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実は紅茶を飲んで喉を火傷したショックでこの話が思い浮かびました。
「それはお気の毒に。では私が良い夢を見るコツをお教え致しましょう」
老執事は笑顔でスコットにそう言ってブレーキを踏んだ。目の前の信号は青だ。
「うおおっと! ちょ、ちょっと執事さん!? 青ですよ!?」
「良い夢を見る一番の方法は、今まで自分がせっせと培ってきた常識を全否定するような光景を目にすることです。これが実に良く効くのですよ、不眠やストレスの解消にもなります」
「はぁっ!? な、何を」
「例えば、アレのような」
彼が指差す先、青信号の先に浮かぶ謎の超巨大飛行物体。
「……は?」
全長数百mはあろうかという特大サイズの空飛ぶ円盤を見てスコットは目を疑った。
「わぁーっ、何あれぇ! すご~い!!」
「な、何だアレは!?」
「はわわわわわっ!?」
「マジで!? ちょっ、マジ!? あんなのが空浮いちゃうの!!?」
「ねぇ、見てる!? スコッツ君見てる!? 凄いよ、アレ! あはは、UFOだよ! UFOー!!」
ドロシーは窓に張り付いて子供のように目を輝かせながら燥ぐ。
アリシャとバケットはパニック状態、当然、あんなものの存在など知らないニックも目を見開いて仰天している。
「ど、どうするんですか! あんなの!?」
「はっはっは、あれ程まで大きなUFOを見るのは初めてですな。今日は記念日にできそうです」
「ひょっとしてあのUFOが13番街区のトラブルに関係してるのかな? 流石にないかなー」
ヴ……ヴ、ヴヴゥゥゥゥゥン……
街全体を揺らすような重低音が空から鳴り響く。
13番街区は更なるパニックに陥り、ドロシー達が悲鳴を上げて逃げ惑う。
一人のドロシーが真上を飛ぶUFOを絶望の表情で見上げ、人生の終わりを実感していた時……
『……ザ、ザザ……この、星……、ザ……』
『……この星に住む者達に、告ぐ』
空からノイズ混じりの少女のような声が響いてきた。
「あ、何か聞こえてきましたよ!」
「わー、本当だ。何処からだろう?」
「恐らくはあのUFOからでしょうな」
「ユーフォーとは何だ! アレのことか!?」
「ひょ、ひょっとして宇宙からの侵略者!?」
「もう終わりだぁー! この世の終わりだぁーっ!!」
『……私の、名はデモス。ヤリヤモ・ナ・デモス……遥かな星、の海を渡ってきた……者、だ』
続いて空に大きなテレビ画面のような物体が浮かび上がる。
『あー……あー……ん、ああ。ようやくこの喋り方にも慣れてきた』
そして画面に映し出される謎の人物は素顔を隠すフードを取って顔を顕にする。
『始めまして、この星の皆さん。私はデモス。君達の言う宇宙人だ』
明らかになったその素顔はアンテナのような癖毛と金糸のような髪、そして銀のスクエア眼鏡をかけた……
「……社長?」
ドロシー・バーキンスそのものだった。
『驚くのは無理もない。私は』
「やっぱりお前の仕業か、コラァァァァァ────ッ!」
「ザッケンナコラァァァァァ────ッ!!」
「撃て撃てぇぇぇー!」
『!!?』
13番街区のドロシー達はデモスの顔を見た瞬間にプッツンし、上空の超大型ディスプレイに向かって総攻撃する。
先程までの恐怖は何処へやら。きゃあきゃあ悲鳴を上げていた彼(女)らは獣のように吠えながら銃やらビームやら火炎瓶やら身体の一部やらを投げつけた。
『待て待て! 落ち着いてくれ! まずは私の話を聞きなさい! 私は』
「うるっせぇぇぇー! ボケェェェー!!」
「何のつもりだ、クソビッチコラァァァァァー! そんな大掛かりなもん引っ張り出してきやがってコラァー!!」
「ふざけるのもいい加減にして頂戴! アタシ、明日に10番街区の彼とデートする予定があるのよ!? こんな顔じゃデート出来ないじゃないのぉー!!」
「元に戻してーっ!」
『誰かと間違えていないか!? 私の名前はデモス。ヤリヤモ』
「シャァァラァァァァーッップ!!」
逃げ惑う子羊は一瞬にして暴れ狂う暴徒と化す。
その様子を遠目で見守っていたスコット達は物凄く微妙な気持ちになっていた。
「……」
「うーん、可哀想」
13番街区民達の怒号を一身に浴びるデモスに向けてドロシーは一言。
「……どうして君はあんなに嫌われているんだ?」
「うーん、嫉妬じゃない?」
「恵まれた者を妬み非難するのは庶民様の特権ですからな。仕方ありません。お嬢様はとても美しく心が清いお方ですので、余計に八つ当たりの対象にうってつけなのでしょう」
「ど、どういうことなの……」
「ほら、僕って凄く可愛いでしょ? そういう子が活き活きと楽しくしているのを見るとムカついちゃう人も多いってことよー」
「……」
「……」
スコットとバケットとアリシャは敢えて何も言わなかった。
ここまで自分の所業を棚に上げて非難される理由は相手にあると断じ、尚且つ自分を素直に愛せる人物が他に居るだろうか。
普通の人間であれば一人二人に少し非難されただけで自分に否があると反省するものだが……
「ひょっとすると皆はアレが偽物だと解っててやってるのかもしれないわね」
二桁区の嗤う魔女は違った。
「で、どうします? 社長」
「面白いからここで様子を見守るのもいいかもしれないわね」
「それは駄目だろう!?」
「だってー」
『……ううむ、ようやく良い星を見つけたと思ったんだが。ここまで野蛮な種族が住んでいたとはな』
言いたい放題やられ放題のデモスは眼鏡を外して目頭を押さえる。
『これでは話も出来ない。少し君達には黙っていてもらおう』
デモスは大きな目を更に大きく見開く。
ドロシーに良く似た愛らしい顔から一変、顔半分はあろうかという化け物染みた目をギョロリと動かしながら青く輝かせる。
『沈黙せよ、我が種を宿した遠き民よ』
一瞬だった。
デモスの言葉が街中に響いた途端、荒れ狂っていた暴徒たちが一瞬で沈静化された。
「な、何だ!?」
「静かになったね、どうしたんだろ」
「言いたいことを言い尽くして悦に浸っているのかも知れませんな」
「お、おい! 二人の様子がおかしいぞ!!」
「……ッ!」
「……ッ!!」
静かになったのは暴徒だけではなかった。
車に乗っていたバケットとアリシャも喋れなくなり、わたわたと慌てている。
「あれ、どうしたの? 二人共」
『ああ、これで話が出来るな。最初からこうすれば良かったかな……いや、それは失礼だな』
デモスは大きく見開いた瞳を先程のサイズに戻し、スクエア眼鏡をかけてふふんと小さく笑った。
『さて、それでは諸君。気に入らないだろうが、遠い星から来た私の話を聞いてもらおうか』
静まり返ったドロシー達を見下ろして嗤うデモスの顔は、あの魔女とはまるで異なるゾッとするような無機質さに満ちていた。