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「そうそう、スコッツ君。明日は病気にかからないように気をつけてね」
日付は10月30日、スコットの退社前に紫色の紅茶を飲みながらドロシーは言う。
「え、病気ですか?」
「明日は10月31日でしょ? その時期になるとこの街には質の悪い病気が流行るのよ」
「へぇ……どんな病気なんですか?」
「ハロウィン病」
ドロシーは真面目な顔でそう言った。
「あー、ハイハイ。わかりました、気をつけますー」
スコットは彼女の忠告を軽く受け流してリビングを出ていった。
「本当に気をつけてねー!」
「はーい、気をつけまーす……」
確かにハロウィンと言えば外の世界でも大いに盛り上がる祭事の一つだ。
毎年10月31日に行われ、かぼちゃをくり抜いて作ったジャック・オー・ランタンの置物を飾ったり子供やお化けや魔女の仮装をして家々に『トリック・オア・トリート』と可愛く挨拶して回る微笑ましいお祭り……
「うん、確かにタチが悪い病気だな」
本来は悪霊等を追い払い、秋のありがたい収穫を祝うケルト人の宗教的な意味合いの強い行事であったが今ではそういう面は薄れに薄れ、子供だけでなく大人も仮装して騒ぎ回るサツバツとしたイベントへと成り果てていた。
「俺はもうそんなので楽しめる心は失いましたよ社長……」
スコットは故郷のハロウィン風景を思い出しながら玄関のドアノブに手をかける。
「今日もお疲れさまでしたわ、スコット君」
マリアが帰宅しようとするスコットに優しく声をかけた。
「……ああ、お疲れさまです」
「それではまた明日。お待ちしておりますわね」
「また明日」
マリアと顔を合わせずにスコットはドアを開ける。
ドアの先は13番街区の自室へと繋がっており、交通費や遅刻の心配は既に失くなっている。
その代償に社長の寝起きドッキリを受ける羽目になったが……
「……社長が俺の部屋に来ないように呼び止めてくださいね? 頼みますよ、マジで」
「うふふ、私は毎日呼び止めているのですけど」
「呼び止めてないでしょ」
「止めてますわ。可愛いお嬢様がこわーい男の子のお部屋に向かうんですもの、心配しない筈がございません」
そう言って笑うマリアに不快感を覚えながらスコットはドアを開けて自室に戻る。
「ああ、そうそう。スコット君?」
「……」
「あの子たちが寂しがってますわよ? たまには会いに行ってあげなさい」
「……ッ!!」
スコットは勢いよくバタンとドアを閉める。
マリアの言葉で胸に刺すような痛みが走り、激しくなる鼓動を押さえながらスコットは息を荒げる。
「はぁ……はぁ……くそっ!」
あの事件以降、スコットはマリアに強い嫌悪感を抱くようになっていた。
「ふざけんな、ふざけんなよ……! 何なんだアイツは!!」
マリアには悪気がない。いや、悪気が無いのが問題なのだ。
あれだけの事をしておいて何も悪怯れる様子を見せない。
それどころか『感謝してね?』とでも言いたげなあの態度。彼が嫌いになるのも無理のない話だった。
「畜生……!」
だが、彼女を嫌いになればなるほどその顔には笑みが刻まれる。
「ああもう、気分が悪い! 最悪だ! 今日はもうさっさと寝てやる!!」
それがまた不快で仕方がなかった。
彼女と顔を合わせればきっと笑ってしまう。しかしその笑顔は親愛の証などでは決して無い。
それとは真逆。あの怪物を粉砕した時のように、あの少女を追い詰めその手にかけた時のように、相手を殺すと決めた時に見せる悪魔の表情。
「今日はベッドじゃなくてソファーで寝てやる! それなら社長も潜り込めないだろ!!」
そして、その暗い快感を味わいたいと思う悪魔の本性の表れなのだ。
『……くく』
『……くくく……』
気がつけば聞こえてくる誰かの笑い声。
「……何だ?」
『くくくくっ……』
「誰だ、お前……?」
いつの間にか眠っていたのか、スコットの目の前は暗闇に包まれていた。
見えるのは闇、聞こえてくるものは笑い声、感じるのは自分を抱き込む闇の不愉快な暖かさだけ。
『正直になれよ……』
「お前は……」
『あの女は、お前に殺されたがってるんだよ』
「……何を言ってる?」
『あの女はお前を気に入っている。お前なら、殺してくれるかもってさ……』
「……」
『それじゃあ、ご期待に添えてやろうじゃないか。女の誘いを断るのは……男として失格だぞ?』
「お前は……!」
段々と大きくなる誰かの声。
気がつけば闇しか映らなかった視界にボンヤリと青い炎の人型が浮かび、口を裂かせてケタケタと笑いながら此方を覗き込んでいた。
『なぁ、ブラザー? 我慢は良くないぜ? 殺したいなら……』
「やめろ! 俺はそんな事、思ってない! 俺は誰も殺したくなんか……!!」
『いいや、お前は殺したいだろ? 特に、自分から死にたがるようなイイ女は……』
「やめろ、やめろ、やめろ! 黙れ! 聞きたくない! お前の言葉なんか、聞きたくない!!」
『くく、くくくっ……』
青い悪魔はスコットの顔をガシッと掴み、煽り立てるように笑って言う。
『正直になれよ、ブラザー……くかかかかっ!』
「────ッ!!」
スコットは声にならない絶叫を上げながら目を覚ます。
「……くそっ!」
最悪な目覚めに頭を抱える。既に朝日は昇り、部屋を包んでいた夜の暗がりは晴れていた。
「……ああ、畜生。早く何とかしなきゃ」
「……んぎゅっ」
「……」
「……ぎゅぅ」
不意に身体に感じた柔らかい感触。そして愛らしくも珍妙な寝言。
「……ははっ、何でだよ」
態々狭いソファーで眠る自分の毛布に潜り込み、幸せそうな寝息を立てるドロシーにスコットは乾いた笑いを上げた。
「勘弁してくださいよ、社長。せめて寝るならベッドで……」
「……んむぅ」
「……あー、くそ! まだ眠い! 二度寝だ、二度寝ェ!!」
眠るドロシーの頭をそっと撫でた後、スコットは再び眠りに就いた。
自分を包むありがた迷惑な彼女の温もりに少しだけ感謝しながら。
chapter.9 「悪戯か、イタズラか?」 begins....