8
《繰り返し、リンボ・シティの皆様にお報せ致します。リンボ・シティ15番街区上空に異常な反応を検知。天使門発生の前兆が確認されました……》
「逃げろぉぉぉー! 天使が来るぞぉぉぉー!!」
「ホワアアアアーッ!」
「クソがぁ! ハロウィン空けに天使が来るとか……今日は何て日だ!!」
「ママァァァー! 僕の車が無いよ、ママァァァーン! 盗まれちゃったよぉぉぉー!!」
繰り返される非常放送。15番街区から離れた位置にある13番街区に住む人々もざわめき立ち、街中は混乱に飲まれていた。
「……何なんだよ、一体……」
「空から天使が来るのよ」
「……天使って? まさかあの……」
「そう、あの天使よ」
メイスから借り受けたアルテミス・ファク=シミレに術包杖を装填しながらドロシーは言う。
「少なくとも僕たちはそう呼んでいるわ、他に呼びようが無いもの」
「それならどうして皆逃げ回っているんですか? 社長だってそんな杖を借りて……」
「スコット君は天使が何のために人の前に現れるか知ってる?」
ドロシーは続いて連結したエンフィールド・メルヴェイユに術包杖を装填しながらスコットに聞いた。
「え、それは……迎えに来る時に」
「そう、死んだ人間を迎えに来る時。そして……神に背いた人間を滅ぼす時」
「……!」
「まだ生きている僕たちの前に現れる理由は、つまり僕たちを滅ぼしに来たって事ね」
そう呟くドロシーの前に黒塗りの高級車が停車し、ひとりでに黒いドアを開く。
「お迎えに上がりました、お嬢様」
彼女達を迎えに来た老執事が笑顔で挨拶した。
「ま、待ってくださいよ! 滅ぼすって……本当に!? 本当に天使がこの街を滅ぼしに来るんですか!!?」
「そうだよ? よっぽどこの街と、この街に住む子たちが気に入らないんだろうね」
「いやいや! 冗談でしょ! 意味がわかりませんよ!? 大体、天使は神様の使いで……人間の味方として悪魔から助けてくれるんじゃ!!」
「……ふふ、面白いこと言うね。スコット君」
ドロシーは世間一般に浸透している天使像について語るスコットを鼻で笑う。
「天使は助けてくれないわ。迎えには来てくれるけどね」
「……」
「ある世界的ベストセラーの話なんだけどね。それによると悪魔は10人の人間を殺したけど……神と天使は3000万人の人間を殺したそうよ」
ドロシーは車の助手席に座る。ドアを閉める前、呆気に取られるスコットの顔を見つめながらこう言った。
「神様目線だと、それだけの人間が悪人判定なんだってさ。昔の基準でそれなんだから、今の基準じゃこの街なんて悪人の巣窟だよ。神様を信じない子しかいないし、神を殺した子だっているんだからね」
皮肉げに笑いながらドロシーはドアを閉める。
「スコット君、乗りなさい」
「……あ、ルナさん」
「残念だけど……もう貴方を逃してあげられないわ。あの時、貴方は自分で悪魔になる事を選んだんだから」
ルナは立ち尽くすスコットに手を差し伸べる。
「……貴方の力を貸して、スコット君。罪人が今日を生き残るために」
ルナの憂いを帯びた言葉を聞いた瞬間、スコットの腕は無意識の内に彼女の手を取った。
何故かはわからない。ドロシーの言葉の意味もわからないし、彼女の言う天使が彼の知る天使と同じである証拠もない。
第一、天使が人間を滅ぼしに来るという話自体がまるで理解不能だった。
(……そうだな。俺はもう立派な悪人だったよ)
だがこれだけは確信できた。
自分は絶対に神様に嫌われているだろう、絶対に天使は自分を許さないだろうと。
何故なら彼は、とっくに神を信じることをやめた罪人なのだから。
「期待だけはしないでくださいね! 俺の力が通じる保証なんて無いんですから!!」
「ふふふ、それは無理よ。貴方にはずっと期待しているもの」
スコットを乗せた車はアクセル全開で発進し、天使が降り立つ15番街区へと走り出した。
◇◇◇◇
天使門発生予測地点に指定された15番街区に異常管理局の大型ヘリが編隊を組んで向かっていた。
「ハロウィンの次の日に天使とは……何てタチの悪い冗談だ」
ジェイムスは黒い包帯で厳重に封印された長杖を手に青空を睨みながらボヤく。
「……先輩、その……本当にこれから天使と戦うんですか?」
「ああ、そうだ。お前は天使狩りに参加するのはこれが初めてだったな」
「……はい」
初めてこの大規模作戦に参加するロイドは極度の緊張状態にあった。
「天使だなんて呼ばれてるが実際はそんな神聖なものじゃない。ただの翼が生えた化け物だ」
「……」
「よく狙って魔法を撃てば殺せる。お前には特別な魔法の才能があるんだ、自信と誇りを持って戦え」
ジェイムスはロイドの肩をポンと叩き、彼の緊張を解そうと不器用な励ましの言葉を送る。
「ただし……くれぐれも戦う相手を間違えるなよ? 俺たちの相手は下っ端であって親玉じゃない。それだけは決して忘れるな」
ロイドに一番大切な事を伝えてジェイムスは壁にもたれ掛かる。
「……それにしても毎回息子にこんなもん待たせるなよ、頑固親父め。俺にはまだ使いこなせないって言ってるだろうが」
家宝である【コルネリウスの法杖】の拘束を解き、自分には不釣り合いな重要器物を押し付ける父親に愚痴を漏らす。
「そ、それが……」
「偉大なご先祖様の遺品だ。ちなみにもしこれを紛失すると俺は死ぬ」
「ええっ!?」
「親父に殺されるし、大賢者様にもう一回殺される。ついでに一族の汚点として未来永劫語り継がれる」
「そ、そこまで!?」
「言い過ぎです、ジェイムスさん!」
「実際に杖にちょっと傷をつけただけで親父は爺様に殺されかけたらしい。つまり俺も死ぬ」
「ひ、ヒデェ……」
作戦が始まる前からジェイムスの気分はドンドン消沈していく。
しかし今回はこの杖が無ければ話にならない。彼の戦いはこの杖を受け取った時から既に始まっているのだ……
「はっはっ、いっそのこと……ドロシーの誕生日にプレゼントしてやれば良かったなぁ」
ジェイムスはそう言って乾いた笑みを浮かべながら、薄っすらと明るくなってきた空に目をやった。
DAN DAN 心折れていく みんなの重たい期待に