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「ふふふ、気分はどう?」
「……珍しく、悪くない気分です」
アーサーが運転する黒塗りの高級車。その後部座席でドロシーの隣に座るスコットはスッキリした表情で言う。
「でも、何か……何か、変な気分です……」
ルナの異能力によってPTSDから回復し、トラウマの根源である泡泡ファミリー体験の記憶も改竄された彼は何故か落ち着かない胸中を不思議に思っていた。
昨日はいつもどおりの日常だった筈なのに、どうして社長を見るとドキドキするのかと。
「ひょっとしてエッチな夢でも見たんじゃないの?」
「えっ!?」
「例えば僕がちょっと大胆な格好をしてスコット君に悪戯をしちゃう夢とかー」
「ちょっと、ふざけないでくださいよ! そんな夢見るわけ無いでしょ!?」
「……ふっ」
運転する老執事は込み上がってくる笑いを堪えるのに必死だった。
「まぁまぁ、これから美味しい料理を食べに行くんだからそんな顔しないで?」
「……社長もよくあの店に行けますね。毎回タクロウさんに酷い目に遭わされてるのに」
「あれくらいはもう慣れっこよー」
ふふんと笑って何処か自慢気に言うドロシーにスコットは何とも言えない気分にさせられた。
「……慣れてどうするんですか」
「タクロー君とは付き合いが長いからね」
「そんなに付き合いが長いならあの人を怒らせないように少しは努力しましょうよ。毎回、あんなの見せられるのは堪えますよ……」
「ふふ、そうだね」
するとドロシーはスコットの肩に凭れ掛かり、ニコッと笑いながら彼を見上げた。
「な、何ですか?」
「でもね、スコット君。変えようと思っても変えられないものはあるんだよ。例えば僕の性格とか考え方とか色々ね」
「そ、そこを何とか……」
「じゃあスコット君は変えられるの?」
「えっ」
「君は今までの自分の行動をすぐに改めて、すぐにその考え方を変えられるの?」
ドロシーはスコットの頬を指でぷにぷにとつつきながら言う。
「……それは、その」
「そういうものだよ。僕だってそうだもの」
「で、でも相手が嫌がってるのが解るなら改めるべきだと思います」
「あれは嫌がってないよ。僕が来てくれて喜んでるのよ」
あれだけ殺気全開で怒鳴られ、掴みかかられ、ナイフや包丁を投げつけられてもそんな台詞を宣うドロシーにスコットは今日もドン引きした。
(……やっぱりこの人はどこかおかしいんだなぁ)
「……それにね、そのままでいたいって思うところもあるのよ」
「え?」
「これだけは変えたくないもの、忘れたくないものとかね」
ドロシーはスコットに顔を見せないように俯きながら呟く。
「社長?」
「スコット君にもあるでしょ?」
「……まぁ、そうですね」
「だからこうも考えられない? いつまで経っても変われないところっていうのは……変わりたくないと思うからそのままなんだって」
「……」
「君にもそういうところ、あるでしょ……?」
ここでスコットはドロシーの様子が大きく変わった事に気付く。
「……どうかしたんですか?」
「別に? 何でもないよ」
「いえ、何か今日の社長は……」
「何処か変だと思う?」
ドロシーは顔を上げていつもの子供のような笑顔を見せる。
「……あ」
「ふふーん、この顔を見てもそう思う? 僕は変じゃないよ」
「……」
「僕はいつもどおりのドロシーよ。スコット・オーランド君?」
ドロシーはふふふんと笑いながらスコットから離れる。
アンテナはピコピコと揺れ動き、上機嫌に足を揺らすその姿はまさにいつもの社長だった……
「そう、ですかね……」
だが、スコットには薄々わかっていた。彼女の様子がいつもと違う事に。
「はーい、たっくーん! おはよー!」
ビッグバードに到着したドロシーはいつものように笑顔でドアを開く。
スコォォォーン!
そしていつものように飛んできたナイフが顔の数ミリ隣に刺さり……
「だぁぁぁれがたっくんだ、性悪魔女がオァアアーッ! ぶっ、ぶっ、ぶっ殺されてぇんか! オアアアーッ!?」
いつものように怒り狂ったゴリラが厨房から飛び出してきた。
「きゃあー、怖いよー!」
「何が怖いじゃこらぁー! その態とらしい声とビビリ顔をやめろぉん! その顔見るだけで俺は……」
「やめてー! 掴まないでー! 揺すらないでー! スコット君がすぐ後ろで……」
ドロシーに掴みかかろうとしたタクロウは何故か動きを止め、暫く彼女の顔を見つめていた。
「ちょっと社長ー! だからもう少し……えっ?」
「ま、待って! タクロウさん! ドロシーさんが……あら?」
慌ててタクロウを止めようとしたアトリだが、いつもと違ってドロシーに襲いかからない夫を不思議に思った。
「あれ? どうしたの、タクロー君?」
「……ドロシー、お前……」
「え、やだ、急に名前で呼ばないで? 気持ち悪い」
「……いや、何でもない」
無言で突っ立っていたタクロウは彼女の頭の上にポンと右手を置く。
「気持ち悪いとは何だテメー、あぁん!? 気持ち悪いのはオメーだよオメー!!」
「ふぎゃああーっ! ちょっ、待って! 痛い痛いー!!」
そして頭に置いた手に少し力を込めてぎゅーっと掴んだ。
「ああーっ! タクロウさーん! やめてーっ!!」
「しゃ、社長! 社長ーっ!!」
「んぎゃーっ!!」
「いい加減に学習しろコラァ! 俺はオメーが大嫌いなんだよぉ! 特にそういうところがなァァァー!!」
そしていつものようにドロシーを怒鳴りつける。
だが、そんなタクロウにもわかっていた。
今日のドロシーは何処か様子がおかしいと……
chapter.10 「夢では全てがうまくいく」 begins....




