30
「あわわわわ……っ!」
スコットは寝ぼけたドロシーに抱きつかれて慌てふためく。
服越しに伝わってくる彼女の温もり、柔らかさ、そして甘い吐息。
その全てがスコットには猛毒だった。
「社長ーっ! 社長ーッ! いい加減に起きてくださいー!!」
「ふやぁ……」
「あぅうううん!!」
力づくで押し退けたいが、そうすると彼女の全てが見えてしまうジレンマ。
頭では拒絶しつつも身体は動こうとしない矛盾。
スコットは悶絶するしかなかった。
(くそおおおお! 可愛いなぁ、くそぅ! 何でこんなに可愛いんだよ、社長のくせに!!)
スコットは真っ赤になった顔を押さえながらひたすら耐える。
リビングで待つファミリー達が助けに来るはずがないし、ここは悪魔の腕に縋りたいところだが……
(……何で出てこないんだよ、悪魔!)
何故か青い悪魔は全くの無反応だった。
「うぐぐっ、仕方ない……! 何とか退かして」
「んやぁー……」
「おああーっ!!」
ここでドロシーが一際強く抱きついてくる。
その生意気を通り越して悪意しか無い胸をむぎゅっと押し当てられてスコットは喘ぐ。
「このっ……社長! いい加減に起きてください!!」
「……むやっ」
スコットの切実な訴えが届いたのか、ドロシーはようやく目を開ける。
「……」
「起きましたか! 起きましたね!?」
「……おあよう」
「はい、おはようございます! ちょっと退いて貰っていいですかね!?」
「……んぁい」
寝ぼけ顔のドロシーが手を放した瞬間にスコットは超スピードでベッドから脱出。
息を切らせながら窓際まで避難してファイティングポーズを取った。
「ぜはー……ぜはー……」
「……んー……」
ドロシーは目をゴシゴシとこすりながらスコットの汗まみれで情けない顔を見つめる。
スコットは腕とシーツで辛うじて隠されているだけの胸と鼠径部に注意を向けぬように彼女の顔だけを血眼で凝視する。
「……」
「な、何ですか社長……! そんなにジロジロと見られても俺は」
「はじめまして、わたしはドロシー。あなたはだあれ?」
目覚めた彼女が発した言葉にスコットは血の気が引いた。
「……え?」
「はじめて、見る顔。だあれ? わたしはドロシー……」
「しゃ、社長……?」
「あなたの、おなまえは?」
スコットは彼女の様子がいつものドロシーと大きく違う事に気づく。
寝惚けているといえばそれまでだが言葉遣いがおかしい。
その表情もまるで子供のようにあどけなく、瞳の色も若干明るくなっている。
「お、俺のこと、忘れたんですか……?」
「んー……?」
彼女はふわぁと大きな欠伸をした後、ベッドの上を探る。
自分が裸であることなど全く気にしていないように暫くベッドを探し回り、ようやく眼鏡を見つけると……
「……あっ、おはようスコット君」
それをかけた瞬間に彼女はいつものドロシーに戻った。
「……」
「あれ、どうかしたの? 凄く面白い顔してるけどー」
「えーと……貴女は、社長ですよね?」
「どうしたの、スコット君。頭でも打ったの?」
トレードマークのアンテナをぴょこんと立てて首を傾げるドロシーにスコットはイラッとした。
「……何でもないです。忘れてください」
「それはそうとスコット君」
「……何ですか」
「どうして僕は裸なの?」
ドロシーは自分でベッドに潜り込んでおきながらそんなことを言う。
「はっ? 何言ってるんですか、社長?」
スコットは思わず聞き返した。
「僕、裸で寝た覚えが無いんだけど」
「むしろ俺が聞きたいくらいなんですけど!? 何で裸なんですか、社長!!」
「んー……」
何故に全裸なのか本当に覚えていない様子のドロシーは暫く思案した後でそっとシーツに包まり……
「……スコット君のエッチ」
『寝ている間にスコットが自分を裸にした』と邪推し、顔を赤くして彼を睨んだ。
「ちょっと待てよ!!」
流石のスコットも即刻物申す。
「勘違いしないでくださいね!? 俺は社長の服なんて脱がしてませんから!!」
「……誰もそこまで言ってないのに。やっぱりスコットくんが」
「ふざけんな! 誰が社長の裸なんて見ますか! 俺にも 見る裸を選ぶ権利 くらいあるんですよ!?」
「むむっ! 何よ、その言い方! まるで僕の裸が見たくないみたいじゃないの!!」
「み、見たくない……!」
ここでズバッと言える男らしさがあればまだ救いはあったかもしれない。
「……訳でもないですけど!!」
だがスコットには言えなかった。一瞬とは言えドロシーの裸に見惚れてしまったのは事実なのだから。
「ほらーっ!」
「ほらーじゃないですよぉぉ! と、とにかく俺は社長に何もしてませんから! これだけは本当ですから!!」
スコットは苦しい捨て台詞を吐いて寝室から逃げ出そうと扉に手をかける……
「あ、あれ!? ちょっ……」
扉はリビング側からロックされていた。
「このクソッタレ共がぁぁぁぁ────!!」
彼は思わず毒づく……少しでも彼らを良い人だと思い始めていた自分が愚かだった。
「うおおおー! 開けろぉぉぉぉー!!」
「あーあー、そんなに叩いてもそのドアは壊れないよ。寝室のドアは特別製だから」
ドロシーはベッドから降りてお洒落なクローゼットを開ける。
「こっちを向いちゃ駄目よ、スコット君。今から着替えるから」
「……ッ!」
「……見ちゃ駄目よ?」
「み、見ませんよ!!」
口ではそう言いながらもドロシーは満更でもない顔で適当に服を選んで身に着ける。
「……ところで社長」
「なぁに?」
「……もう俺を『スコット君』て呼ばないんじゃなかったんですか?」
「んー?」
「いや、別に忘れてたんならもういいですけど。俺もそう呼ばれたほうが」
「そんなこと言ったっけ?」
ワンピースの袖に手を通しながら彼女が口にした言葉にスコットは再び違和感を覚えた。
「……」
「はい、もうこっちを向いていいよ」
スコットは緊張で胸が張り詰めるのを感じながら、彼女の方に振り向く。
「どう? 似合ってる?」
彼の目に映るのは黒いワンピースに身を包んだ金髪の美少女……
「ッ!?」
「あれ、どうしたの?」
「……」
「何よー、何か言ってよ。似合ってるとか、似合ってないとかさ……」
スコットは動揺を隠せなかった。
(……彼女は……)
(……彼女は誰だ?)
照れくさそうな笑みを向ける天使のような美少女が、あのドロシー・バーキンスであると受け入れる事が出来なかったのだ。