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「ここに来た時から気になっていたのだが、遠くにうっすら見えるあの巨大な壁は何なんだ?」
ドロシーの膝上で撫でられながらニックは言う。
「あれは天獄の壁よ。この街と外の世界の境界線、あの壁の外は別世界だと思ってくれていいよ」
「ふむ、どんな所なんだ?」
「ここよりも酷いところよ」
屈託のない笑顔でドロシーは答えた。
「外は人間の為の世界、それ以外の異人は人として認められないの。見た目が同じでも少し不思議な力があるだけで化け物扱いよ」
「……そうなのか」
「ねぇ、外の世界は酷いところだよねー? スコット君」
「えっ! あっ、ふぁい!!」
急にドロシーに話を振られてスコットは焦り、若干上ずった声で答えた。
「まぁ……真っ当な人間様には住みやすいんじゃないですかね。俺に居場所はありませんでしたが」
「大変なんだな、この世界の人間も……」
「正直、リンボシティの事を悪く言えないくらいには外の世界も酷いですよ……」
「そうそう……あの壁についてもう一つ面白い事を教えてあげようか」
「?」
「実はね、あの壁の中と外では本当に世界が違うのよ」
ドロシーは壁の外について憂うニック達に言った。
「え?」
「いや、知ってますよ。まるで別世界で」
「そう、文字通り別世界なの。あの壁の内側はね、君の生まれた世界の地球とは別の地球と繋がっちゃってるのよ」
「は!?」
「リンボ・シティは壁の外側とは別の世界の一部分だけがニョキッと顔を出してる状態になってるんだよね」
「マジですか!!?」
ドロシーがサラリと言ったトンデモ発言にスコットは驚愕する。
「それは……凄いな」
「これは管理局でも一部の職員しか知らないこの世界の最重要機密よ」
「いやいやいや、そんな秘密を黙ってていいんですか!?」
「正直に話した所で面倒な事にしかならないし、異常管理局にもどうにも出来ない事だからねー」
巨大な壁を見つめながらドロシーは更に話を続ける。
「あの天獄の壁がどうやって作られたのかもわかっていないの……この街の出現と同時に発生した材質不明の異常物体よ。少なくとも異常管理局は一切関与していないらしいわ」
「……」
「そして、このリンボ・シティだけがこちら側と繋がってしまった理由も不明なの。100年前に発生した街一つ飲み込む大きさの超巨大異界門が原因の大規模な空間歪曲が原因……というのが大まかな推測だけどね」
「……何ていうか、その、凄いとしか」
「ね、凄いでしょ? この街は魔法でも説明できない不思議な力で生まれたの。もう神様の悪戯としか言いようがないよねー」
想像以上に馬鹿げていたこの街の秘密にスコットは唖然とした。
「まぁ、僕たちの理解も追いつかないような超常的な存在も居るっていうだけの話だよ。あんまり深く考えないで気楽に行きましょう」
「……そういう、もんですかね」
「そういうものよ。この街の秘密を知った所で、僕たちには今日のトラブルと悩み事を解決する力しかないからね」
ドロシーはふふふと笑って言う。
圧倒的な力を持ちながらもその力を驕らず、街のトラブル解決と住民のお悩み相談にしか使えないと断じる彼女にスコットも『ははは』と力なく笑うしか無かった。
「お嬢様、そろそろ接続点を通過致します」
「今日はハロウィンだからお嬢様で許してあげるわ。明日からは社長と呼んでね」
「ありがとうございます、お嬢様」
4番街区にあるお洒落なカフェテリアを車が横切ると、気がつけば静かな森の中に転移していた。
「はい、到着ー」
「ああ、やっと着きましたね……」
「ふふふ、お疲れ様。紅茶を飲んでゆっくりしましょう」
車を降りたドロシーがドアを開けると妙にハイテンションなマリアが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。ハッピーハロウィン!」
いつもとは違い露出多めなメイド服。
豊かなバストを強調するように大きく開いた胸元に魔女のローブを思わせる特徴的なデザインのエプロンにコウモリを模ったカチューシャ。
「よく似合ってるよ、マリア」
「うふふ、光栄です。お嬢様!」
ハロウィン仕様になったマリアにスコットは思わず顔を引きつらせ、老執事も死人のような目で彼女を見つめていた。
「……ひょっとしてマリアさんは」
「死人は病気になりませんのでご安心ください。あれは唯の嫌がらせです」
「あらあら、スコット様にアーサー君! 二人共とってもお似合いですわ!!」
「……アリガトウゴザイマス」
「さぁ、皆様。外は寒いでしょう? 温かい紅茶は如何? すぐに淹れて差し上げますわよ?」
豊満なバストをわざとらしく揺らし、いつもの彼女からは想像もできないような明るい笑顔でお茶に誘うメイドにスコットは鳥肌が立った。
「……すみません、ちょっと外の空気を」
「さぁ、家に上がりましょう? マリアが紅茶を美味しい淹れてくれるわ」
だが逃げようとした彼の腕をルナは抱き寄せる。逃げ場など無かった。
「さぁ、いらっしゃい。今日は特別な日ですから、お茶もお菓子も特別なものをご用意しますわ!」
「わぁい、楽しみー!」
「うふふふっ! その前にお手を洗いましょうねー!!」
「わかってるー!」
「……」
ドロシーはテンション高めのマリアに手を引かれ、沈黙するニックと共に洗面所へと向かっていった。
「……本当にあの人はハロウィン病にかかってないんですか?」
「ええ、かかっていません。アレが素の彼女です」
「は?」
「寒気がするでしょう? 病気にはかかりませんが、毎年この日になるといつもの腹黒さは鳴りを潜めて生前の明るい性格が表面に出てくるのだそうです。これもハロウィンの魔力でしょうかね」
「……つまり?」
「人間だった頃の彼女はいつもあの調子でございました」
ここで知りたくもなかったマリアの素顔まで聞かされてスコットは困惑する。
「……ところで何でそんなことまで知ってるんですか?」
「……彼女とは、長い付き合いになりますので」
「スコット君、早く上がりなさい。温かい紅茶と美味しいお菓子が待ってるわ」
そう言って目を曇らせる老執事を切なげな顔で見つめ、スコットはルナに腕を引かれていった。
ちゃっかり明かされる凄い秘密。どうにも出来ない秘密は軽いノリで話すくらいが丁度いいと思うのです。『仕方ないね』と諦めがつきますからね。