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「……」
「おはようございます、お坊ちゃま」
場所は変わってリンボ・シティ1番街区のアグリッパ邸、若いメイドがジェイムスに朝のご挨拶をする。
「……おはよう、ジェーン」
「朝食の用意が出来ております」
「ああ、うん……ありがとう。でもその前に言っていいかな?」
「何でしょうか?」
「顔が近い」
毎朝息のかかる距離まで顔を近づけて声をかけるジェーンにジェイムスは苦言を呈す。
「何か問題でも?」
だがジェーンは彼の苦言に無表情で返した。
「あー……もー……毎朝、心臓に悪いんだよ。やめてくれよ、本当に」
「ですが、お坊ちゃまはここまで近づけないと起きてくれませんので」
「……ああ、はい。そうだね」
「今日のお着替えはこちらになります。それでは外でお待ちしておりますね」
そう言ってジェーンは部屋を出た。
「……はぁ」
ジェイムスは重い溜息を吐きながら起き上がる。
彼女の寝起きドッキリにも随分慣れたが、流石にこうも毎日続くと辛いものがある。
「今日も寝起き最悪だよ、ママン」
枕元で微笑みかける母親の写真に呟き、ジェイムスはベッドを降りた。
「お父様のハインス様は早い時間から屋敷を発っております、お坊ちゃま」
「ジェーン」
「何でしょうか、お坊ちゃま」
「前から言ってるんだけどな、お坊ちゃまはやめてくれないか?」
「ジェイムス」
「両極端!!」
ジェーンはこの屋敷で働いている唯一の異人メイドだ。
片方が折れた山羊のような角、淡い褐色の肌、銀色の髪、そして立派に実ったバストが魅力の22歳。
「ではジェイムス様」
だが、その表情は固く無機質で感情の起伏は殆ど感じられなかった。
「これからもそれで頼む。お坊ちゃまは心臓に悪い」
「ですが、メイド長からはお坊ちゃまと呼ぶように言われております」
「……せめて二人でいる時だけでもいいから」
「わかりました、お坊ちゃま」
「駄目じゃないか!」
保護者代わりのメイド長からジェイムスの世話を任されてはや3年。毎朝、このようなやり取りを繰り返している。
無駄に多才なメイド長から直々に教育されているので能力自体は高いのだが何処か融通が利かず、今朝の寝起きドッキリを始めとする大胆な行動の数々にジェイムスは振り回されっぱなしだ。
「今日も帰りが遅くなるのですか?」
「多分な」
「お迎えは?」
「要らん」
「わかりました、浴室と寝室のご用意だけしておきます」
「それも要らん」
そんなジェーンとのやり取りで朝から疲れ気味のジェイムスだが、不思議とその表情はどこか明るげであった。
「ドロシー様用の枕は」
「要らねぇよ! 大体、アイツは最近部屋に来てないから!!」
「最近はいらっしゃらないのですね」
「いや、もう来なくていいよ! マジで困るから!!」
「私もそう思います」
そしてジェイムスと会話している時だけ、ジェーンの鉄面皮もほんの僅かに緩んでいた。
「それでは、気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」
「お早いお帰りを」
「それは期待しない方がいい……」
朝食を終え、今日も街の為世界の為に異常管理局へと向かうジェイムスをジェーンは見送った。
「……」
「ん、今日も頑張ったわねジェーン。上出来よ、上出来」
今日も彼女を遠目で見守っていたメイド長のエンダがその肩をポンと叩く。
「いいえ、私はまだまだです。メイド長」
「まぁ、私と比べられるとそうなるわね。経験も年季もまるで違うもの」
「私もあと10年もすればメイド長のようになれるでしょうか?」
「うふふ、10年くらいじゃなれないわね」
エンダにそう言われ、ジェーンは少しだけしょんぼりしたような様子を見せる。
「やはり私が未熟だからお坊ちゃまもハインス様も、あまり私を見てくれないのでしょうか」
「……旦那様はともかく、お坊ちゃまは別の理由でしょうね」
「別の理由、ですか」
「そうそう。別の理由よ」
ジェーンの頭を撫でてエンダはにこやかに笑った。
「さぁ、中に入りなさい。今日も沢山やる事があるんだから」
「わかりました、メイド長」
◇◇◇◇
異常管理局セフィロト総本部 第一執務室にて。
「うーん……」
ジェイムスは自分のデスクでパソコンとにらめっこしていた。
「……相変わらず異界関連のトラブルは13番街区周辺がダントツだなぁ」
彼が目にしているのはここ一ヶ月に起きた異界門及びそれが関与する事件、そして異界出身者が起こしたトラブルを集計したデータ。
他の街区と比べても異常とも言えるグラフの荒ぶり具合に溜息を漏らす。
「……いっそのこと13番街区専門の部隊とか、組織とかが出来たら良いのになぁ」
ジェイムスはそう言って頬杖をつく。
13番街区はリンボ・シティでも特にトラブルが頻発する場所だ。
故にそこに送られるのは必然的に彼のような実戦経験が豊富な職員になってくる。
「……あと10年も生きられるかな、俺……」
毎度のように魔境に放り込まれては酷い目に遭わされる彼は自分のこれからを本気で心配していた。
「……ドロシーがあと10人くらい居たら13番街区は平和になるだろうな。人が居なくなるからな、ははは……」
そこそこ追い詰められていた彼はふとそんな恐ろしい事を呟いてしまった。
『キッドくーん!』
『遊びに来たよー!』
『ハインス君は元気ー? 仲良くやってるー??』
『聞いてよ、キッド君! スコッツくんがねー!!』
『ねぇねぇ、彼女出来た?』
『彼女居ないなら僕とデートごっこしよっか! 勿論、スコッツ君も一緒だけどー』
『ねぇ、知ってるー? 人間の男は童貞のまま30歳になると魔法使いになるんだってさ。面白いよねー!』
『もしもキッド君が童貞のまま30歳になると何になるのかな! 賢者とか?』
『あ、そうそう。聞いてよ、キッド君ー』
『『『キッドくーん!!!』』』
そして脳内に浮かび上がる世にも恐ろしい10人の金髪畜生魔女軍団。
「ぐばぁぁぁぁぁぁーっ!!」
一瞬だけでもそんな地獄絵図を想像してしまったジェイムスは精神に多大なダメージを受け、喀血しながらダウンした。
「うおっ、何だ!?」
「せ、先輩!? どうしたんですか、先輩ーっ!!」
「おい、誰か! 誰か救護班を! ジェイムスさんが倒れた!!」
「……ドロシーが一匹、ドロシーが二匹、ドロシーが……アバッ!!」
「うわぁぁあ! 先輩ーっ!!」
不吉な言葉を残してジェイムスは気絶した。
その場に居合わせた者は、誰一人として予想できなかった……
彼の言葉が、全ての始まりだったと言うことを。