ここでマリアは案外的を得てそうな事を言う。
「お嬢様は天使のようにお美しいですからな。彼には少し毒だったのでしょう」
老執事も珍しくマリアの意見に同意し、彼女は小さく舌打ちした。
(……辛い)
……その場に残されたニックの居心地は最悪であった。
デイジーもスコットの後を追うように足早に帰宅し、ブリジットはアルバイトに向かった。
この家に残されたのはいつもの五人とヘルメット……しかしその空気は何処か重苦しく、とても和やかとは言い難い雰囲気であった。
「……んっ、ご馳走様」
ドロシーはティーカップを起いてソファーを立つ。
「あら、もういいの?」
「うん、ちょっと書斎に行ってくるよ。一人で読書したい気分だから邪魔しないでねー」
「後で紅茶をお持ちしますわね」
「いいよ、飲みたくなったらリビングに来るから」
ドロシーはそう言ってリビングを出ていく。
彼女らしからぬ急ぎ足で向かうのはこの家に幾つかある書斎の一つ。ドロシーだけが入れる特別な部屋だ。
「……」
『Only for Dorothy』と書かれたドアを開けてすぐに鍵を閉める。
大量の本が並べられた部屋の奥に一つだけ置かれた木のテーブル。その上に置かれている一冊の日記を手にとって彼女はしゃがみ込んだ。
「……わかってるよ」
ギュッと日記を抱きしめてドロシーは声を震わせる。
「……わかってるよ、僕じゃ駄目だってことくらい……わかってるよ」
そう言ってドロシーは小さく啜り泣く。
「僕は、昨日までのドロシーじゃないんだから……」
どうして泣いているのか、どうして胸が苦しいのかもわからないまま頬を涙で濡らす。
ドロシーは昨日の彼女の記憶の大部分を受け継いでいるが、その感情まで引き継がれている訳ではない。
昨日の彼女がスコットにどのような感情を抱いていたのか、どんな想いでインレと戦ったのかを知らないのだ。
それなのに今日のドロシーは涙を流した。
その理由がわからなくて、彼女は更に自分が嫌いになった。
「……僕が、昨日の僕のままだったら、あの人は帰らなかったのかな……」
目覚めたその日に自分が嫌いになってしまったドロシーは縋るような気持ちで日記を開く。
その日記に書かれているのは今までの彼女の思い出。
彼女達が次の自分に向けて残した贈り物。記憶だけでは伝わらない『感情』、『気持ち』、『夢』などを細かく綴った彼女達の形見……
「……」
今日のドロシーは涙に濡れた瞳を擦りながら、昨日までのドロシーのページを探し続けた。
◇◇◇◇
「……あー、平和だなぁ」
ジェイムスは自室で久々に与えられた休暇を満喫していた。
「うん、昨日は頑張ったからな。このくらいの平穏は許されていいよな」
インレ戦では仲間を連れて即撤退し、特に目立った活躍をしていなかったように見えた彼だが実は場面外で八面六臂の活躍をしていた。
『うわぁぁぁぁー! 瓦礫がぁぁぁー!!』
『俺に任せろぉぉー!』
『はっ! せ、先輩!?』
コルネリウスの宝杖は所有者を別の場所に瞬時に転移する特異能力を持つ。
杖先に設けられた宝石は現存している唯一の完成形転移石であり、どんなに離れた場所であろうともリンボ・シティ内であればノータイムで移動できる。
更に完成型転移石から生み出された転移石を発信機兼通信器代わりにして、その石を持つ人物の位置を知り、意思疎通をする事も可能。
『おらぁぁぁぁぁー!』
『た、助かりました! ありがとうございます!』
『気にすんな……はっ! 次はベンの所かよ! ちょっと行ってくる!!』
『アッハイ! 頑張ってください!!』
15番街区を出た職員が本部に戻らずにバラバラの位置に散ったのは、インレとドロシーの戦闘の余波で吹き飛んでくる大小様々な瓦礫が他の街区に被害を及ぼさないように魔法で撃ち落とす為だ。
もし他の職員に対処出来ないほどの瓦礫が飛んできた場合は彼が転移して処理……その繰り返しだ。
「……よくこんな仕事続けられるよな」
15番街区に隣接している街区の皆さんが平和な朝を迎えられたのは、そんな彼らの命を張った地道な働きのお陰なのである。
「まぁいい……今日は仕事の事なんて忘れてゆっくりしよ」
>ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ<
激戦の疲れを癒そうと自室に引き篭もるジェイムスの携帯から聞こえる無慈悲な着信バイブ音。
「……やめてくれよ」
本気で絶望しながら携帯を取り、ようやく訪れた平穏を邪魔する憎き怨敵を確認する。
「ん? スコットだって?」
彼に電話をかけてきたのはまさかのスコット。
連絡先を交換しながらも今まで一度も向こうからかけてこなかったスコットから電話が入り、少し嫌な予感を感じつつも素直に応じる。
「もしもし、ジェイムスだ」
『……どうも、俺です。スコットです』
「どうしたんだ、急に?」
『……今日、空いてますか? 少しジェイムスさんに聞きたいことがあるんです……』
「……電話越しでも大丈夫かな?」
『……出来れば直接会ってお話がしたいですね』
そしてすぐに彼は後悔した。
電話に出なければ良かったと……
chapter.11 「明けない夜なんてあるわけない」begins....
尊い涙はヒロインの特権。悲しむ君は美しい。




