12
ボギュン、ゴギュッ……
グェップ。
暗闇から聞こえてくる豪快なゲップ音。闇の中からトカゲのような白い仮面が再び浮かび上がり『くすくす』とアトリに笑いかける。
「た、助けてくれてありがとう……ございます」
『くすくすくすっ』
「まだ、食べられますか? 【路地裏さん】……化け物は、もう一匹いるの……」
『くすくすくすっ』
「もう一匹も連れてきますから……どうか、やっつけてください!」
アトリは白い仮面に頭を下げて狭い道を抜けていく。
『くすくすくすっ……』
路地裏さんとは彼女が勝手に付けた名前で、13番街区の住民達からは路地裏の堕し児と呼ばれている。
この路地の闇に巣食う正体不明の存在でその全身像は誰も知らない。
トカゲの頭蓋骨に似た白い仮面に無数の黒い触手を持ち、子供のような笑い声を上げる不気味な怪物。
この路地に迷い込んだ者を触手で捕まえて捕食する恐ろしい怪物なのだがこの周辺から動こうとせず、日の当たる場所には決して出ようとしない。
そのことから【要警戒不確定異世界種】として警戒されてはいるものの異常管理局には殆ど放置されている。
……捕獲、無力化しようとする度に犠牲者が増えてしまうからだ。
「ハァ、ハァ……ッ! もう一匹はどこ……」
〈ヴァオルルッ!〉
「あうっ!!」
アトリは残る一匹も路地裏さんに何とかしてもらおうと路地を抜けたが、頭上から伸びてきた長い腕が彼女を捕まえた。
「ああっ……!」
〈ルルルルルルッ!〉
魔猿は軽々とアトリを路地を挟む建物の屋根に放り投げる。
彼女を追いかけて狭い道に入り込んだ一匹とは別に建物の上から彼女を追い、二匹で挟み撃ちにするつもりだったのだろう。
「きゃうぅっ!!」
〈ヴァオッ、ヴァヴォヴォヴォヴォッ!!〉
その結果、この一匹は路地裏さんに襲われずに済んだ。
だが彼は同族を殺されて怒り心頭であり、更に得体の知れない怪物を見た事で極度の興奮状態に陥っていた。
血走った瞳はアトリのみを映し『絶対に喰ってやる』というドス黒い執着を彼女に叩きつける。
「……ごめんなさい。怒りますよね……仲間が食べられちゃったんですからね」
〈ヴルルルルルルンッ!〉
「許してくれないですよね……でも、でも……っ!」
アトリは震えながら立ち上がり、涙が滲む瞳で怪物を睨み返しながら啖呵を切った。
「私について来た、貴方達が悪いんだから……私を食べようとした貴方達が悪いんだから!!」
場所は建物の上。隣の屋根に飛び移るには距離が離れすぎている。
もう怪我を覚悟で屋根から飛び降りるしか無い。
〈ルアアアアアアアアアアッ!!〉
「……っ!」
魔猿は叫びながらアトリに向かってくる。
その叫び声が震えていた彼女の足を無理矢理動かした。
「あぁぁぁぁっ!」
〈ヴルルルルルルルルルッ!!〉
アトリは建物の端まで走り、そのまま屋根から飛び降りる。
魔猿の長い腕は彼女のすぐ後ろまで迫っていたが、掴めたのはニコルの形見の黒い帽子だけだった。
「はううううっ!」
「うおおっ! 何だぁあー!?」
「グワーッ!」
飛び降りた先にJ型ハロウィン病人の装甲トラックが運良く通りかかり、何も知らないガトリング係の背中に彼女のお尻が落下した。
「はぅああっ! ご、ごめんなさい……! 大丈夫ですかっ!?」
「な、何だお前! お前もハロウィンの」
〈ヴォアアアアアアアアアアッ!!〉
「ホァアアアアッ!?」
アトリを追う魔猿がすぐ後ろに着地、ガスマスク達は突然現れた怪物に驚いて尻もちをついた。
「は、早く車を出して! 出してください!!」
「はっ! おい、何してる! 車を走らせろ! 後ろに化け物がいる!!」
「うおおおおーっ!」
〈ルオオオオオオオオオーッ!!〉
運転係のガスマスクがアクセルを力一杯踏みしめる。
トラックはスピードを上げて迫る怪物の爪先から間一髪で逃れた。
「はわわわっ……ありがとう! ありがとう! 助けてくれてありがとう……!!」
「ふわああああっ!」
「お、おい! 離れろ、コラ! ハロウィンの手先」
「貴方もありがとう、ありがとうーっ!」
「はふぅぅぅん!!」
アトリは命の恩人であるガスマスク達に感謝の抱擁。
アトリの美しい感謝の涙と温かく柔らかい極上のハグが、ハロウィンを楽しめない彼らの寂しい心を溶かした。
「はっ! お、俺は一体……ああっ! アトリちゃん!?」
「ふわぁぁっ! アトリちゃんだぁ! ふわぁぁぁぁーっ!!」
「えっ、あっ……ごめんなさい! 急に抱きついて……」
「いいよいいよ! むしろ、ええと……ありがとうございます!!」
正気に戻ったガスマスクの一人がマスクを取り、大きな単眼が特徴的な素顔を見せる。
「あっ、貴方は確か……ええとっ」
「え、覚えてくれてないの!? ほら、13番街区の酒場で働いてる……」
〈ヴァオオオオオオッ!!〉
「うおおおい! あの化け物が追いかけてくるぞぉっ!!」
「はあっ!?」
決してアトリを逃すまいと魔猿は装甲トラックを追いかける。
無駄に装甲を積んだ為にスピードが犠牲になっており、一度は離された魔猿はトラックのすぐ後ろまで追いついてきた。
〈ヴォオオオオオオッ!〉
「あの野郎、まさかアトリちゃんを狙って……!?」
「ふざけやがってぇ……!」
「ご、ごめんなさい……! 私が」
「君が謝る必要は無い!!」
名前を言いそびれた単眼の男は再びマスクを装着し、トラックの荷台に詰んだガトリング砲を魔猿に向ける。
〈ヴォヴォヴォヴォルルルルルゥッ!!〉
「こんな化け物にアトリちゃんは渡さん! 喰らえ、化け物ォォォー!!」
トリガー付近にあったレバーの位置を【threat】から【annihilation】に変え、ガスマスクの人はトリガーを引く。
────ギュボボボボボボボボボボンッ
ガトリングから凄まじい勢いで連射されるお菓子袋。
砲身から飛び出た瞬間に袋は破れ、中のワクチン入りお菓子が拡散弾のように魔猿に襲いかかる。
〈ギャアアアアアアアアアッ!!〉
「うおおおおおおおおおお! これがお菓子の力だぁぁぁぁぁぁぁぁー!!」
〈ヴルルルルッルルアァァァァアッ!!〉
「腹一杯食らってくたばれ! ボケがぁぁぁぁぁぁー!!」
「あわわわっ……凄い……!」
「伊達に毎年ハロウィンの手下どもを相手にしてないぜ! ハロウィンは本当に地獄だからよ、フゥハハハァーハァー!!」
数多のハロウィン病人、そしてハロウィンを可愛い彼女とエンジョイするハロウィン満喫者を葬ってきた自慢のお菓子ガトリングを放ちながら単眼の男は力強くサムズ・アップした。