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午後6時、異常管理局セフィロト総本部 賢者室。
「……E型ハロウィン感染者が活性化する時刻になりました」
時計を見ながらサチコは重苦しい表情で言った。
「4番街区から8番街区までの交通は完全に麻痺。10番街区にも若干数ですがE型感染者が出てしまっています……」
「……今年も長い夜が来てしまったわね」
大賢者は沈痛な面持ちで手を組む。
「ステルスコート着用の調査班によると露店に脅威度Bクラス相当の異世界器具が幾つも並べられていたそうです。他にもパーティーグッズとして擬似的にG型感染者の気分を体験できる非合法キャンディ、J型感染者の凶暴性を助長する非合法カップルグッズ、ハロウィン終了後も持続する依存性の高いハロウィン薬……」
「……回収、確保は出来そうかしら?」
「正直、絶望的です」
大賢者は頭を抱える。ハロウィンに飲まれて浮かれている彼らは危機管理能力及び道徳的観念が著しく低下している。
本来ならば人前には出さないであろう高級品や宝物に異世界の叡智の結晶等を躊躇なく露店に並べ、破格の値段で売り出してしまう程だ。
「……大型記憶処理装置ムネモシュネの出力を最大にしておいて。発動時刻は明日の朝4時よ」
「わかっています」
「……職員にハロウィン病感染者は出ていないわね?」
「総本部内では確認されていません。事前に投与しておいた対ハロウィン抗体が効いているようです」
この建物内でハロウィン病が発生すれば一大事だ。
今のところは一度も確認されていないが、もし異常管理局内部でハロウィン病が流行すればリンボ・シティは崩壊する。
「……ですが、やはり抗体はハロウィン病にかかった事の無い者しか十分な効果を発揮しません」
「……」
「大賢者、大丈夫か?」
悶々とする大賢者に心配したデモスが声をかける。
「……ええ、大丈夫よ」
「とてもそうは見えないが」
「どうやらこの街で流行している病気に困っているようだな」
「よし、ここは私達が何とかしよう」
「その病気について詳しく教えてくれ。私達が特効薬を発明する」
ここでヤリヤモ達が立ち上がり、触覚をピンと立てながら大賢者達を悩ませるハロウィン病の特効薬を生み出すと言い出した。
「いえ、貴女達にも作れないと思うわ」
「そう言わずに私達に任せてみろ」
「すぐに特効薬を作り出してみせよう」
「まずはその病気を引き起こす病原体のサンプルを用意してくれ」
「……それが出来ないのよ。あの病気はね、ウイルスや細菌の類が引き起こすものでは無いの」
「それはどういう事だ?」
「あの病気はね……」
大賢者はハロウィン病について打ち明ける前にサチコと目を合わす。
「……あれはこの時期にだけ現れるハロウィンの妖精が皆に悪さをしているのよ」
サチコと数秒間アイコンタクトを交わした後、大賢者はデモス達にそう教えた。
「ハロウィンの妖精……?」
「この街は特殊な条件が混ざり合って存在しているの。それは私達にも上手く説明出来ないくらいに常識を超えた奇跡的なバランスで成り立っていて、一年に何度かそのバランスが崩れてしまう時期があるのよ」
「……ふむ??」
「ハロウィンの妖精はそんな時に現れる意識外の存在……私達の理解の範疇を越えたナニカよ」
ヤリヤモは興味津々で大賢者の話に耳を傾ける。
サチコはそっと彼女達に背を向けて壁に飾られた美しい絵画に意識を集中した。
「そのナニカがどうしてそんな事をするのかはわからないの。ごめんなさいね、私達は全知全能じゃないから。私達が知っているのはそのナニカはハロウィンにだけ現れて住民達を惑わせるという事だけで、ハロウィン病とは惑わされた人達の症状がタチの悪い病気にしか見えないからそう呼ばれているだけなの」
「な、なるほど……」
「難しいな!」
「姿は見えないのか?」
「残念だけど、私達には見えないわ」
「み、見てみたいな……」
「何とかして見る方法はないのか?」
「姿を見ても良いことは無いと思うわよ? こんな迷惑な悪戯をする存在なんだから……」
大賢者は空になったティーカップを持って席を離れる。
「サチコ、紅茶のおかわりをお願い」
「はい、大賢者様……」
そしてハロウィンの妖精の話題で盛り上がるヤリヤモ達に聞かれないように小声で話す。
「……くれぐれも悟られないようにね」
「……わかっています。しかし、あんな嘘で騙せるでしょうか……?」
「騙せなかったら覚悟を決めるしか無いわね。ハロウィン病は昔からこの日だけに起きる原因不明の精神災害……何が切っ掛けで起きるのか未だに解明出来ないもの。私達に出来るのはとにかくハロウィンに飲み込まれないように心掛ける事だけよ」
リンボ・シティを混沌に陥れるハロウィン病。実はそれが引き起こされる直接的な原因は現在に至るまで不明。
昔から……それこそリンボ・シティが向こう側に存在した時からこの時期限定で起きる謎の病気。
「……一応、資料室にある妖精図鑑を持ってきて。場合によってはハロウィンの妖精の項目を捏造させなさい」
「……わかりました」
向こう側に存在した知覚外の超存在による影響というのも一説にはあるが、それを確かめる術もなければ止める方法もない。
近年ではE型とG型はそもそも全く別の病気という説も浮上しており、その対策に追われる異常管理局の心労は増えるばかり……
「ダイケンジャー、ちょっと来てー!」
「何かしら?」
「私達が独自にハロウィンの妖精について持論を纏めてみた。是非聞いて欲しい」
「……そうなの。少し聞かせて貰おうかしら」
「聞いてくれ。君たちに知覚出来ないという事は恐らくハロウィンの妖精とは大賢者達よりも高純度なアストラル体であると思われる。あまりにも君達が宿すアストラルとの純度が違いすぎて、接近しただけで影響が出るのだろう。個々の症状に違いが出るのは」
「待て、同志。ここからは私が説明しよう。この机に描いた図にあるようにハロウィンの妖精は高純度アストラル体であり、恐らくペルセプシオやルコネシェンツァという表層的理解から逸脱した」
「……あら、すごく上手ね。誰が描いたの?」
「私だ!」
いっそのこと全てを諦めて素直にハロウィンを楽しんだ方がマシと言えるほど、総本部の職員を追い詰めるのが今日という一日なのだ。